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牧師・漫画家・ミュージシャンの松本太郎のブログ


by qpqp1999

クリスチャン

 私の祖父はクリスチャンだった。しかし、私の父が16歳の時に亡くなっているので、私は会ったことがない。この私の祖父の名は外継だった。なんでも、家が貧しくて、幼少の頃から、「孤児院」ですごしたという。住んでいたのは石川県の松任で、陸軍の騎馬連隊がいた所だ。ちょうど、その騎馬連隊が行軍していて、だけど、軍馬は時を関係なくウンコをするので、松任市はあっという間に軍馬の糞でいっぱいになったという。この軍馬たちの食生活は潤沢で人間が食べるより高価な大豆とか食べていた。そして、その糞には未消化の大豆が含まれていたのが、この松本外二の人生最初の悪運だったらしい。
 ちょうど、雨が降って来て、糞は流されたのだが、未消化の大豆は残ってしまったのだった。私の祖父は当時5歳、ちょうど、外出していて、腹がへっていたそうだ。そこで、この大豆が道に転がっていたので、喜んでそれを、食べてしまったのだった。食べた直後に道路の橋に流されている糞を見て、 
 あっ

 て思ったがもう遅かった。食べてしまったものは、よほどな拒食症で無いかぎり、吐きはしない。「俺も落ちるとこまで落ちたなあ」と、幼少の祖父は子供心に思ったそうだ。
 後に祖父は唐木机の職人になって大阪の日東町に住んだ。あの通天閣が見えるような所だ。祖父の楽しみは読書で、「唐木机の職人」にはめずらしくドフトエフキーとか読んでいたらしい。稼いだお金は当時最先端だったレコードプレイヤーとかレコードを買っては散財していたという。また、色々な宗教を見て回ったけっかキリスト教を選んで、キリスト教徒になったという。
 それからの祖父は凄かった。自分で教会学校を自宅や公民館などで開催して、看板描きの職人に潤沢なお金を払って、聖書物語を紙芝居にして魅せたという。また、宣教にも積極的で、公園で太鼓をたたいては、子供たちを呼び寄せては聖書の「道徳観念」を説いていたという。
 また、イエス・キリストがハンセン氏病の人と交流していることを知ると、ハンセン氏病の人の施設に行っては、手を握って祈りをしていたそうだ、祖母は感染を恐れて、子供たちの肌の検査に余念がなかったという。
 また、野宿生活を余議なくされている人を、家に向かえては、三度の食事と寝る場所を提供していたという。その噂が広まって、「生活に困ったら、松本さんところに、頼ったらいい」となかば、笑われながら言われていたそうだ。そんな祖父と話しが出来るのは来世くらいしかないので、私は、その意味で来世、「あの世」というものを本気で信じていて、いつしか、会ったこともない祖父と一杯やりながら(祖父は酒ではなく甘等だったが)信仰談義に華を咲かせたいと思うのだった。
 きっと、牧師でありながら、こんな状態でいる私を、祖父は天国から微笑ましく観てくれていると思うのだった。そういう意味で私は「三世」なのだ。ルパン三世の大ファンだから、この「三世」という銘に関しては、とっても嬉しいものがある。きっと、新生ルーテル教会のぶっとんだ、クリスマスのイベントとか、祖父が生きていれば、喜んで参加していただろう。正直言うと、私はほどほどにしてほしいとすら思っているが、二世の父がそれを許さない。嗚呼、今年も、大変なクリスマスを迎えるんだろうな。その前に「花の日」とか「収穫感謝際」とかで色々、こきつかわれるのだろうなと思う。それを視て、祖父は天国でニンマリしているのだろう。
 来世での、祖父との出会いが、とても楽しみなのだむー。
by qpqp1999 | 2013-06-07 19:47 | キリスト教