牧師・漫画家・ミュージシャンの松本太郎のブログ


by qpqp1999

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中年

 なんで私の同級生はみんな中年デブばっかりなんだむー!?!?!
 恐ろしいことに、同級生だけではない、数年下の後輩までもが、みんな中年デブばっかりだむー!!!カッコイイ人がほとんど一人もいないむー!!!みんな、頑張ってくれむー!!!
 私一人がどんなに頑張っても仕方ないむー!!!みんなダイエットとかエクササイズするむー!!!通販テレビを見れば、四十代、五十代の二十歳代くらいに見える人が出ているむー!!!この人たちは、この番組のサプリメントを飲んだからといって、若返ったわけではないむー!!!もともと、こういう姿形をしていただけのことむー!!!それをダイエットとか美容業界の人間が利用しているだけのことだむー!!!
 みんなダイエットとエクササイズをするむー!!!
何より、デブが伝染しそうで怖いのだむー!!!
by qpqp1999 | 2013-02-28 19:19 | 美容

2月

 なーんで2月は28日までしか無いんだむー!?!?!?怒!!!
 一日一日を刻々と〆切と闘っている漫画家にとっては致命的だむー。普通の月より三日も少ないじゃないかむー!!!!三日といえば、週刊ペースで連載している作家の作業日に匹敵する日数だむー!!!これでは、今月中の絵コンテの入稿とOKは無理ぢゃないかむー!!!
 誰か、この三日間を返してくれむー!!!
by qpqp1999 | 2013-02-27 18:36 | 漫画

日本基督教団の罪

 いつもの、おちゃらけた書き込みを期待している人には申し訳ない。めずらしく、真面目な投稿をしている。
 それは今日結審された北村慈郎先生の告訴の件だ。
 当初わたしは、この北村先生がオープンコムーニンオン。即ち、キリスト教において、洗礼を受けていようと、いまいと関係なく、聖餐式でパンと葡萄酒に与かれるというものが問題にされていると思っていた。ところが、どっこい、そうではなかった。そもそも、罰の順序がめちゃくちゃだ、普通は戒告 訓告 停職 免職 懲戒免職とかいうことになるのであり、また、そういう牧師は大抵の場合刑事事件において、有罪になった人である。だが、今回、いきなり懲戒免職にされた北村先生にはその手順がふまれなかった。
 ここで、根深く日本の社会に刺を刺しているのは学生紛争時代に遡る。北村先生は、政治勢力ではなく、学生側におられた。横浜の紅葉坂教会では岸本洋一先生がオープンコムーニオンしてた。そもそも北村先生が着任した紅葉坂教会でのスタンスを受け継いで、オープンコムーニオンを実施したのだった。
 しかし、それを利用しようとした者が現れた。それは、学生紛争時に北村先生が、東京神学大学側ではなく、学生側についていたことによる。普通は、そのような関係の人を排除する方向に向かうのだが、北村先生は違った。むしろそういう志ある人たちこそを牧師として育成すらしていた。
 それが、教会保守層の勘に触ったのだ。まるで、サンヘドリン対イエス・キリストみたいだ、
 しかし教団は北村慈郎個人に問題を向けた。はっきり言うが、オープンコムーニオンしてはいけないという決まりは日本基督教団には無い。しかも、北村先生を訴えたのは、この教会の信徒ではなく、反東神大学に嫌悪する信徒集団であったということは見逃せない。教会が総会において決議したことなので、個人の問題ではない。教団の規則の中にオープンコムーニオンしてはならなという規則はない。よその教会の信徒たちが、役員をしていた人が訴えた。普通は紅葉坂教会の信徒が訴えたのたのなら解るが、他の教会の信徒が訴えた。
 結果として、教師委員会が四対二で採決して、免職になった。こういう決議を教師会が処分するのはおかしい。そもそも信仰職制委員会が誰でも訴えることができるとした自体が、客観的に見てどうかしている。
 要するに、オープンコムーニオンはネタでしかなく、何等の神学的意図もなければ、信仰的考えも無かった、あるのは憎き北村を討つというそけだけのことだ。こんな、ことがキリスト教の教会で堂々と行われ、司法ですから、「お前らのことは、お前らで勝手にしろ」という判決を下した。
 中世かよ!!!今は!!!
 結局、異議申し立てがあり、審判委員会。委員長、石橋、今の教団の議長のもと、も二対二の判決が出たが、石橋は申し立てを却下してしまった。こうして、北村先生は、純朴に牧会をしていたのに、教会権力の暴力によって追放され、取り消しなんかできない授手すらも無効にされてしまったのだ。ここまで、くると神学的にどうかしていると考えるのが普通だ。
 学生紛争当時に活躍していた反反東神大の系列、牧師、信徒が聖餐論をネタにして。議論を持ち出したことには、憤りを覚えないではいられない。個人を攻撃するため崇高な聖餐論を持ち出してきて、一個人を破壊しようとしたのだ。この時点で、私の憤りはマックスに達しする。聖餐論を用いて、個人的な恨みとか、やっつけをしようとするなんて、宗教的パワーハラスメントではないだろうか。
by qpqp1999 | 2013-02-26 18:01 | キリスト教

スマーティーその後

 漫画の構想を練るのに映画観賞は必須だ。先日は「バトルシップ」を観た。勿論、スマーティーに入りながらだ、ワンフェスでげーして、体重が夢の54キロになったと思ったらあっという間に元にもどって56キロになってしまっていた。DVDレンタルって選ぶのけっこう難しい。「バトルシップ」もそうだったけど、今日観た「スノーホワイト」とかパッケージがすげい面白くなさそうなものだった。かえって、見たことも聞いたこともないわけのわからない超B級映画に限ってパッケージがすごく面白そうだ。だが、そこで、騙されてはいけない、やはり配給会社とか役者が高級であれば、あるほど、どんなにダサいパッケージであっても答えを出してくれる。
 そんなわけで、私は連続でスマーティに二時間以上入ってしまった。今日の「スノーホワイト」なんか、超はまって観ていたら汗をかきすぎて、
足がつりだしたむー!!!
これはいかんと思ってスマーティーを出てから風呂に入る。体がアチアチの状態なのでお風呂に入ってもまだ寒気がする、しばらくお風呂用DVDで「はぐれ雲」を観る。お風呂から出た時に生まれて初めての体験をした。体重がマイナス2キロになって、ついに52キロになったのはいいのだが、ちょっとでも油断すると足がつる。こりゃ、いかんと思っていたら、とうとう
腹がつったむー!!!
腹筋がつるなんていうのは、初めてだ。伊達に4キロ痩せたわけではない。しかも水分は750ミリリットルは映画観ながら飲んでいるので、お腹の中に蓄積されて、足りなくなった水分に供給される予定なので。お風呂から出てもちっとも水分を欲しいと思わない。水っ腹で、どっちかというと塩分が欲しくなるので、野菜ジュースに梅干しをおつまみにする。ようやく、腹のつりも、あしのつりも落ち着いたので助かった。それにしても、面白い映画観ながらスマーティーに入るのは快感だなあ。エヴァンゲリオンの庵野監督のおよめさんの庵野もよ子さんもスマーティーを愛用していると言う。私も庵野夫妻みたいに売れるといいな。
by qpqp1999 | 2013-02-25 19:58 | 映画

五回アクセス

 それは忙しくて、去年の私のクリスマスイヴのライヴの様子をYOUTUBEにupすることが出来なかったが、今日は、それは久しぶりに動画を編集する時間ができたむー。そこで、早速YOUTUBEにアップロードすると、何にも告知していないのに
 五回もアクセスがあったむー!!!
 尤もこのライヴは本物のオルガンを用いた、正にプログレッシブバンドだむー。早速みんなもチェックするむー。

by qpqp1999 | 2013-02-24 18:54 | 音楽
四旬節第二主日礼拝説教 ルカ福音書18章31-43節
 見て見ぬふりをする人は決して他人事ではなくて、世界中の多くのキリスト教の人がこの状態におちいてっている。私は、メイジャーなキリスト教会系の宣教活動を見るにつけ、どこの、誰とは言わないけれど、大切な部分を見て見ぬふりをして、ひたすらに「福音」というものを広げているように感じる。そのように感じるのは私がセクシュアルマイノリティーであるからであろう。実際に差別されてみなければ、差別されるとはどういう事か理解はできないものだからである。人を踏みつけにしておいて、いくら「福音」というものを述べ告げ広げたとしても、そこに何の意味なければ、価値も無い。単なる「贖罪」信仰や、単なる「悔い改め」など、実際に、そこに苦しみが伴わなければ、ただの綺麗ごとに過ぎない物であり、そのような物は本来あるべき「福音」とは全く違うものである。
 実は今日の個所の次になるのが、有名な「取税人ザアカイ」の物語でありルカならではの特殊伝承だ。その間にルカ書では巧みにマルコ書を引用し、ルカの手による「使徒言行録」とを視野に入れた、構成をなしている。そこが、見逃せない今日の個所なのである。
 先ずは第三回目の受難予告がなされる。マルコ書に確かに従っているが省略したり、付け加えたりしている部分が目立つ。注目すべきはエルサレムに対抗するナザレのイエスの集団の中にある、保守勢力に対する恐れが省略されている。そしてユダヤ教サンヘドリンの公的裁判も省略されている。これは極めて意図的なものである。ルカ書にとって大切なのは「見」るという事であり、弟子たちにはこれらが「見」えなかったのである。また、追加されているのは「乱暴な仕打ちを受け」ということであり、また「預言者が書いたことはみな成就」するである。この「乱暴な仕打ち」はやがて、復活後の弟子たちが「使徒言行録」で体験することになる。とりわけルカ書にとってはδιήνοιξενディアノーセン「心の目が見えるようになる」が重要なキーワードになっているだけに、ここで「言葉の意味が隠されていて」はまだ、弟子たちの目が本当に見えてはいない状態にあったことを指す。
 人間の対応する情報はおよそ8割が視力に頼っていると言われる。実際、目を閉じて、行動しようものなら、とたんに、あちこちにぶつかって、大変なことになる。恐ろしくて道を歩くこともできない。ルカ書はそういう「見」える。という信仰において尤も大事な事を、改めてここで強調するのである身体的に見えるではなく、信仰で「見える」である。
 そこで、共観福音書に共通の物語が登場する。やってくるナザレのイエスに対する、物乞いを強いられていた目の見えない人の物語である。マルコ書では、この目の見えない人の名を「バルティマイ」として出しているが。ルカ書では、より、相対化するために、あえてこの名前を省略している。つまり、これは単に、目の見えない人が見えるようになるという奇跡物語ではなく、肉体的には見えている人の見て見ぬふりしている状態に対する半キリスト教的な態度に対するアンチテーゼなのである。見えていながら、見えていない、そういうキリスト者が、実はいかに多いことか。この目の見えない人は見るようになり、十字架のイエス・キリストに従って行ったのだ。賛美しながら、それこそが、まさにイエスにあって痛みをあらゆる人と連帯するということなのである。特に、紀元3世紀に保守的勢力になり、現在では世界で最大の人口を誇るキリスト教徒が、いかに見えていないかということをルカ書は鋭く追及しているのである。
 保守的なキリスト教徒は言うであろう。「同性愛者」など見たくもなければ、接したくもないと、また「性同一性障碍」の人に対して、その「女装」に対して、ものすごい嫌悪感を抱くであろう。そういう事態こそが、結局のところ、差別の糸口を探り出し、結果的にはより多くの被差別者を踏みつけにすることになるのである。いくら礼拝に毎週出席しようと十分の一を献金しようと、そのような事は、絶対的な教会組織に対する従順でしかなく、実際に社会から踏みつけにされている人との主イエスにあっての連帯とは程遠い。
 ルカはあえて名前を出さず、一般化、即ち、この個所を読む人それぞれの立場におきかえて「ある盲人が道端に座って物乞いをしていた」と書いたのである。これは、実際に目の見えない人を指しているのではなく、信仰の目で見ることができない、あるいは見て見ぬふりをしているキリスト者に対して鋭く迫る聖句なのである。イエスの一行が彼に近づくと、彼は「一体何事ですか」と問う。すると「ナザレのイエスのお通りだ」と返される。この部分はとても重要である。Ἰησοῦς ὁ Ναζωραῖος παρέρχεται.イエスース オ ナザレオス パレーセタイは単なる「お通り」ではなく「通り過ぎる」という神顕現の言葉である。またナザレーオスは使徒言行録で人を救うイエスを示すのに使われているのである。また、「ダビデの子」はまさにその子ソロモン王が様々な奇跡行為を行ったという伝説を踏襲しているものである。しかし、ここで肝心なのは奇跡行為ではない。見えるようになるというのは、どういうことかをルカ書は改めてその固有の神学において展開していくのである。
彼はそれに屈することはなかった、叫び続けたのだ。ἐλέησόνエゲソーンは「憐れんで下さい」は保守的に過ぎる、「苦しみに寄り添ってくれ」という意味である。もっと完結に言うなら「解ってくれ」という意味である。人々や社会に踏みつけにされている人の苦しみに、はるか高みにいる神が寄り添ってくれるのかどうかという事がこの個所でより強調されている。人々は確かに、それを退けようとした、しかし、神は、主は、ナザレのイエスはそうではなかった。「イエスは立ち止まった」のだった。ここで、称号が「ダビデの子」から「主」に変わる。今や、この人は全能の主の前に立っているのだ。そういった自覚はキリスト者は皆持つべきである。つまり、全能の主イエスの前に、一切の差別は無く、人と人の境目は無くなってしまうのだ。その目の前にいる人が「同性愛者」であろうと「性同一性障碍」であろうと「肌の色が何色であろうと」「国籍が何であろうと」それら一切の垣根は取り払われることになるのである。それが「見える」ようになるということである。この点無しにこの物語は語れぬ。
 「何をしてほしいのか」というイエスに対し盲人の言葉は簡素だ「見えるようになりたいのです」である。これは、全人類を代表しての言葉であることを肝に命じるべきである。
イエスの言われた言葉はἀνέβλεψενアネブラープセンであり「見えるようになれ」では断じてない。「見ろ」である。ここにルカ書の真髄が現れる、一見治癒奇跡に見えるが、弟子たちに見えなかったものが、この人には見ることができるようになったのである。
by qpqp1999 | 2013-02-24 14:12 | キリスト教

祈り

 松任谷由美が「ちいさいころーは、かーみさまがいてー、ふーじぎに ゆうめを 叶えてくれたー」と唄っているが、私の場合、よしにつけ、悪しにつけ、それは実体験しきたものだむー。お祈りすると、それが悪いことであろうと、何であろうと、何でもきかれた。偶然なのか奇跡なのかわからないけど・・・。
 その癖は今でも治っていなくて、こないだも、松阪で唯一のワイン屋さんに行った時に、つい二三日前に切れていた私のお気に入りのワインが入荷していなかったので、「主よどうか、ワインがありますように」と祈ったものだむー。だって、説教にしろ、漫画の絵コンテにしろワインがなかったら私は何も出来ないのだから、これは重要ポイントなのだ。しかし、祈った後で、こんな事で祈りの運を使ってしまっていいのか!???という疑問が頭をもたげる。しかし、もう祈ってしまったものはもう遅い。ワイン屋さんに突入だ。そしたら、ものの見事に私の求める白ワインはまだ入荷していなかった。
 よかった、こんなことで祈りの運を使わないで・・・。もっと崇高な事に使いたいものだと後悔したが、もう遅い。と思っていたら
 幸いなことに、私が祈り求めていた、ワインは入荷していなかったむー。やれやれ、と思いながら、前に愛飲していた白ワインを買う。と、したら、奥からワイン屋さんの奥さんが出てきて、
 「あ、こないだのワイン入荷してますよ」と言い出す。店主の御主人は「ええ、そうだっけ?」と訊き直すが、奥様は、「ここに、ほら」と言って。私がお祈りしていたワインを奥の方から出してくる・・・。あー あー あー 祈りの運こんなしょうもないところで使ってしまったと後悔すること、しきりだったむー。とうとう、私の祈りはきかれてしまったむー。もっと大きなことに祈りがきかれればいいのにむー。
by qpqp1999 | 2013-02-23 20:45 | キリスト教

三線

 これからゴスペルクワイアの練習だ。私の担当はベイスギターだが、なんかどうしても三線を無性に持っていきたくなる。だって、どんな楽曲にだって、フィットするんだもん。ギターより汎用性が高いと自負するものだむー。だけど、場の空気というものもあるし、今後、会費を上げるとかなんとか、ごたごたしているので、ビビっている私。しっかりしろむー!!!
お前はここの教会の牧師だろうが!!!!何をビビっているのかむー!!!
三線を持って行きたいならな持って行くがいいむー!!!お前の教会だろうがむー!!!
 とパンツのえりを正して三線を持って行くことにしたむー
by qpqp1999 | 2013-02-22 20:48 | 音楽

にゅーなんぶM60

 私の教会はデイサービスセンターを運営している。そして、その関係で朝もはよから事件が起きた。デイサービスをご利用中の独居の御高齢者、女性、大正生まれが、電話にも出ないし、家でどんなに扉をたたいても、裏口をたたいても反応が無い。最悪死んでいることだってある。
 仕方ないので110番する。こういう事態はたくさん、あるらしくて、すぐにパトカーが来た。五十歳中半くらいのベテラン男性警官と二十歳そこそこの若い女性警官がやってくる。防刃ベストに、腰に警棒は無く、ガンホルスターに明らかに大きさから言って、ニューナンブM60がささっている。解りやすく言うとこの拳銃は38口径の357マグナムと同じだということだ。以前は20口径のものが多かったが物騒な世の中になって、今は、大概の警官はこの拳銃を携帯している。いくら五十歳すぎのおじさんと二十歳そこそこ娘さんだからといっても、大変な迫力だ。
 私の名前とか、施設名とか住所とかきかれる。そして、身寄りがないことを確認した。さんざん扉を叩いても、大声出しても反応が無い。、いよいよ家に突入することになったむー。
 ところが、ここの家はスライド式の扉で格子になっていて、ガラスがあちこち割れている。年かさの警官が「割っても入れへんしなあ、どうしよか」と言いながら、うまいこと、割れている隙間から手を入れて「あった、あった」と言いながら鍵を内側からくるくる回している。そのうちに手がくたびれたらしくて、「すまん防刃手袋持ってきてくれ」と言う、女性警官がパトカーに行ってごっついグローブ持ってくる。なるほど、これなら刃物で襲われても、それをつかむことが出来るのだ、改めて、警官の装備に惚れ惚れする。しかし、男性警官の手に防刃グローブでは中に入らない。そこで、男性警官が女性警官に「あんたの小さい手で回してくれ」と言う。早速女性警官は手を中に入れて「あります。まわります」とキヒキビした対応をする。はたして、ついに鍵が外れた。そして、女性警官が中に突入する
 「○○さーん」「○○さーん、いますかー」と言いながら入って行った。そのとたん
ひぎゃああああああああああああああああああああああああああああ
 という半径200メートルに聴こえわたるくらいの悲鳴というか、叫び声をあげて女性警官が家から飛び出してきたむー。しかも、家から出てもまだ逃げ続けている。・・・こっ、これは中にジェイソンみたいな凄い怖いホッケーマスクでもした殺人鬼がチェーンソー構えているか、はたまた、爆弾が秒読みになっているのかという事態だ。
 あまりのことに、私も後ずさりする。五十歳代のベテラン警官は日ごろの訓練の賜物か、軽やかにステップを踏んであっという間に5メートルくらい後退して、右手は、ニューナンブM60のホルスターに手がかかる。
 そしたら、逃げていた女性警官が戻って来て、はぁはぁ言いながら
「い・・・居た」
 と一言だけ発した。「はあ?」と男性警官と私が顔を見合わせた頃に、中から、その御高齢女性が出てきた。
からくりを明かすと、この家は築100年くらい経過していそうなボロボロの家で、中に明かりはほとんどなく、家のほとんどの部分が段ボール箱で積み上げられていて、それが、崩れてきていて、家の大部分がトンネルみたいになっていて、昼間でも中は真っ暗だ。しかも、私のような比較的小柄な人でも中に入るのは難しく、それ以前に、その家に足を初めて踏み入れた女性警官にとっては、それは薄気味の悪い場所だったのむー。そこで、暗闇の中から、その御高齢女性がいきなり現れたものだから、女性警官にとっては「気分はもうサダコ」になってしまい。悲鳴をあげて、逃げだして来たということだ。
 こうして、激闘の二時間が終わった。
それに、してもビックリした。え?そりゃお巡りさんがすげい悲鳴あげて逃げだしてきたからにきまっているぢゃないかむー。こっちが、びっくりしたむー。
 
by qpqp1999 | 2013-02-21 19:07 | 拳銃
 私は子どもの頃からキリスト教に洗脳されていたので、高校生くらいまでは熱狂的な原理主義に匹敵するくらいの信仰を持っていた。しかし、それとは話しは別で、私は決して感心できる高校生ではなかった。まず、その一、喫煙していた。美術部の部室はヤンキーたちのたまり場になっていて、喫煙所になっていた。
 そんな時、神は存在すると確信を更に強化する事件が起きたむー
 美術部の親友とチャリ(自転車)で二人乗りをしていた。たいてい親友が漕いでいて私が後ろに立って乗ってた。その時、親友も私も軍服を着ていた。私は足のももにもポケットのあるズボンで、そこに煙草を入れていた。そしたら、運の悪いことに警察官に二人乗りしているのを見つかってしまった。停止させられ、問答無用で私と親友は分けられて、身体検査されることになった。今、思えば非人道的な行為だが、当時はこれが普通だった。
 ついに煙草が警察官に見つけられ、停学処分になることが時間の問題になった時、
奇跡は起きたむー
 私は最後まで、諦めずに祈った。「主よどうか、煙草が見つかりませんように」と。ちょうど、ついに警察官が煙草が入っている私の足のポケットに手を置いたその時、あっちで取り調べていた警察官が「おい、出たばい」とこっちの警察官に声をかけた。可哀そうに、親友は煙草を上半身のポケットに入れていたものだから、私より先に見つかってしまったのだ。そして、煙草を取り上げた警察官はそれは嬉しそうに、親友の煙草を高く持ち上げて、ひらひらさせたのだ。私を取り調べている警察官はその方向を向いた。その瞬間、私以外の誰もが、その取り上げられた煙草に視線を集中させたのだ。その一瞬を私は逃さなかった。即座にポケットの煙草を取り出し、空き地に放り出したのだむー。
わずかコンマ五秒くらいで警察官は私の方に向き直り、改めて、足のポケットを調べた。そして、「おっ、これは、何だ」といってポケットの中身を調べ出した。しかし、その時点ではすでに煙草は放り出され、警察官が発見したのは喫茶店のマッチ箱だけだった。こうして、私の懸命の祈りは神にきかれたのだったむー。
 この時、改めて確信した神は存在すると・・・むー。
だって、よく考えて下さい。こんな事ありえないですよね普通だったら。こうして親友は停学処分に私はそれを免れたのだった。いよいよ、私の狂信的な信仰は燃えることになっていくのだったむー。くれぐれも、このブログを呼んでいる未成年の人は絶対にまねをしないように。
by qpqp1999 | 2013-02-20 19:03 | キリスト教