牧師・漫画家・ミュージシャンの松本太郎のブログ


by qpqp1999

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ロボットギター

 宅急便が届く、最近はアマゾンで買い物してないのに、何だろうと思って出たら、
ギブソンのSGギターしかもロボットギターが届いたんだむー!!!
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 ギブソンのSGギターだったら普通にあります。しかし、この届けられたギターはロボットギターです。どこがロボットかというと、レギュラーチューニングの状態から、ノブで選択することでオープンDチューニングにしてくれる。ペグが自動的に動いてチューニングしてくれるんだむー!!!
 このギターを私に贈ってくれたのは、私が九州学院の美術部で知り合いになり、親友になった友から
のものだった。この人は絵を描かせたら人の100倍は上手かった。油絵とか描かせたら、びっくりするような作品描いていていた。とてもではないが、絵画的には太刀打ちできないなあというのが当時の私の正直な印象だった。
 今でも交流してくれていて、こうやってギターをプレゼントしてくれている。ギブソン社のギターを手にするのは実は初めてだ。フェンダーとかアリプロとかフェルナンデスとかは持っているのですが、ギブソンは初めてだ。しかもロボットギター・・・。私はお酒の瓶を使ってボトルネック奏法で弾き語るのがとりえなので、レギュラーチューニングからオープンDチューニングに自動でしてくれるこのギターはありがたいことこの上ないのだった。
 充電機よ無事であれ!!!
by qpqp1999 | 2015-05-31 18:28 | エレキギター
三位一体主日礼拝説教 ヨハネ福音書3章1-12節
 三位一体というキリスト教の概念ほど解りにくいものはない。そもそも、福音書が書かれた当時、三位一体という概念があったかなかったか怪しいものだ。
 私は生きて来て、この三位一体という概念を色々な話で解説しているのに出会ったがどれも、これも私を満足させてくれるものではなかった。理屈はいくらでも言えるのだけれども、福音書からひもといて、三位一体という概念を語るのはいささか無理がある、というのが正直なところだ。
 今日は特別な主日なので第四福音書たるヨハネ福音書が選ばれているが、この第四福音書こそまさに三位一体の概念を明瞭に打ち出してている書簡として私は注目したい。
 ただ、今日の個所ではそこまで、至っていない。まだ、ほんの序の口である。
 今日の個所はニコデモというファリサイ派の議員が夜にこっそりイエス・キリストに接触する物語だ。ファリサイ派というのは古代イスラエルの第二神殿時代の宗教勢力である。特に70年の神殿崩壊後はその規律を重んじる形として新しいユダヤ教の基となっていった。ヨハネ福音書はまさに、このユダヤ教の基となっているファリサイ派と闘うキリスト教の教会に属しており、正に、この問題と対峙していたのである。
 ファリサイ派は基本的にヨハネ福音書の敵であるが、このニコデモはそういう事情を知っていながらイエス・キリストの魅力に圧倒された人の一人だった。ここで、面白いのはヨハネ福音書においてはイエス・キリストは精々カナの婚礼で水をワインに変換した程度で大した奇跡は行っていないと言う事だ。それよりも、たの共観福音書におけるようなエルサレムに上っていくという構図はなくて、早々にイエス・キリストはエルサレムに行って、神殿で大暴れしているというのがヨハネ福音書だ。
 だから、ニコデモが知っている「あなたのなさるようなしるしを誰も行うことができないから」という部分は矛盾している。ニコデモはカナの婚礼の事件を知っていたか、エルサレムでのイエス・キリストの大暴れを知っていたかということになる。果たして知っていなかっただろう。なのにそう言う。そういう上げ足を取るのはよくないが、これが福音書文学というものなのだ。
 ヨハネ福音書ははなからイエス・キリストの存在そのものが「しるし」であるとして認識しており、ニコデモの他のファリサイ派、議員の目をしのんで、イエス・キリストに面会する場面はヨハネ福音書による巧みな演出なのである。
 ヨハネ福音書における情報としてはニコデモはカナの婚礼のワイン事件とエルサレム事件しか知らなかったことになっているが、その後にイエス・キリストが行う、多数の奇跡を前取りしてニコデモはここに登場させられているというのが正しいであろう。
 前述の通り、ファリサイ派の議員というのはイエス・キリストの敵であり、それ以上でもなれければ、それ以下でもない。それなのに、イエス・キリストと話したくなって、夜陰に紛れて、イエス・キリストの元に来る。
 実はこれこそが三位一体の出来事なのだ。つまり、三位一体というのは概念ではなくて、出来事なのだ。
 三位一体を言葉で語るのはたやすいかもしれない。だが、それを理解し信頼するにはあまりにも、程度が低すぎる。
 たとえば、イエス・キリストに出会った事で、その後の人生の在り方が変わりますか、と言う事が問われている。
 誰だって、自分の人生は自分の意思で進んで行きたいものでしょう。また、そう、あるべきだと思います。しかし、イエス・キリストに出会ってしまったら最後、その方向が変わってしまう。それが今日の聖書個所であり、三位一体の出来事そのものなのです。
 であるので、三位一体というのは概念ではなくて出来事、今これを聴き、読んでいるあなたそのものの人生に影響もたらす、恐ろしい事態なのです。今、これを読み、聴いてしまったあなたは、この時点でイエス・キリストの三位一体の奇跡の現実とつきあわされてしまっている。その事に気づくか否かで、状況はすごく変わってくる。
 気づいてしまった人たちは幸いだと思います。本当のイエス・キリストと対面することができるのですから。これこそが、理屈ぬきの三位一体です。まさにこれは理解や認識ではなくて出来事なのです。あなたの人生に起きた出来事なのです。
 おおよそ人生というのは楽しいことばかりではないでしょう。辛いことも苦しい事もあることでしょう。だから人生なのです。辛い事や苦しいことがあるからこその人生です。イエス・キリストというのは、三位一体をもってして、その辛いことや苦しい事に直接に繋がってくれます。この出来事が三位一体です。
 たとえば、ニコデモは確かにファリサイ派の議員として、地位も名声も無いイエス・キリストに夜陰に紛れて会ったかもしれないが、彼はイエス・キリストからNOと言われます。これこそが三位一体の出来事で一番大事なことではないでしょうか。
 NOと言う。反対すると意識を明白にする。これこそが三位一体の出来事なのではないでしょうか。人というのは弱くて、強い者に押し倒されると、NOと言えない、言われるがままになってしまう。そして、侵略や暴力が起きるのです。そんな事には断固として、NOと言わなければならない、それが三位一体の本質です。
 三位一体というのは単なる宗教の概念ではない、その人の生きざまそのものを指しているのです。
 だからこそ、今日の聖書個所が選ばれている。単に偉い人のニコデモが偉くないイエス・キリストに会いに来たという話しでは終わらない。当初はそうだったが、偉いはずのニコデモが偉くないイエス・キリストの前に頓挫してしまうという出来事、これこそが、三位一体の出来事なのです。
 三位一体というのは理屈で語れるものではない、むしろ理屈で語ったその時点でその議論は終わっている。三位一体というのは、その生き方を変える。それも主イエス・キリストにあってそれを信頼してそれまでの全てを捨てててでも、その主イエス・キリストに従っていく。これこそが三位一体なのです。
by qpqp1999 | 2015-05-30 19:45 | キリスト教

松阪

 私が住んでいる松阪市、この都市は都市だけど田舎で・・・何より価値観が田舎だ・・・。
つまり、乗っている自動車でその運転してる人の素性から地位まで計られてしまうということなんだむー!!!
 そりゃあBMWに乗っていたらお洒落だなあと思ってもらえるし、アウディに乗っていたら、おお、やるなあと思われる、方やベンツに乗っていたら、そのベンツの車種によって、これは「カタギ」の人の通な人だなとか、車種によってはこれは暴力団関係者が二次団体だから気をつけようとなってしまう、しまいにはフォルクスワーゲンに乗っていたら車種によっては「こいつこだわっているなあ」と感心される一方でしょぼいのに乗っていると「この少市民が」とか思われてしまう。田舎ってどうして、その乗っている自動車で乗っている人の人格までも左右するのでしょうか。
 ちなみに私の場合、アバルト500に乗っている。
そりゃあ、尊敬されますね!!!

 道も開けてもらえるし、ゆずってももらえる。どうか、すると駐車場で声かけられて、しげしげ観察されてから、称賛される・・・。前の〇〇〇〇に乗っていた時何か、ブツかってこられたものだから相当な差だ。
 それでも、やっぱり違うんです。アバルトって、デイサービスの軽自動車とか運転していると怖くて仕方ない、加速は駄目だし制動性も全然駄目だ。しかしアバルトになると走っていて、路面の状況が足に直接伝わってくる。加速も16Vの生み出すパワーでどんな大排気量の自動車もそのダッシュには及ばない。赤信号でスタートしたら、まず勝てる相手は中々いない。
 もともとバトルするつもりは全然ないけど、バトルになったら、低速で勝負するものだ。そう言う訳で、私の趣味はドライブだ、だが、レーダーがイカレテしまった。新しいの買わなければ、罰金考えたらレーダー代なんて安いものだ。
 今日も夕焼けにブルーズモビールに乗ろうとする。美しい車だなあ。ほくほく。
 
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by qpqp1999 | 2015-05-29 22:06 | アバルト500

国会中継

 国会中継、とても大変な事を扱っているのに、中々、核心に達してくれる審議は見られなかった。最後の日本共産党の志位和夫さんの質疑はとてもよかった。先ず最初に、完全にアメリカ追従という戦後の日本の政治の方向性を明らかにして、こんな政府を信用して集団的自衛権の問題など任せられるものかと言ってのけてくれた。
 今回の法整備は色々ややこしくて、解りづらい所を志位さんはよく言ってくれたものだ。
 日本が今回の法整備で戦争するんじゃないか???という議論の前提として志位さんは日本が、それがどんなに悪いことでもアメリカが言うのなら、それに従うという日本の政府の在り方を明瞭に示したのだ。これは、解りやすい。特に集団的自衛権の問題について解りやすい。
 どういう状況が揃ったらその法律が通るかというのではなく、アメリカが言うのだったら日本政府は一も二も無くそれに従うではないか!!!そんなものに集団的自衛権など認めさせられるか!!!という解りやすいものだった。
 そして、ベトナム戦争とイラク戦争というアメリカ合衆国がやって来た、先制攻撃戦争に日本はまさに「首のしたまで浸かっていた」と論説を張る。ここで、非情にまた解りやすい例を出す
 トンキン湾事件だ。要するにベトナム戦争でアメリカ合衆国はベトナムから最初に攻撃を受けたので、それに仕返しするためにベトナム戦争がはじまったというような陰謀の事実だ。実は、これは完全なやらせであり、トンキン湾事件の前からアメリカ合衆国はベトナムに先制攻撃かけていたじゃないか。あとになって、実はアメリカ合衆国のねつ造だったという事がハッキリする。この時も日本は全面的にアメリカ合衆国に全面的に協力した。
 次に志位さんが持ちだしたのがイラク戦争だ。これなら、覚えている人も多いだろう。「大量破壊兵器をイラクが持っている」といちゃもんつけて、先制攻撃した戦争だ。結果としてイラクは大量破壊兵器持っていなかった。なのに、そんな、いちゃもんで戦争初めてしまって、日本も全面的に協力した。
 細かいことはもう、議論してもよけいに惑わされてしまう。要するに集団的自衛権というのは、今、世界一我がままなアメリカ合衆国がベトナム戦争やイラク戦争みたいなのをはじめたら、日本政府は一も二も無くそれに追従して、今回の法整備を用いて戦争するに決まってるじゃないか!!!という事をハッキリさせてくれた。
 ある意味、これを知ってしまうと本当に背筋が凍るような思いがする。色々理屈や綺麗ごとはたくさん並べるけれども、結局はアメリカに追従して戦争するんでしょう!!!という事だ!!!それが今回の集団的自衛権ですよ!!!
by qpqp1999 | 2015-05-28 18:37 | 政治

暴力団排除条例

 皆さまは暴力団排除条例というのをご存じだろうか。
文字通り、暴力団をこの世の中から排除する条例で、
今やほとんどの都道府県がこの条例を用いている。
 私の住む松阪の「歓楽街」たる「愛宕街」の入り口に、警察と愛宕街の共同のこんな文言がでっかく書かれている
暴力団を恐れない
暴力団にお金を出さない
暴力団を利用しない
暴力団と交際しない

とか書いてある。これが暴力団排除条例の一般市民に課された課題だ。
 例えば、暴力団もアホではなくて、賭博、売春、麻薬、恐喝、といった事業だけで収益を上げているのではなくて、「フロント企業」というものを用いて暗躍している。この「フロント企業」とは見た目普通の企業なのだが、実は暴力団が経営していて、例えば、建築業だったりすると、注文は請け負うが、実際の施工は「カタギ」の企業に流してその手数料を稼ぐというものだ。
 実はこれ、最近多いんだそうだ。さすがに賭博、売春、麻薬、恐喝だけでは喰っていけなくなった暴力団の実態を厳しく取り締まる条例だ。例えば、同じ建築業のゴルフコンペなんかで、暴力団のフロント企業だと知らずに、その人たちと交流してしまったカタギの人がいた場合。これは暴力団に対する利益供与ということで、暴力団排除条例に従って、警察から関係者、特に金融機関などに、その企業の名称が公開されてしまい、ついには融資も断られて、倒産に追い込まれるカタギの人もいるそうだ。
 それくらい、この暴力団排除条例というのは強力に暴力団というよりは、一般のカタギの人にのしかかる仕組みになっている。ここでのキーワードは
 「暴力団と知りながら」
恐れた、頼った、利用した、交際したである。この最後の交際したというのが一番大変で、暴力団と知りながらお付き合いをごるふコンペであってもしたら、この条例に違反してその企業は責任とらされるのだ。
 もっと身近な話で言うと、暴力団の
ベンツとかクラウンとかリンカーンコンチネンタルとか
 駐車場にとまっていたら、それを見過ごしてはならないということだ。断固として拒絶しなければならない。だけど相手は暴力団です。ベンツですクラウンですリンカーンコンチネンタルです。恐ろしいです。どうしますか!?!?!?
 その時のために警察はいるのです。迷わずに110番しましょう。
「すいません。うちの駐車場に暴力団の自動車がとまっていて困っています」
 と一言通報すればいい、暴力団排除条例のしかれている都道府県であれば、お巡りさんは間もなくやってくることだろう。ただし、サイレン鳴らして急行してはくれないので注意だ。ゆっくり、法廷速度にのっとってしか、お巡りさんはやってこない。それが暴力団排除条例だ。
 市民が暴力団の矢面に立たされて、暴力団を恐れずに闘わなければならない。それが暴力団排除条例だ。
by qpqp1999 | 2015-05-27 19:15 | 警察
 今日5月26日は、いまからちょうど70年前に、大日本帝国陸軍参謀本部が、
散々、沖縄の人々も勝ち目のない戦争に強制的に参加させて虐待した挙句に、戦局を見て、沖縄の人々を突き放して、見放した日だ。
 1945年3月18日からはじまった、この沖縄の民間人、老人から子供までを、非情な戦争に強制的に参加させた忌まわしい大日本帝国本土戦は、散々な犠牲を自ら出しながら、結局二ヶ月で、放棄するという非人道的な結論を沖縄の人々におしつけたのだった。
 大日本帝国海軍部隊である沖縄方面根拠地隊はその後も戦争が終わるまで沖縄の子供から老人まで、男女を問わず民間人を巻き込んで戦争を続けた。
 戦争が終わって沖縄はどうなったか。1945年から沖縄はアメリカ合衆国の占領の憂き目に会った。それから1972年に沖縄はアメリカ合衆国から日本に返還された。私もリアルタイムでその事を覚えている。信号機が変わったり色々大変だなあと子供の私は思っていた。
 ところが事態はそんなものではなかった。そもそも何でアメリカが沖縄というアメリカ合衆国にとって都合のいい前線基地になる占領を手放したか。そこにはアメリカ合衆国と日本国との取引があったのだ。沖縄は日本国に返してもらう。その代わりに、有事の際には、日本全国の様々な基地からアメリカ軍は出撃してもらって良いという、とんでもない密約を交わしていた。その代わりに沖縄に配置している
「核兵器」は引き払う
 という密約だ。日本国は沖縄にたくさんの資本をつぎ込んで、都市をその後、整備していくのだが、結局、アメリカ軍の駐屯はそのままになった。沖縄の人たちは、今、現在でも、ずっとこの苦しみを続けている訳だ。大変に残念なことだし、昨今のネット端末の発達した現代日本だ。なら、それを使って、沖縄に駐屯しているアメリカ軍に対してNOを発信するべきだろう。そうやって、最小限の力でいいから何等かの形でコミットしないと駄目なんだと思う。もう政治の現場でその矛盾が起きている。沖縄知事、知事ですよ!!!その沖縄の民意そのものが、日本国政府と対立している事になっている。
 せっかく発達したネット端末を皆が持っているのだから、これを沖縄の人と、共にあらんとして使うことは日本国民として大事な事なんじゃないかと思う。
 
 
by qpqp1999 | 2015-05-26 18:59 | 戦争

動物虐待

 今、ツイッターである画像がりツイートされている。動物虐待の現場の画像だ。たまたま、私が色々ネットを眺めていたらさっき出てきた、びっくりしたというか、ショックだった。
 二人の若い男性が仔犬を首つりにして、ゲラゲラ笑いながら中指をつきたてている画像だ
その画像UPしていた人は、これは酷いと言ってHPやツイッターやフェイスブックで拡散してほしいと書いていたが、とてもじゃないが、あまり見たくない画像なので、このブログではupできなかった。
 ネット端末があれば、「仔犬」「首つり」で画像検索すれば、今ならトップで出てくるはずだ。本当に酷い・・・。この仔犬はどうなってしまったのか、とても気になる。世界規模でこの画像は拡散しているらしい。この二人は思いっきり顔バレしているので、知り合いが観たらすぐに、あいつだと解るはずだ。
 解った人はすぐに、その仔犬がどうなっているか確認してもらいたい。そして、警察に逮捕してもらいたいと思う。
by qpqp1999 | 2015-05-25 19:15 | インターネット

聖霊降臨祭

 今日は教派を問わずキリスト教教会で聖霊降臨の記念礼拝が行われただろう。私は赤のストラ←なかなか使用することがない←これは日本福音ルーテル教会から授手礼の時に授与されたもので、大切にしている を着用した。
 聖霊降臨てなんのこっちゃと真剣に問われると、今一つ上手い説明が今でも出来ないのが私だ。だって、現代社会を生きる私たちには聖霊なんて見えないし、風みたいに作用すると言われてもそれが、風か、聖霊か判別のしようがないからだ。
 キリスト教の神様の概念で
「父と子」
っていうのは、なんとなく解るんだけど、
「聖霊」
ってなると、よく訳が解らない。
実は、この「聖霊」について言及しているのは使徒言行録とヨハネ福音書くらいのもので、他の福音書では全く描かれていない!!!まあ、間接的に描写していると言えばそうだと言えるのかもしれないが無理がある。
 はっきり言って、使徒言行録も神話の一つです。弟子たちが、凄い風の音と共に顕れた舌のようなのに取りつかれて知らない外国語で話し始めたというエピソードは史実ではなく神話だと考えます。あるいはルカの意中にある執筆構造の中に留まるものだと考えます。
 そりゃあ、聖霊が働いてくれて私の説教を助けてくれればいいですよ!?!?だけど、実際には私が一生懸命ギリシャ語の聖書訳したりしながら、汗水たらして書くわけですよ。その過程に聖霊が働いているというのなら、仕方ありませんが、そうなら、もうちょっと私が楽できるように説教作るその時に聖霊がピシッと働いてくれることを願うのです。ですが、そんな事はありません!!!
 そう言う訳で、赤いストラはしばらくお休みで、緑のストラが中心になります。この赤いストラ、鳩の模様が刻まれていて、お気に入りなのです。しかも、前田貞一先生の厳選によって、妻帯する司祭のつけるストラとして、細いものが選ばれている。昨今のルター派の司祭様たちは、妻帯しているのに、太いストラを着けている!!!これは間違いです!!!太いストラは妻帯しない聖職者のみに与えられるものなのです!!!

 
by qpqp1999 | 2015-05-24 17:51 | キリスト教

ブログ

 今日のブログ書こうと思って大分書いたところで、資料を検索して窓を閉じたらブログごと消えてしまた。もう、やる気がありません。すいません。なにしろ、明日は「出会い」という町内会の溝掃除しに行かなければならないので、睡眠障碍である私はもう、そろそろ寝ないといけない。すいまん・・・。
by qpqp1999 | 2015-05-23 19:25 | キリスト教

暴力

 キリスト教教団という団体における
「暴力」というのは、皆が想像しているよりはるかに酷いものだ。

 私の両親と妹や弟はその暴力にさらされた。私もだ。そして両親は立ち向かった。
私は両親を見て見ぬふりすることが出来ない年齢、高校三年生に達していたのと、高校の担任の先生が、事情を知って、一言、「太郎牧師になれ」と言って推薦状出してくれたので、私は今、こうして牧師として立っている。
 しかし、そのキリスト教教団の暴力の傷跡とノイズは今でも深く続いている。私はうちのめされているが、もっと、もっと苦しまなければならない。そして、もっと、もっと研ぎ澄まされなければならないと思うのだった。
by qpqp1999 | 2015-05-22 21:07 | キリスト教