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牧師・漫画家・ミュージシャンの松本太郎のブログ


by qpqp1999

解放の神学

 解放の神学というものがある。先駆者はナチス政権下にあって、「ユダヤ人虐殺」「セクシュアルマイノリティー虐殺」「『精神科疾患者』虐殺」をやってきたヒトラーや大多数の保守層に対して、大学を追い出されようと、教会から追い出されようと、自身の施設が潰されようと抵抗しつづけ、ついに殺されたたディートリッヒ・ボンヘッファーが先駆者である。
 しかし、実に残念なことに、このディートリッヒ・ボンヘッファーの解放の神学を全く反対のベクトルにもっていっている神学者の、あるいは牧師のいかに多いことか・・・。本田哲郎司祭風にそれを表現するなら「イイ子ぶりっ子症候群」だ。この本田哲郎司祭の文脈が、またまた、ディートリッヒ・ボンヘッファーと同じく、保守的な神学者や牧師に引用されている実態も考えものだ・・・。
 解放の神学というのは机上の神学でもなければ、パソコンのキーボードや画面の前にある論文でもない。ましてや、議論に華を咲かせて楽しんでいるインテリさんたちの話題のネタでもない。
 大事なのは、本当にそこで、抑圧され、差別され、苦しんで、死にかけているかどうか、どれだけ、悔しい思いをさせられ、踏みつけにされているか、その事実が解放の神学には必須であって、それなしに、口先だけで、論文だけでかたづけられたら困るものなのだ。
 もし、解放の神学を心得ようと思うのなら、先ずは苦しまされるべきだ。先ずは抑圧されるべきだ。先ずは差別されるべきだ。先ずは悔しい思いをするべきだ。もし、それをしていないなら、そうなっている人たちと連帯して、その苦しみを共有するべきなのだ。それなしにして解放の神学をいくら語ったって、それこそ偽善者だ。
 ところが、昨今のキリスト教会にはこのボンヘッファー LOVEな、偽善者のなんと多いことか。天国っていうところがあるなら、ディートリッヒ・ボンヘッファーが泣いている。
 今日は珍しく、真面目なブログを書いてみた。解放の神学に語学はいらない。学歴もいらない。地位もいらない。必要なのは苦しみだ。
by qpqp1999 | 2013-07-17 18:35 | 日本の習慣