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牧師・漫画家・ミュージシャンの松本太郎のブログ


by qpqp1999

陸軍中野学校

 今日は8月15日、所謂「終戦記念日」だが、正確には「終戦の日」であり、もっと厳密に言うなら、まだ今でも戦争は終わってない。沖縄や各地の米軍の駐屯基地をみれば解る、日中朝韓の緊張関係を見れば解る、日ロの関係を見れば解る。閣僚の靖国神社参拝や総理大臣の靖国っぷりを見れば解るじゃないか。終わってないんですよ。
 書きたいことは、いくらでもあるが、まずは身うちの戦争終わってない事を書きます。
 私の母方の祖父は陸軍中野学校を卒業した。陸軍中野学校とは特殊部隊養成学校だった。特殊部隊、解りやすく言うと諜報部隊だ。もっと簡単にいうとスパイです。そして、インドネシアに憲兵になって行かされた。そのインドネシアでの大日本帝国のスパイのコンテストで優勝したこともある。
 とうとう8月15日が来た。この日はいこーる終戦ではない。厳密に言うなら「玉音放送がラジオで流れた日」なのだ。実際、大日本帝国は武装解除していない。それはさておき(これについて書きだしたらまたきりがない)。あっという間にインドネシアにはオランダ軍がやってきた。私の祖父は憲兵だった。憲兵は基本的にB級戦犯であり、処刑されるのが当然だった。そして、首実検が行われた。死刑が宣告されるその時にインドネシア民衆の間から
「あの人はいい人だ」
という声が上がった。祖父はまさにスパイとして民衆の中に溶け込んで、事実、子供が大好きで、人々と密接な交流があった。これは諜報部隊の隊員としてはとても大事な作戦でもあったのだが。ある時、他の憲兵に処刑されそうな人を私の祖父が助けたそうだ。
 それで、処刑をまぬがれた植民地の憲兵としては異例の事態になった。だが、軍事刑務所に入れられた。それが4年間も続いた。その情報は、日本にいる私の母や祖母には知らされていなかった。日本国になっても無責任なままで、「行くえ不明」「もしかしたら戦死」ということだった。ここで、私の母や祖母にとって戦争は終わらなかった状態になる。
 たとえば「蛍の墓」を観ればわかる。たとえば「はだしのゲン」を読めば解る。所謂「戦後」食糧もなく力もない人たちはどうなったか、野坂昭如さんの妹さんは飢え死にした。私の母親も祖母も喰うに困って、着物と米を交換しながら必死で命をつなぐしかなかった。日本国はなんにも面倒みてくれなかった。
 毎日のように母と祖母は復員船の桟橋に見に行ったが、四年間駄目だった。不思議な話だが、困った私の母や祖母は日本ルーテル都南教会に行って洗礼を受けた。同じ時期、祖父もまたルター派の宣教師から獄中で洗礼を受けていた。
 そして五年目に復員船から押し出される祖父を見つける事ができたが、祖父は「巣鴨プリズン」に直行だった。そして一年以上も懲役を喰らった。今村均大将と同じ部屋だったそうだから、重罪人だ。惨憺たる母と祖母の生活は続いた。飢え死にしなかったのが奇跡的なほどだ。
 つまり私の身内の母方では1945年の8月15日で戦争は終わりはしなかったのだ。そういう視点をもっと、ひろげて、現状の日本をみて見ると解る。まだ戦争は終わってない。9月2日の米でもなければ、9月3日の中国でもない、まだまだ、その戦争は続いている。誰が終わりにしてるんだ。いよいよ、集団的自衛権の拡大解釈でバトンが更に強く繋がれた訳だ。もう、所謂「大東亜戦争」「太平洋戦争」の体験者は高齢化していなくなりつつあるので、本当に終わったと思いこまされそうだが、実情ではそうではないことを、肝に銘じることが、「終戦の日」に日本人に求められるものだと思う。
by qpqp1999 | 2014-08-15 20:46 | 特殊部隊