牧師・漫画家・ミュージシャンの松本太郎のブログ


by qpqp1999

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対象14年

 大正14年生まれ。88歳の父がついに、パンチパーマをあててきたむー!!!
 このブログを長く読んでおられる方には記憶に新しいと思う。
パンチパーマ、ヤングパーマの看板が聳え立つあの理髪店の画像を!!!
 遡って観て観てください。なんとネット社会のすごいことか、この理髪店の店主さま直々に書き込みがあったのだむー!!!書き込みによれば、実際三重県でもパンチができる理髪店は少なくなっており、遠方から人づてにこの理髪店に来るお客さんもいるということだ。
 今日は引っ越してきた宣教師さんの訪問があるということで、父のヘアカットをお願いしに、この美容院に行ってきたのだむー!!!はたして、
パンチの店主さまキタむー!!!
 自分で自分にパンチをしているのだから、その技術は相当なものだ。それも、ただのパンチではない。モヒカンパンチとでもいうか、側面は短い毛髪をパンチにしてあって頭頂部から後頭部にかけては長めのパンチになっている、しかも後ろだけ直毛で金髪にしてある。
 芸術とは、本当にこのことだむー!!!
 そこで、父はパンチこそあてなかったが、後頭部を軽くアイパーしてもらったのだったむー。すごい技術、88歳の父親がなんかカッコいいむー
 その美容院、理髪店の名前は県内でも知られるヘアーサロン・ジンブだむー!!!みんな画像を観るむー!!!女性も是非このヘアサロンに行くむー!!!
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by qpqp1999 | 2013-05-31 19:49 | 美容

対して言おう

 先日NHKの番組、観ていたらAKB48をプロデュースしたことでも有名な秋元康の講演会がやっていた。彼が言うには何かをプロデュースするというのは0から何かを見つけるのではなく、0.1を1にすることがプロデュースだという。その
「0.1を1にする」というのには大賛成だ。
 しかし漫画家の場合、プロデュースするのは編集者であり、創作は
0から0.1を創りだすことが求められるのだと考えている。
 いいですか、0です。もちろん、色々な映画や漫画を観て影響受けることが0.1なのかもしれないが、私的には、それはあたらない。私の場合、最初から1の時もあれば、映画とか観ていて、全く関係のないところで0.1が思いついたりする。そこが、作家とプロデューサーの違いではないかと考える。
 後、漫画を連載していると、自分が創ったそのキャラクターが勝手に動き出すという現象がよくある、絵コンテを書いていて、こちらは何も考えてないのに、キャラクターが私の目の前でアクションを起こすのだ。きっと、作家にとっては、それが0.1なんだと思う。それを、どうやって1にするかが問われてくるので、ある意味、漫画家は根幹にいるプロデューサーでなくてはならないのだ。
 実は私は秋元康はあまり好きではない。なんだか、欲深いの爺サンが、その権力で、はじけるような少女たちを、体育会系みたいな感じで好き放題いじくっているような風に見えるからだ。「恋愛禁止」なんてもっての他だ、その年ごろの女子は恋愛してこそ、輝くんぢゃないか。それをご法度にしている。
 そんなところに0.1見出そうというのだからたいした人だ、呆れてしまうというのが正直なところだ。 
先日、AKB48の誰だったかが、お泊りをしたために、レギュラーから外され、丸刈りにして涙して謝っていた動画が忘れられない。彼女はごく普通に普通のことをしただけだ、そういう意味ではAKB48の御法度ってあるいみテロに関わったアフガニスタンののタリバンみたいだ。「女はかぶりものをして、顔を夫以外に出してはいけない」という類いのやつだ。だって視聴者とか、ファン以外には、恋愛対象、性愛対象として出てはいけないんだろう!?!?!?
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by qpqp1999 | 2013-05-30 18:48 | 漫画

マック

 マック
と言ってもAppleのコンピューターマシンではない方のハンバガーうってるマックの方だ。関西では「まくど」とか言われているらしい。
 そこで、私の昼食はデイサービスの務めを果たした後の2時過ぎにこの
マクドナルドでするのだった。
 驚いたのは、私は極端なネギ、玉ねぎ嫌いなので、「すき屋」とか「松屋」とかでの牛丼は不可能だと思っていたら、そんなことはない、ネギぬきの牛丼が出るという、反対に肉ぬきの牛丼(それは牛丼ではなくネギ丼だ)も出るらしい。さっそく、こんど試してみようと思っているが。
 今日のマクドナルド。日頃、チーズバーガーのオニオンカットばっかり食っていて、肉の量が少ないと感じていた私にはぴったりのメニューがあったむー!!!
その名もマックダブル・・・
つまり、お肉が二倍になっているというものだ、正直
 美味かったむー!!!

 ところが悲劇はその直後に起きた。あ れ だ け オニオンカットと 言って いたのに ガブッと食べたら、シリヤリっという音をたてて、その玉ねぎは襲ってきたむー!!!!そんな状況は耐えられないので、カウンターに「これ食べかけで悪いんだけど」と言いながらクレームしたら、「はいっすぐに、作ります」といって
形がガタガタのマックダブルをくれたむー・・・
 「すぐに」ぢゃなくてもいいから、丁寧に作ってくれむー・・・。しかしお肉が二倍になると、ちゃんと牛喰った気がするねいむー!!!
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by qpqp1999 | 2013-05-29 19:35 | グルメ

NHKオンデマンド

 私は夜、早く寝ないとだめなので、大河ドラマ今年の「八重の桜」はスペンサー銃を手に新政府軍と果敢に闘った、女性で、後に、クリスチャンになって、しまいには看護師にまでなった新島八重の物語だから、見逃せないので、オンデマンドで一週遅れで観ている。今回は鳥羽伏見の闘いの初戦だった。
 幼少の頃から、新撰組が好きで、このあたりの歴史にはけっこう強い方だと、自称しているが、なんで、銃の性能を充分に知っていた会津藩や新撰組が、火器におとる闘いをしたのか、謎だったのだが、今回の放送でなるほどと、解った。「八重の桜」の解釈では、会津藩には銃器の専門家(主人公の兄)がいたのだが、性能にまさる新式銃を欲したために、その銃の到達が遅れてしまい、鳥羽伏見の闘いの初戦に銃が間に合わなかったということになっている。それなら、確かに、納得がいくのだった。
 新撰組でも銃の威力はしっかり把握していて、屯所には新式銃が飾られていたというのは有名な話だ。それでも、銃での闘いは戦争であって、新撰組が担当していたのは治安維持で、そのためには剣が必要だったということだ。池田屋事件がその新撰組の成功を見事に証明している。
 しかし、どういう訳か、薩長連合と幕府軍のとの闘いに、まきこまれると、それは「戦争」であり、火器の勝る勢力が勝つのは必至だったのに、新撰組は突撃していったという話しに首をかしげていたが、「八重の桜」では斎藤一が、「回り込んで斬り込むぞ」と言って、敵陣の左側から潜入して、斬り倒すというシーンがあったのには、拍手ものだと思ったのだった。
 いくら、なんでも、新撰組はそこまで馬鹿じゃないよね。剣でどれだけやれるかが、彼らの務めであって、闘いがすでに銃撃戦から始まり、その結果によって戦局が変わるということは新撰組にも痛いほどわかっていたはずだと、考えていたところなので、今回の「八重の桜」には、大いに満足したのだむー。
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by qpqp1999 | 2013-05-28 18:39 | 歴史

エクソシスト

 エクソシストといえば、70年代の爆発的に売れた映画を思い出す人がほとんどだろう。しかし、このエクソシストが本来ギリシャ語からきていることは意外に知られていない。ラテン語ならまだわかるのだが、これがギリシャ語だということは、この「悪霊払い」もっと正確に言うと「祓魔師」である。この行事はかなり古い時期おそらく1世紀から2世紀の間に行われていたことがわかる。
 皮肉にも、この映画のおかげで、現代では、ほとんど形式化されていたものが、表舞台に立つことにすら繋がってしまった。基本的にこの「祓魔師」「悪霊払い」はそれなりの条件がそろわないとカトリック教会では行うことが許されていないし、プロテスタントの教会でそれをやっているのは、かなり特別な場合だけだ。なぜなら、「統合失調症」の症例に特有な幻覚、幻聴が顕著であり、それに苦しむ人が多いからで、その「精神科疾患」にキリスト教としての宗教側からは基本的に祈り、生活の座を共にすることからしか、その改善はみられない。「エクソシスム」の儀式を執り行ったからといって、その精神状態が良好になるかといえば、決してそんなことはなく、かえって悪化する恐れがあるため、この行事は軽はずみに行われるべきではなく、医学的に徹底したバックグラウンドがなければ、それは無効であるどころか、悪化を招くというのが私の考えだ。
 そこで、驚いたのは、「釜ヶ崎」で活動している、バチカンから聖書神学の教授として招聘を受けたのにそれを断ってまでして、その現場に自身の生涯をかけている本田哲郎司祭が、この「エクソシスム」をしたことがあると、その著書で書いていたことだ。尤も、この司祭は「エクソシスム」の階位をバチカンからもらっており、そのへんの新興宗教みたいな福音派とちがって、正統的なカトリックの司祭として、それを行うお免状をもらっている人だから、文句言えない。ところが、彼の記述によれば、彼はたいして、悪霊とか悪魔とかいるとかいう認識はなく、むしろ、その「エクソシスム」の現場で祈りを共に唱えてくれる被害者の友人たちの手、と祈りがとどくのだと言う。
 悪魔というのは、悪魔に見えないから悪魔なのだ。映画「エクソシスト」くらいはっきりと悪魔みたいに、首を360度回してくれたり、緑のゲロを吐きかけてくれて、空中に浮かんでくれたら、そりゃあ、確かに「悪霊」だ「悪魔」だと断定できるけれども、大概の場合はそんな超常現象みせなだろう。もし、診せてくれるなら、私も喜んで、「エクソシスム」をやろうではないか。しかし、実際のところ、悪魔というのは、まるで天使のように、清らかで不自然ではなく、あたかも、それが善良の目印となるが、ごとくに私たちの前に現れるものだ。そして、大抵の場合、それは、教会組織の役員や教職によって構成されているものだ。それくらい、本物の「悪魔」「悪霊」というのはキリスト教の中心部に根深く、関わっているのだと思う。
 映画「エクソシスト」みたいに 悪魔 悪魔 してくれれば、私たちも手の打ちようがあるが、残念ながら本物の「悪魔」とか「悪霊」というのは、まさに「キリスト教教会組織の上層部に君臨」しているものなのだ。そして、大概の誠意ある牧師や司祭は無力である。真の「エクスソシスム」はその時点で行われなければならないし、それは、そういうキリスト教権力者を討つことに臆さない人にしか、その資格が与えられないものだと思う。今日、漫画のネームを練っていて、そんなことを考えた。
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by qpqp1999 | 2013-05-27 18:30 | キリスト教

ルーツ

 私は物心ついたときから、漫画を描いていた。最初に描いたのはミッキーマウスだそうだ。今でも、両親が3歳くらいの私の描画力にびっくりして、わざわざ私の絵を年賀状にプリントしたほどだ。
 私が覚えているのは のらくろ を一生懸命に描いていたというところだ。そういう、記憶をたどっていくと、私はいろんな作家からその描画力に影響をもらっている。仮面ライダーの石の森章太郎、マジンガーゼットの永井豪、何故かどらえもんは入ってない。そしてルパン三世のモンキーパンチこと加藤 一彦、そして、そのアニメの作画監督の大塚 康生(この人は「カリオストロの城」以降もルパン関係を描いている、特に「風魔一族の陰謀」では監督している)だ、そして小学生3年生くらいになった頃、私に衝撃をもたらしたのが
 スヌーピーだむー!!!これはチャールズ・モンロー・シュルツによる四コマ漫画なのだが、どういうわけか、私はこの漫画にすっかりはまってしまったのだむー!!!
 当時、自作の漫画雑誌でスヌーピーの盗作みたいな、犬がネズミになったような感じの漫画を描いては教室のみんなが回覧していた。
 そのあと「男組」の池上 遼一、「愛と誠」のながやす巧そして、「嗚呼、花の応援団」のどおくまんくらいで小学六年生になった。中学生の頃は松本零士にすっかりはまっていた。江口 寿史、高野 文子で高校生時代を過ごし、作風としては宮崎駿に流されたのだった。これだけ画風の違う人たちの模写というか、オマージュをしてきて、最終的には「アキラ」の大友克洋でとどめを刺されたような感じだった。80年代の作家さんたちは、失礼だけど、私に影響は多少与えたものの、私的には、ちょっと白々しい目で読んでいた。その十年後に私は講談社のモーニングからデビューすることになった。そして、今の私がある。
 アマゾンで販売されている「ストレイキャット」(モーニングの週刊連載)のレビューは五つ星で、よく解説されているものだ。私が目指す絵はアメリカンピンナップみたいな、リアルなんだけど、どこかおぼこい絵で、そのためには、自分でミケランジェロのデッサン観ながら、粘土で人体模型も作ったものだった。今年はいよいよ、崖っぷちに立たされていて、どうにかして、聖書を漫画にしなければ、後がない状況だ。現在連載中のノブナガールは私にとっての新たな発見の作品になった。編集サイドには申し訳ないが、この原稿執筆において、CGで全ての工程を経るということが、いかに大変なことで、それが通用するためには、いかに努力が必要かを知らしめてもらったのだったむー。もちろん、この作品は私の、第二期の代表作品になることは間違いない。今日も、ひたすらに、絵コンテの構想を練っていたのだった。この作品は是非とも成功させたいとおもっているむー。
 しばし、ご覧あれむー。
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by qpqp1999 | 2013-05-26 18:57 | 漫画
三位一体主日礼拝説教 ヨハネ16章12-15節
 キリスト教の教義である、三位一体。おそらく教会学校でこれを教えるのは無理があるだろうと思う。私は牧師を二十年以上しており、色々な牧師の解説を聴いてきたが、どれもこれも、とってつけたような感じだった。たとえば「太陽が父なる神で、光がイエスで、その明るさと温度が聖霊」だとかいう類いのものだ。
 しかし、教義信条的に言うならば三つの位格でありつつ一つである、というのが正しい理解だ。しかし、この三つの位格とは一体何であって、それが、どういう訳で一つになるのかという解説は、屁理屈こねたような話しか聴かなくて、そうであれば、そんなものに、そうそうこだわることもないだろうに、とすら思ってしまうが、そうは、いかない。312年のミルウィウス橋の闘いでローマ軍の軍旗に十字架が掲げられ、その当時のローマ歩兵、コホルスはスクトゥームと呼ばれる長方形の盾ではなく、丸い盾を使っており、キリスト教サイドのコンスタンティヌス軍はこの盾にἸησοῦ Χριστοῦイエソウ クリストウというイエス・キリストの文字からΧとρをとって、これはキーローと読めるのだが、それを掲げたのだった。そして、勝利した。
 史上初めて、公認宗教となったキリスト教はおよそ200年間弾圧されていて、地下的的に組織され、宣教されていたものだから、実際、堂々と表舞台にたったと思って、ふたを開けてみたら、教義信条がまちまちで、ひどく差異があったため、時の皇帝コンスタンティヌスは頭をかかえてしまったのだった。そこで325年に開催されたのが、ニカイア公会議である。これが史上初のキリスト教の総会であった。そこでも、混乱が起こった、確かに三位一体を信条とする教会がたくさんいたが、その理解の仕方がまちまちで、ここでも非常に差異があったのだった。
 正確な事を言うと、今日ですらも、三位一体というのは、その信徒、一人一人において、理解が違うだろう、実際のところ、カトリック教会、聖公会、ルター派は今日は、この三位一体主日ということで、色々な話が出されるであろうが、その、理解、解釈は三つの位格にして一つということでは一致するかもしれないが、その解説については右から左まで大幅に違いを見せるだろう。正直なところ、三位一体というのはそれくらい無理のある教義信条なのである。
 それも、そのはずで、福音書記者たち、マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネとも誰も三位一体なんていう概念を持っていなかったというのが事実だからだ。その一方でヨハネ書では特にπνεῦμαプネウマという「霊」とか「風」とかいう特殊なイエスの死後の父なる神からの働きかけがあると今日の個所で強調している。しかし、こうなると、父なる神、子なる神、聖霊なる神という三神論になってしまって、真のユダヤ教であるはずのキリスト教で、一神教であることが求められる、キリスト教にとっては非常に都合が悪いので、強引にこの三位一体という教義信条を選択せざるをえなかったというのが正確なところだろう。
 そのため、現在でも牧師や司祭によって、この三位一体という教義信条の理解はものすごく異なっているのが現状だ。であるので、あえて、この三位一体ということを解説せずに今日の個所に取り組むことで、糸口を見出そうと考える。
 「あなたがたには理解できない」と訳されているδύνασθε βαστάζεινドゥーネセん バスターデインは、どちらかと言うと「耐えられない」という意味の方が強い言葉である。「理解できない」だと思考の範疇に留まってしまうが「耐えられない」だと一気に生活の座につながるのではないかと考える。πνεῦμα τῆς ἀληθείαςプネウマ テース アレセイアスは新共同訳では「真理の霊」と訳されていて、「真理の霊がくるとあなた方を導いて心理をことごとく悟らせる」となっている。これもまた、あやふやな訳で、「真理」なんて言われても、それ自体が一体何なのかよくわからない。しかし、ἀληθείαςアレセイアスは「真理」というより「真実」というほうが、より意味が強い。
 なるほど、私たちは時に行き詰まり、希望を失い、すぐ前にある現実に打ちのめされることがあるはずで、到底、私たちはそのような現実に「耐えられない」のだが、なんとイエスの「霊」は「真実」を持って、私たちに臨んでくださるというのだ。
 大抵の場合、大人の社会でも、「いじめ」の構造があって、それはキリスト教会の組織内ですら健在だ。そういうことだから、子供たちの間で「いじめ」が絶えないわけだ。なにしろ、大人の社会がそれをしているのだから。しかし、まさに父なる神、子なる神はその真実をもって臨んでくださる出来事として、この「霊」という言葉を理解してよいのではないかと思う。少なくとも、ヨハネ書においてはそのように理解されていると考える。
 つまり、三位一体というのは、理屈で考えたり、信じたりするものではなく、私たちの生活の座に活き活きとしたものとなって、初めてその三位一体の実体が発現するのである。これは、解釈したり、信条の問題ではなく、私たちの生きる、その在り方についての方向性なのだ。それが、現実のものとなった時、確かに、父なる神、子なる神、聖霊なる神はそれぞれ三つの位格でありながら一つの実体即ち、私たちの生きる在り方として発現するということで理解しなければ、教理、心情的な理屈をいくらこねても、あまり意味が無いであろう。むしろ、私たちの生活にそれが現れたなら、まさに私たちは三位一体の真の出来事に遭遇するということが、このヨハネ書では展開されているのである。
 「その方は私に栄光を与える」とイエス・キリストの神性がここで述べられる。イエス・キリストの神性とは一体、何なのか、神性となるとあまりにも抽象的というか、哲学的すぎて、あんまりしっくりこないところなのだが、そこはヨハネ書は逃さずに書いていいる。「その方は私に栄光をあたえる。私のものを受けて、あなたがたに告げるからである」という部分である。前述の通り、私たちが「耐えられない」状況になった際に、主イエスキリスト、「父のもとに行」くイエス・キリストはその「霊」を通して、私たちに、行動と在り方を即し、そこで栄光が主イエス・キリストに輝くというのだ。
 「父がもっておられるものは、全て私のものである。だから、私は『その方が私のものを受けてあなたがたに告げる』と言ったのである」なるほど、私たちの生活の座において、私たちは「霊」の働きにより、「耐えられない」状況にあえて、主にあって立ち向かい、それこそが父と子と聖霊の三位一体の発現となることが、示されているのである。
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by qpqp1999 | 2013-05-26 12:03 | キリスト教

脅し

 私は合計で四機のパソコンを使っている。メインマシンは一番古い、XPのやつだ。あとは7ばかり、こないだ新調したノートパソコンは中々の性能で使いごこちがいい。しかし、ネットにつなげると、一番厄介なのがこのマシンでもある。同じインターネットに接続しているのに、そのマシンのスペックとか何やかんやにつけて、変わってくるんだなということが、わかったむー。
 何しろ、この一番、新しいマシンは、インターネットにつなげたら最後、
「あなたのパソコンはクラッシュ寸前です。今すぐダウンロード無料」
とか、脅し文句をつけては商売しようとしている輩がいるのだ。その他のマシンではおなじファイヤーフォックス使っているのに、そういうアラームは表示されない。新しければ新しいほど、そういうのに特化するんだなと思った。だけど、何を基準に「クラッシュ寸前」とか脅してくるのだろう。
 他にも脅し文句のアラームが絶えない。「あなたのパソコンは処理速度が落ちています。今すぐ、無料でダウンロード」とかある・・・。
 それじゃあ、何だってウィルスに感染している私のメインマシンではその、アラームが表示されないんだむー!?!?
 まったく、なにが「クラッシュ寸前です」だむー!!たちの悪い、人の弱みにつけこんだ詐欺とはこのことだむー。
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by qpqp1999 | 2013-05-25 18:21 | インターネット

朝鮮語

 ずっとYUOTUBEとかネット関連に頼っていたが、とうとうCDが欲しくなって、 
少女時代の最新アルバムを買ってしまったむー!!!
 私のお気に入りは、一番最年少のソヒョンちゃんなのだが、実際にCDというか、写真集が届いた時には、その写真集を観ると、誰しもが、メイクがきつすぎて誰が誰だかわからない状態になっていたむー。
 しかし、改めて動画ではなく、音楽だけ聴くと、朝鮮語というのは、綺麗な言葉だということに感動する。そして発見したのは、少女時代の作品はどれをとっても、音だけで充分に人々を魅了させる実力があるところであり、AKB48みたいな体育会系の「締め付け」が無いせいなのか、(あるかもしれないが、感じさせない)ところが、非常に実力を示していると感じるのだった。楽曲も悪くない、というか、すごくいい。
さすがにアメリカのビルボードに128位に入っただけのことはある(これは厳密には「少女時代」ではなく同メンバー・ソヒョンを含むユニットなのだが)。AKB48ですら、ビルボードに入っていない。音だけで聴いて、これだけ納得させるのだから、この写真集のついたCDを直輸入で五千円も出して買って、よかったと思うのだったむー。
 これからしばらくは、私の説教の表紙にはソヒョンちゃんが出続けることだろう・・・。
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by qpqp1999 | 2013-05-24 21:05 | アニメ

虫ごめん

 先日の大阪大返しは高齢の父が階段とか電車まちとか、徒歩とかあって負担かかるので自動車で行った。さすがに今までと違って、高速とか乗ると、これがいいんですね。○○○キロくらい出してもみた。周りの自動車が止まっているみたいだった。だけど、自動車は揺れることもなく、道路にピタっとひっついているかのように、安定して走る。
 そしたら、甲賀あたりで山の中になったら。
バシ バシ バシ と言う音をたてて、あっという間にフロントガラスが滴みたいなので一杯になったむー!!!
ウォッシャ液吹きかけて、ワイパー全開にしても、とれない。大阪についてからみたら、ミラーもその滴でえらいことになっていた。この滴は山中を飛んでいた虫たちだ。
 うう、私は悪気はなかったむー。ちょっと長い直線だったから、ターボチャージャーの威力をみたかっただけだむー。虫たちごめんなさいむー!!!
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by qpqp1999 | 2013-05-23 19:10 | アバルト