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牧師・漫画家・ミュージシャンの松本太郎のブログ


by qpqp1999

沈黙その5

沈黙その5
 これまでで、私が高校の寮で、「人はなにかしら罪を犯すので、イエス・キリストの十字架の贖いを信じないと亡びる」というような論説を説いて回って、それはおおいにウケたし、受洗者も何名か出たことまで書きました。ですが、そんな私に転機をもたらしたのが遠藤周作の「沈黙」だったと言う事も書きました。では、この作品がどこが、どのように私に影響もたらしたのかを解りやすくこれまでのエピソードを交えながら描きます。
 寮生たちは私がお祈りしている事に驚いたし
「太郎にお祈りばしてもらう」←奇跡が叶う!!!
 というのが伝染病みたいに広まったこともありました。私は正直言って、お祈りしておいて叶わなかったら、どうなるんだとハラハラしていたのですが、どういう訳か全てクリアされました。では、その「お祈りば」してもらった人たちは教会に通うようになったか!?!?!?イエス・キリストを信じるようになったか!?!?!?というと
 全くと言っていいほどそういう訳ではなかった。
 これは、深刻でした。その一方で、先輩たちにボコボコにされる後輩たち。あるいは教師によってボコボコにされる生徒・・・。私は深い疑問を抱きました。そして、もちろん祈りました。しかし、それまで、先輩の「彼女との仲をなんとかしてほしい」というようなお祈りには応えてくれたイエス様が、この暴力によって支配されている世界を改善させるようなお祈りになると、
まーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーったく反応しなくなったのでした。
 ハッキ言って、それ叶えてくれなかったら駄目でしょうという、一番大事なことに応えてくれない。ついには私も先輩に殴られて、頬を切ってしまう事態が起きてしまったんだむー!!!あれだけ、お祈りしていたのに!!!とうとう殴られた。それは同じ寮室の先輩だったので、周りに知られる事はなかった。それどころか、私の頬の傷を見て、他の生徒たちは
「おっ!!!太郎いっちょやったと!?!?」
とガチンコ喧嘩の結果である男の勲章みたいな話になっていった。つまり誰にも理解されない所で私は暴力受けていて、傷ついたのでした。
「神様どうしてくれるんだ!!!」
という事です。そして、このような言葉をきっと多くのキリスト教の信徒たちがしていると思う。今みたいに世界情勢が荒れて来ている状況にあって、特に日本人が脅かされるようなテロ事件とか、みんなが、キリスト教会が一所懸命お祈りしているんでしょう。だけどイエス様は応えてくれなかったのです。
 それはイエス様の沈黙だったでしょうか。当時の私はそんな気持ちだった。そこでこの「沈黙」が私に大きな影響を及ぼしました。日本の弾圧で棄教した神学者クリストヴァン・フェレイラこの人は歴史上に実在する人です。それは当時のチャプレンの先生に教えてもらいました。やがて棄教した信徒たちへの拷問を止めるために踏み絵を踏んだロドリゴは遠藤周作がつくったキャラクターです。
 そこで、大事なのは自分は殉教してでもキリスト教徒であるのだという信念を持っていたロドリゴが、人の苦しみをなんとかしようと殉教ではなくて踏み絵を踏み棄教する道を選んだ。その
 「痛み」についてです!!!
散々踏まれたイエス像を踏む時にロドリゴは足に強い痛みを感じイエス様の声が聴こえた
「踏みなさい。あなたのその足の痛みを、私がいちばんよく知っている。その痛みを分かつために私はこの世に生まれ、十字架を背負ったのだから」って言うんですよ!!!
 ここに来て、私にとって贖罪でしかなかった十字架は、今を苦しんで、哀しんで、痛んでいる人と神であるイエス・キリストがその苦しみ悲しみ痛みを共にして下さっている、現在進行形の出来事であるということに気づかされたのでした。
 そりゃあ皆に教会に通ってもらって、洗礼受けてもらったらよかったけど、宣教っていうのはそういう問題じゃなかったと言う事に私は目覚めてしまったのでした。それからくらいです、将来、漫画家ではなくて牧師になろうかと思い出したのは・・・。
 実は、この思いを更に一層強める物語がこの「沈黙」には書かれています。これを書くともっと長くなるので
  つづく
 
by qpqp1999 | 2015-02-13 21:28 | キリスト教