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牧師・漫画家・ミュージシャンの松本太郎のブログ


by qpqp1999

カルトキリスト教

 つい先日、解ったのだが、日本のキリスト教会において、カルト化が進んでいるという恐ろしい事実だ。カルトというのは本来「礼拝」を意味するが、信仰ではなく洗脳によって←区別は後ほど言う によって信徒を支配し、お金とか吸い上げるタイプのものだ。
 特徴的なのは、大抵のカルトの自称キリスト教の教会の牧師は、バシッとスーツにネクタイで、牧師夫人とか、見るからに牧師夫人ぜんとしいてるものだ。その対極にいるのが私だろう。ローマンカラーも着なくなって、ゴスバンクのファッションで礼拝に行って←どうせアルバ着るからその下はどうでもいいでしょ 髪の毛も長髪のまま括らないままで、礼拝に赴いている、こんなでは、普通の人から見たら、逆にカルトに見えるかもしれない。しかし、カルトとそうでないキリスト教の違いをちょっと整理してみたいと思う。
まず挙げられるのは指導者に対する崇拝だ。
聖人、あるいは神格に向けられるものとさして変わらない評価だ。指導者は絶対に間違いを犯さないという確信みたいなのに洗脳される場合がこれだ。牧師や司祭は人間なのだから、間違いも犯すし、誤りもする。それが一切ないと強制的に思わされて、その支配のうちに至るという点が顕著だ。
 次に挙げられるのは、一見インテリっぽく見えることだ。なんだか哲学ちっくな事やら、どうかすると、日常の些細なことまで指導が入ってくる。しかも、それは親切そうにだ・・・。このような現象が見られたら、カルトを疑うのに十分な要素が既にあると言っていい。
 そして何より赦せないのがその説得のテクニックだ。特に、説教においてそれは顕著だ。実は昨日、そのカルトの王道をいっている教会の「牧師」の説教をユーストリーミングで観たのだが、非情に強制的だという一念につきる。私は説教というのは、ややもすると議論をもちかけるようなものであるべきだと考えている。できれば、その説教に納得できない人との対話とかとても大切だと考えているが、カルトになると、説教は絶対で、それに否を唱えることは非キリスト者に定められる傾向がある。
 そして次は、新たな収入源の確保だ、新たな信徒を獲得し、現状の信仰心を補強するために、寛大なものから威圧的なものまでありとあらゆる手段を用いてカルトは信者を圧迫するのだ。一見、信仰の解きほどきのように見えるが断じて違う。こういうカルト系の自称キリスト教教会は、信徒を上記のような手法で圧迫して、逃げられないようにしてお金を巻き上げる。このような傾向が見られたら、即刻そんな 自称キリスト教会に行かないようにすることをお勧めする。
そしてカルトの自称キリスト教教会の特徴の一つに、入信者や信徒は、その頂点に立つ指導者や集団の中枢部に関してすべてを知らされるわけではなく、また大きな混乱を招くような不備や厄介事に発展しそうな事件、あるいは状況は隠蔽されるという事態だ。
 私が冷えすぎているのかもしれないが、大抵、そういう自称キリスト教教会の好むキーワードが
霊的
 という奴だ。この言葉が重視され出したら、危ないと考えて、まずまちがいない。なにせその「霊的」という根拠、とくに聖書における根拠、聖書神学的、歴史神学的、組織神学的、実践神学的根拠があまりにも希薄なのに、その「霊的」という一言で全てを片づける傾向がある。はっきり言って、そういう自称キリスト教教会は危険だ、カルトの可能性が高い。それを主催している牧師とか長老とか役員会とかまでも、どうかすると洗脳されていて、それをマヂで信じてしまっている傾向が高い。だから、本気でやってくる。しかし、その性根の裏は献金欲しさの経済主義でしかないのだ。試しに、献金不要と言い出してみるといい。言える訳がない。何しろ、そのカルトの犠牲者たちの血税献金によって、その自称キリスト教教会は成り立っているのだから。
 そこで核心にたどりついていく。入信者や信徒は、その金銭およびそのほかの資産を差し出すように促されるのだ。
牧師と呼ばれる人、あるいは教会に対する究極の知識なき「盲信」。しかも、ややこしいのが絶対的な道徳観だ。牧師、教会が確立した、あらゆる、行動に関する善悪の基準への「盲信」。その道徳の基準にきちんと従えば、組織の一員としていられるが、そうでない者は破門されるか罰せらたり、どうかすると
「地獄に落ちる」
という一言で脅しをかけてくる。私のこのブログを読んで下さっている方の中にはキリスト者も少なからずいるだろう。だったら、今一度上記のようなことを見直してみてもらいたい。ものみのとう、エホバのしょうにん、とういつきょうかい、モルモン教等、一発で見抜けるようなものではなく、本当にまっとうなキリスト教教会として立っているのに、カルトになっている教会は現代で少なくはないのだ、ではどうやって見分ければよいか。
 一番簡単な方法を教えよう。献金をしないことだ。お金を出さなくなった途端にカルトの連中は必死になって説得したり圧迫したりしてくるだろう、そうなったら一目で解る。とっとと、そんな教会とは縁を切るのがいい。悪いことは言わない。自称キリスト教の「狂った」カルト教会は現代日本の0.1%の中に潜んでいるのだ。
by qpqp1999 | 2014-09-11 18:53 | キリスト教