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牧師・漫画家・ミュージシャンの松本太郎のブログ


by qpqp1999

聖霊降臨後第7主日礼拝説教 マルコ福音書4章26-34節

聖霊降臨後第7主日礼拝説教 マルコ福音書4章26-34節
 2017年日本国において、戦争法案がいよいよ可決されそうになっている。「集団的自衛権」と称して、日本国が武力攻撃されていない状態でも、アメリカと一緒になって、戦争ができるようになる法案だ。
 キリスト教の礼拝説教の場で、このような政治的な事を言うのはどうかと、はばかられるのが実態だが、日本国民のキリスト者であるならば、この問題について、今日、語らねば、この主日の意味が無いであろう。
 そもそもが、何で日本国が、その国民の命の危険をさらしてまで、アメリカと一緒に戦争しなければならないのかを考えるべきだ。中国と戦争するためだと言うなら、もっての他だ。何で、日本国が中国と戦争しなければならないのか、考えてみれば解る。
 一体全体、どこの国がこの資源の無い、島国を軍事拠点として、武力攻撃してくるというのだろうか。そんな馬鹿らしいことをやる国は私の知るところでは無い。戦争してまでして、この島国を占領しようという国はアメリカぐらいだ。
 「北朝鮮」や中国の軍事バランスはそれなりに、際立っているものの、軍事的な介入には程遠い時点であることは確認したい。それをしたいのはアメリカ合衆国であって日本国ではない。
 観る限り、今の日本国の国会は自民党の暴走に皆が頑張って反対しているというのが、その構造だ。たまたま、選挙で多数の議席を得たものだから、それを利用して、自民党と与党はこの「戦争法案」を可決してしまおうとしている。とんでもない話しだ。これは、たまたま得た議席を用いての政治的暴走のいかなるものでもない。断じて、糾弾すべき事態なのだ。
 何故に説教壇からこんな政治の話しをしなければならないか。それは、今回の法案は私たちの命と生活に極めて深く関わる事態だからだ。そして、それは今日の聖書個所と深い関連があるからだ。
 議席を獲得している与党は結局のところ、議論など関係なく法案をとうそうとしているのだろう。これは数の力による作用のものなので、私たちには、どうしようもないような問題に見えてしまうが、それは違う。
 それが、今日の聖書個所の大事な部分なのだ。「イエスは言われた神の国は次のようなものである。人が土に種をまいて夜、昼、寝起きしているうちに種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのかその人は知らない」である。
 日本国は神の国ではないかもしれないが、聖書にあるようにβασιλεία τοῦ θεοῦバセレイアトゥセオウであれば、神の働く領域である。キリスト教の説教でこんな政治的な話をすいるのはけしからんと言っている人は、キリスト教の信徒ではない。何故ならば、日本国民である以上、キリスト者として今の政治の問題ときっちり向かい会わなければならないからだ。その意味で、「神の国」βασιλεία τοῦ θεοῦバセレイア トゥ セオウ は大きな意味を私たちにもたらすのだ。
 私も趣味で植物を栽培している。植物栽培の楽しみは本当に私の知らないところで、成長して大きくなったりすることだ、。私は空気に触れる種類の植物と、水の中でしか生きられない植物を栽培しているのだが、これがとても楽しい。どちらも、まさに、私の知らないうちに、寝たり起きたりしているうちに大きくなる。
 「土はひとりでに実を結ばせる」のだ。今回の戦争法案では、議席の数からして、どうやっても自民党と与党のいいなりの決議になるのは目前なのだが、ここで、日本国民の良識が試されているのだと思う。それは、今発達している携帯端末からはじまって、固定端末に至るまで、一人一人がNOと言うことなのだ。
 今日の聖書個所はあたかも、放っておいたら実が結ぶというように勘違いされているが、そうではない、このたとえ話の主題は「鎌を入れる」である。つまり、実って来たものをどのように自主的に判断するかは私たちに関わっていると言っているのだ。確かに、実は私たちの知らない所で結ぶかもしれないが、それに鎌を入れるのは私たち自身の主体的な行動なのだ。
 だから決して放っておいていいという訳ではないのだ。私たちはその生きざまの中において、鎌を入れることを判断しなけばならないのだ。人によっては、せっかく主日の礼拝に来て、心癒されたいと思っているのに、また気分の悪い今の国会状況を聴かされるのかとがっかりする人もいるたろう。それでいいのだ。
 がっかりしなければ、いけない状況が今の日本国には起こっているのである。それをでれだけの人が分かち合っているかが問われている。それこそが、「実を結ぶ」ということなのだ。私たちの生きるその周りでは、色々な事が起こっており、私たちは、どうしてもそれに関わらなればならない事がある。その時に、今の戦争法案の対してのNOという行動をしめすべきなのだ。
 礼拝に参加している人の中には「中国がどれだけのことをしているのだ?」と言う人もいるだろう。確かに中国は人口飛行場をつくっているが、それが日本国にとって、どれだけの脅威があるだろうか。日本国の防衛実力は現時点で世界で三本の指に入るほど強力だ。スクランブルをかけたらあっという間に脅威は払拭されてしまうだろう。だから、そんな軍事大国である日本に交戦権を持たせてはいけないのだ。
 また言われるβασιλείαν τοῦバセレイア トゥ セオウ「神の支配の及ぶ地域だ」それは「からし種のようなものである」と言い放つ。からし種というのは、数ミリくらいの小さいものだ。「土に撒く時には地上のどんな種よりも小さいが蒔くと成長してどんな野菜より大きくなり葉の陰に空の鳥が巣をつくれるほど大きな枝をはる」のであった。
 だから私たちは諦めてはいけない。現実的には諦めなけれはセならないような状況であっても、私たちは主イエス・キリストの存在にあって、それがいかに無謀なことであっても臨まなければならない。それを全て行うことこそが、まさに「土に撒く」ということなのである。だから、私たちは諦めないで、主の力が臨むことに信頼して行動をおこなければならない、ちょうとど2015年の初夏の話しである。
by qpqp1999 | 2015-07-11 18:40 | キリスト教