牧師・漫画家・ミュージシャンの松本太郎のブログ


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2015年 12月25日クリスマスの夕 礼拝説教

2015年 12月25日 クリスマスの夕
礼拝説教 マタイ福音書1章18節~2章115節
 日本のクリスマスは12月24日までであって、25日なると年末とお正月モードになってしまうのでした。
 しかし、今日、私たちはこうやって
「聖降誕際」
をお祝いしているではないでか。なんと素晴らしいことでしょう。
 今日の聖書個所はマタイ福音書におけるイエス・キリスト誕生物語。所謂
 「ヨセフ伝承」
と呼ばれるものです。
 そこで、せっかく今日この日に礼拝に参加している皆さんに衝撃的な事実を告げたいと思います。
 実は、マタイ福音書ではイエス・キリストは馬小屋で産まれてはいないという事です。
 はっきり書いてある。2章10節ではっきりと
「家の中に入って」
と書いてある。しかも、このマタイ書ではルカ書のような人口調査は知らない。マリアもヨセフも最初からベツレヘムに住んでいたことになっている。
 しかし、史実のイエス・キリストは
 「ナザレ者」
 と下げずまれていました。史実のイエス・キリストの育ち、活動しはじめたのはユダヤ社会ではド田舎のナザレという所だったのです。
 それでは旧約聖書の預言書ミカ書、サムエル記と一致しない。どうにかして、イエス・キリストをベツレヘム産まれにしなければならない。そして、何故、ナザレで育ったかを説明しなければならない。マタイ書なりに答えたのが今日の個所です。
 聖書の新約聖書はギデオン協会という組織の働きもあって、名のあるホテルなら、そのテーブルの中に入っていて読むことも出来るし、持って帰ることも出来るようになっている。ところが、新約聖書の最初がマタイ福音書になっているために、多くの人は、この最初の一章で読むのを止めてしまう。
 何故ならば、長々とイエス・キリストの系図が書かれていて、よく知らない名前ばっかりなので、読むのが疲れてしまう。
 しかし、実は新約聖書でこれほど面白いところはないのです。何しろ、系図に四人の女性が記されている。そもそも、ユダヤの系図では男性系図が基本であって、そこに女性が入るというのは異常な事でした。
そしてその全ての女性が、
「娼婦」
「異邦人」
「不倫」
という、あまり思い出したくないような状況に追いやられた女性たちだったのです。マタイはわざと、それを書いたのでした。それをマリアにつなげました。
 マタイの意図ははっきりしている
 「汚れ」
 です。
 イエス・キリストというのは聖なるところに産まれたのではなく、
「汚れ」
 の中に産まれたという事です。ここにこそ、クリスマスの意味があります。
 マタイ書のクリスマス物語は、マリアというよりも夫のヨセフが主人公です。
 ヨセフは婚約しているマリアが妊娠していることを知る。
「ヨセフは正しい人だったので」
 マリアと離縁しようとします。もし、これが行われれば、マリアはやがてお腹が大きくなって、姦淫の罪に訴えられ、石打ちで処刑される事になります。
 惨いと思われるかもしれませんが、当時のユダヤ社会ではそれは当然だった。
 ところが夢のお告げでヨセフはマリアの妊娠が主の業であると知り、妊娠しているマリアを伴侶としてつなぎます。
 実は、この部分、多くのキリスト者がスッと行ってしまうところなのですが、ちょっと待って下さい。
 もし、妊娠しているマリアを受け入れるというのであれば、ユダヤ教の法律である律法を犯すことになります。即ち婚約をしてから一年は夫婦の関係になってはならないという厳しい掟があったのです。
 もしマリアを妻とするならば、ヨセフはこの律法を破ったことを世間に表明することになり、名誉も何も無くなってしまい、一族の恥さらしになってしまうのでした。
 それでもヨセフはマリアを妻としたのでした。ここにあるのは信仰であって
「汚れ」
 ではないが、この世の視点からすると
「汚れ」
にしか見えない。これがマタイ書の書きたい部分です。
 この「汚れ」はその物語を追うごとに加速していきます。まず、イエス・キリストの誕生のお祝いに駆け付けたのが
「占星術の学者」
 だったという事です。これはギリシャ語の外来語でマギです。マギとはペルシャのゾロアスター教の祭司のことです。
 事実、このマギたちは星占いによって、イエス・キリストの誕生を知り、はるばるやってきたのでした。
 ヘロデ大王という悪者も関わってきます。この人はイスラエルの王座を守るために、妻も息子も粛清するような極めて、凶暴な人でした。
 最初にマギたちが王子が産まれるのだからといって、ヘロデ大王の所に行ったのが間違いでした。
 ヘロデ大王はイエス・キリストを殺す計画をたてます。
 結局、マギたちは夢のお告げで、ヘロデにはなにも知らせず帰っていきました。ヘロデは怒って
「ベツレヘムとその近辺にいる2歳以下の男の子を一人のこらず殺させた」
 のでした。
 一方のヨセフはそれよりも速い夢のお告げに従って、エジプトに難民として渡ることになります。
 こうしてイエス・キリストの誕生というのは、たくさんの犠牲の男の子たちに上に成り立つものとなりました。
 真の意味での「苦しみ」です。
その苦しみを引き受けることなしには生誕は成立しないということが、強く示されているのです。
 「苦しみ」
 を引き受けたヨセフ。
 「汚れ」
を勝利に変えたヨセフ。
 このヨセフ伝承が伝えるクリスマスの物語を今日覚えたいと思います。
 今あるこの社会で、どれだけ
「汚れ」
「苦しみ」
という事柄と共に立っているかということを確認していただきたいのです。
それこそが、本当のクリスマスのお祝いの仕方なのです。
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by qpqp1999 | 2015-12-25 14:13 | キリスト教