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牧師・漫画家・ミュージシャンの松本太郎のブログ


by qpqp1999

「そこから降りろ」使徒信条 編

 キリスト教、正教会以外の全てのキリスト教はこの使徒信条を信仰の信条として採用しており、毎週の礼拝に、洗礼式に唱えている。
 内容は「我は天地の造り主、父なる全能の神を信ず、主は聖霊によりて宿り、乙女マリアより産まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につき、死して葬られ陰府に下り」
って、産まれたと思ったら、すぐに殺されているぢゃんかむー!!!
この使徒信条は三世紀後半から四世紀前半に成立している。元は十二弟子が一人一人、言ったと言われているが、こんな産まれて、すぐに死んでしまってどうするんだむー!?!?と思わないでもないが、成立年代を見ればわかる通り、そもそもこれは、イエスという人が地上で生きていた時から四百年近く後で成立したものだから、そりゃ、解るわけないよね!!!当然、直弟子の言葉なワケないから・・・という事だ。
 しかし、このイエスという人の生涯についての沈黙は、いかに当初のイエス・キリストの活動が注目されていなかったかを雄弁に語っている事に気づかされるんだむー。どうかすると、否、どうかしないでも
 お父さんが誰か解らない状態で産まれてきた。十字架という反ローマ帝国のテロリストか、奴隷の見せしめでしか使われない処刑方法で殺されたという事を雄弁に物語っているんだむー!!!つまり、まさに「汚れ」の中に産まれ、殺されたということを雄弁に語っているんだむー!!!

 だから、キリスト者は毎週のように、その「汚れ」を身にまとい、とゆーか、そもそもが「汚れ」ているという事の中に「福音」、今風に言うなら「エヴァンゲリオン」を告白しているかが問われているんだむー。キリスト教というと清らかで、清潔で、美しかったりするというすりこみがあるけど、その信仰形態はその全く反対のベクトルを向いているんだという事に気がつく。けがらわしく、汚くて、醜いというのが、本当のキリスト教信者のあるべき姿であって、決して清め奉られるようなものではない。これに、ついてはシリーズとして今後書いていきます。「そこから降りろ」シリーズです。
 
 
by qpqp1999 | 2014-09-30 20:30 | キリスト教