牧師・漫画家・ミュージシャンの松本太郎のブログ


by qpqp1999

聖霊降臨後第三主日礼拝説教

 聖霊降臨後第三主日礼拝説教
ルカ福音書6章37~49節
 
 「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなた方も罪人だと決められることがない」
 今日の聖書個所はこの言葉から始る。後に出てくる
 「自分の目にある丸太を見ないで兄弟に向かって『さあ、あなたの目にあるおがくずをとらせてください』とどうして言えるだろうか」
 という言葉とも連携している。これだけ読むと、なにやら、無条件に誰にであっても
 「裁くな」
 という事を道徳的に表明しているように見えてしまう。
 「自分の目にある丸太」
 を自覚しないで、他人の目にある僅かなおがくずを取らせてください。という事の傲慢さが顕れているように見える。
 しかし、世の中の一体だれが
 アドルフ・ヒトラー
 を裁かないでいられるだろうか。人といっていいなら、この人は多くのユダヤ人、社会的にマイノリティーとして差別されている人を強制収容所に放りこみ、虐殺した超本人だ。このような人をどうして裁かないでいられるだろうか。
 実をいうとこのアドルフ・ヒトラーは誰にも裁かれていない。自決したからだ。死んでしまった人をどうやっても裁くことはもう無理だ。だが、歴史の認識の中で私たちはこのアドルフ・ヒトラーを裁くことをしなければ、人類史の検証に落ち度が発生するだろう。
 例えば
 「オウム真理教のあさはら」
 という人を、この人を人と呼んでよいなら裁かないでいられようか。実際、今この、あさはらは裁かれている最中で、その罪状がたくさんあるために、判決が全部整うまでに寿命が来てしまうのではないかというくらいだ、
 あるいは、
 「野宿生活を余儀なくされている人」
 に関わって、住所を与え、生活保護を受けさせて、その金銭を管理して、利益を懐に入れていたというような牧師を裁かないではいられようか。そんな人が、人と呼んでかまわないのなら、そんな人は牧師ではない。
 こうやって考えてみると、今日の聖書個所は一体何を私たちに伝えようとしているのか解らなくなってしまう。
 大事なのは文脈だ。この6章でのイエス・キリストの説教は冒頭の
 「貧しい者は幸いである。神の国はあなたがたのものである」
 という基本的な立場から、この説教を読まなければならない。視線をそのように移すことで
「人を裁くな。そうすればあなたがも裁かれることがない」
 という一節を理解する事ができる。つまりこの
「人を裁くな」
 というのは現状で権力や力のある者に対して発されているイエス・キリストのアンチテーゼなのだ。そのようにして考えると確かに
 アドルフ・ヒトラー
 あさはらしょうこう
 汚職牧師
 に対して、発されている言葉であることがよく解る。
 「人を裁くな」
 というのは、社会的マイノリティーの人を差別するなという意味であり、弱者を踏みつけにしたり、お金を絞りあげたりするなという意味なのだ。
 確かに、全ての人々に発されている言葉ではあるが、イエス・キリストの立場は差別されたり抑圧されたり搾取されたりする人の側に立って語っているということである。
 それを決定的に裏付けている言葉が
 「赦しなさい。そうすればあなたがたも赦される」
 という部分だ。そのまま、読んでしまうと、何やら、自分に対して何か悪いことをした人をゆるせば、そのかわりに自分が悪いことしたこともゆるされる。と勘違いされてしまう。
 アドルフ・ヒトラー
 を赦すことで、果たして、私たちの罪は赦されたりするだろうか。その正反対だ。
 「ネオナチ」
 というヘイト集団がいる。人と呼んでよいのなら、こういう人たちに発されている言葉である。あるいは最近、日本でも活発になってきた
 「ヘイトスピーチ」
 「ヘイトデモ」
 という日本で苦しみの中にある人を、さらに差別して追い詰め、脅迫するような人々がいる。このような人に発されるのが
 「赦しなさい」
 である。これだけだと誤解を招くので詳しく解説するとこの
 「赦しなさい」
 という言葉は
 ἀπολύετεアポルーテであり
 「自由を与えなさい」
 という意味である。
 つまり、弾圧し、抑圧し、差別し、搾取する者にたいする挑戦状ともいえる言葉が今日のイエス・キリストの言葉である。
 ヘイトデモ
 をしている人たちに対して、ヘイトしている対象の差別され、弾圧されている人たちを自由にしなさいと言っているのである。それだからヘイトスピーチ
 をしている人たちは自分の目にある丸太に気づいていない。そして、そのような人たちは
 「土台なしで地面に家を建てた人に似ている。側の水が押し寄せると家はたちまち壊れ、その壊れ方が酷かった」
である。
 そこにあるのは薄っぺらい憎悪心、虚栄心、迫害する者につきものの、悪性であり、これらは冒頭でイエス・キリストが言われたように
「今、満腹している人々あなたがたは不幸である。あなたがたは飢えるようになる。今笑っている人々は不幸である。あなたがたは悲しみ泣くようになる」
 というスタンスから発されている事がよく解る。
 私たちに告げられる今日の個所は重圧に苦しんでいる人への解放の宣言そのものなのである。
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by qpqp1999 | 2016-06-04 19:01 | キリスト教