牧師・漫画家・ミュージシャンの松本太郎のブログ


by qpqp1999

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墓場の太郎

 水木しげる大先生の名作、「ゲゲゲの鬼太郎」は実は元々のタイトルは「墓場の鬼太郎」だったということは、水木マニアか、イケてる漫画家か、漫画が本格的にすきな人だったらみんな知っているだろう。というわけで、今日は私の「墓場の太郎」の画像をお届けしよう。これです。
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オジー・オズボーンのアルバムのジャケットかよ言われそうな画像だが、中々、気に言っている。
 今日、礼拝後に、納骨式が行われた。司式は私で、説教は父だった。さすがに寒くて、 きっとみんな、内心、「早く説教終んねえかな」と思っていたんだと思う。そしたら天の奇跡がおきた、話しだしたら最後、何時間でも自信の神学を述べ続け、説教も説話しつづける父が早々と説教を終わらせてしまった。きっと本人も寒かったんだと思う。
 しかし、この墓地は私にとって、ゆかりの地である。カトリック松阪教会と近接した場所にあるこの新生ルーテル教会の祖たる父が建立した納骨堂はここにあった。建築直前で、ミニチュアの模型まであって、子ども心にも、そのおもちゃでワクワクしていたものだ。ちなみに、ちょうど、この地で私は生まれて初めて、モグラという生物を目の当たりにした。それは、すごい勢いで土を掻いていたものだ。空き缶の中に捕獲されても尚、掻きつづけるモグラのたくましさに子どもながらも驚嘆したものだ。
 そして、今日の納骨式で、久しぶりに私は、子どもの時に遊んだこの墓場に来た。もちろん、納骨式の司式をするためだ。自慢だが、私は女声ではなく変声期を終えた男性の声による式文の朗唱には、とても自信がある。朗々と、今日も司式を司ってきた。参列者は感動して泣いていた。こういうパフォーマンスは実は司祭にはとても大事なポイントなのだ。だから、キリスト教司祭はある意味でパフォーマーでなければならないと思うのが私の個人的な感想だ。勿論、朗唱が下手くそでも、いい牧師は山ほどいるが、やはり礼拝式をそれなりにやろうと思ったら、グレゴリアンチャントではないが、それなりの声が必要なのだ。
 そして、数十年ぶりに来るきこの墓地で発見したのが、墓石板の上に立てられている十字架だった。私が子どもの頃は、まだ、この墓石板には十字架がなくて、単に、石板だけが芝生においてあった。それが何だか、知らない当時4歳くらいだった私は、その墓標である石板の上を、あっちに、こっちに飛び跳ねて、遊んでいたものだ。不思議なことに誰も叱る者はいなかった。きっと神様がいるなら、またイエス・キリストなら、そういった子どもの遊びをほほえましく観ていただろう。
 今日、発見したが、十字架がいっぱい立っている。納骨式でのパフォーマンスも、もちろん本気でやっていたが、なんか本気で涙が、嬉し涙が出てきた。救われるっていうのは、人が決めることじゃない。信仰儀人とかなんとか、色々、15世紀の神学を持ちだしてきて語るのは、はたまた0世紀のパウロ神学を、持ち出してきて、ああだ、こうだいうのは、現代最新のキリスト教、特に日本社会には似あわない。もっとストレートに主イエス・キリストの恵みっていうやつを、誰しもが受け取ることができることを伝える勇気が今の日本キリスト教伝道にとって大事なんだと思う。断じて言っておくが「万人救済」なんて大嫌いだし、その神学論法は根拠に描けていると考える。だけど、イエス・キリストの救いは、その人が人としてその生涯をとじた後にも祝福をもって臨んでくださることを信じていいんだということを。この、たくさんの十字の形をした墓標を見て考えた。
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by qpqp1999 | 2012-11-18 18:21 | キリスト教

消えてしまった文化むー

 先日、パンチパーマについて書きましたが、よくよく、考えてみるとこのパンチ頭の文化はまだ健在なんですよ。そこへ行くと、ほんのわずかな期間でそのヘアスタイルを失ったものがあります。
それは、バブル真っただ中の80年代後半だ
 この場合の対象は女性です。アイブロウが太くなったとか細くなったとかは、これまでも繰り返し、ローテーションするんですが、日本史において、これはありえないという、すごいヘアスタイルの若い女性たちがちょうどその年代に出現しわずか二年ほどで全滅したという、すごいのがある。
 言葉で説明するのは、ちょっと難しいが、まず基本としてツヤツヤのワンレングスであるということ、そして、ここからが大事なのだが
前髪を少しだけ前に垂らして、残りの前髪をなんと後ろにブローするという、なんとも驚異的チックなヘアスタイルだ。パンチのオジサンは今も見かけるが、この髪型をしている女性は完全に絶滅している。
 読むより観るがたやしということで、なんと、あの森高がこの髪型をしているPVがあるので、ご覧入れよう。
これです

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by qpqp1999 | 2012-11-15 20:06 | 日本の文化

決戦は水曜日

 東京では「映画の日」とかとなって男女のくべなく、観賞料金が安くなる。しかし、三重県の明和町ではそうはいかない、水曜日は女性のみ割安になるレディースデイなのだ。もう夏みたいに半乳することはできない。メラニー方で精いっぱい女性的な声を出して、臨む。
 きました、レディース価格1400円(3D)だ。証拠はこれです
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レディース1400円。
バッシングしたむー。だが、私はパッシングという表現はよくないと思っている。そもそもは。アフリカ系アメリカ人がレイプされたりして白人のようなアフリカ系アメリカ人がいて、白人に間違われたことを「パッシング」というのである。なので、この言葉は慎重にしたい。
 それにしても素ッピンで女性で通ったのは嬉しかったむー
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by qpqp1999 | 2012-11-14 21:46 | 性同一性しょうがい

バンド組んだぜむー

  この数年ほど、ほとんどがブルーズ弾き語りで一人プレイばっかりだった。そのためにサンプラーやCDJも導入した。ところが、こんど
バンドを組むことになった
編成は私がフロントマン・ギター、私より少し若い方がオルガン、そしてそのお嬢さんである女子高生がドラムスだ。
 やっぱり、生のドラムスはいいな。今日はさしあたって、ジャムってみたのだが、なかなかいい感じだ。ついにプリンスのクラウドギターが日の目をみるぜ。
 そんなさ中、私は新たにマイクスタンドをゲットした。下が三脚になってるヤツは駄目だマイクスタンドパフォーマンスができない。そこで、久々にマイクスタンドのパフォーマンスを練習する。マイクスタンドをポーンと蹴って、振り子の原理でもどってくるのをキャッチする技だ。しばらくやってなかったので、ちょっと慣れが必要だったこんなかんじだ
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なかなか気持のいいものなので、調子こいてやっていたら
口にマイクが激突した。口の中切った・・・。
マイクも凹んでしまったむー
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だけどサウンドはばっちりだぜ
ライブは松阪市の新生ルーテル教会12月24日と25日の礼拝後のコンサートでに行われる。是非に御参加下され。
クリスマスのライヴが楽しみだな
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by qpqp1999 | 2012-11-13 21:29 | 音楽

そろいもそろって

 胸を張って言おう。そうだ、私は漫画家である!!!
 東京大学医学部の試験に受かるよりも難易度の高い「講談社ちばてつや賞」の準大賞をいただいて漫画家としてデビューしたのだ!!!
 そんな私は、小学館のヤングサンデーの元編にのプロデュースによって河出書房新社からようやく、週刊連載であった「ストレイキャット」を単行本として出しまた、「169人の漫画道 漫画家誕生」で紹介されたことで、ウィキペディアにもバシッと載ってしまっているが、現在のところ、紙媒体ではなく、いかにも私らしく電子書籍(最先端だむー)で「ノブナガール」を連載している。
 何故に「ノブナガール」かと問われれば、私は 
はっきりいっておく
 信長は「負け組」だったから織田信長のファンであるのだ。秀吉や家康みたいに、「天下人」には、とうとう、なれなかったのが、織田信長だ。そんな中、その信長をクーデターではなく軍略によって倒した明智光秀の家臣団の一人であったのが私の祖先である。
 実のところ、信長も光秀もタイプこそ違ったけれど、同じ負け組なのだ。私はその負け組に参加したいと、常々思うものである。まさしく、ちばてつやの名作「明日のジョー」は負けぐ組の最高の輝きをみせているではないか。それは、ともすれば、十字架処刑死という最悪の事態に追い込まれた、イエス・キリストの負け組のあり方そのものなのである。だから、私は信長が好きで、光秀が好きでたまらない。今、上映されている「のぼうの城」もそういう戦国の乱世において、秀吉に属する石田三成との負け戦を活き活きと描いた作品であるといえよう。残念なことに、田舎の松阪市ではこの「のぼうの城」は上映されない。ついでにいっておくと「サイボーグ009」すらも松阪市というか、この近辺で唯一存在する 109シネマズ明和 で上映されていない。観ようと思ったら名古屋までいかなければならない。悔しいこと、ただごとではない。しかし、それこそが負け組のカッコいいところではないだろうか。
 そうだ、負け組にこそ真のイエス・キリストの勝利がもたらされることを、織田信長の人気がまた 明日のジョーの人気が物語っているではないか。これは、まさに福音書で描かれているイエス像そのものである。散々、差別に遭い、  代表を言えば 私は神学生の最終学年時にルーテル学院大付属のルター研究所助手であり、卒論も指導つかまつった 徳善義和名誉教授に フェイスブックで友達申請を断られるほどに
差別された者であるだけに、この負け組の真の強さを測り知る者であるのだ。
 だから真のイエス像を語らないわけにはいかない。一世紀末に起こった、ドミイィアーヌスの本格的なきりすと教徒迫害においてその真剣さを発揮した福音をここで発揮しないではいられないのだ。
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by qpqp1999 | 2012-11-12 18:16 | 漫画

宮崎駿論考その1

 私の漫画家としての作風に最大級の影響を与えたのは、間違いなく宮崎駿である。宮崎駿は漫画家としては評価は低いものの、やはりアニメーション映画においてはなカリスマとなっていることは間違いない。そこで、ちょうど、昨日、私の誕生日であり、そのプレゼントに「魔女の宅急便」をオーダーして、今日、締め切り明けだったので、じっくり、全篇を観た。
 私が、その映画の評価をする際に用いているユニークな方法がある。それは御歳88歳たる父親が喰いついてくるかどうかだ。こないだ「フォレストガンプ」を観てもらったところ、この長い映画を非常に楽しんで観てくれた。つまり、いい映画だということだ。では、今日の「魔女の宅急便」はどうであったかというと
こうだ
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食い入るように立ったまま30分は観続けていた。もちろん、後に座って、最後まで観て、「構成といい、展開といい、素敵だ」と感想を言った。
それだけの、作品なのだ。
 宮崎駿についていうなら、私が出会ったのは、「ルパン三世」の1だ。じつは、この作品では宮崎駿は大きく関わっているものの、クレジットに名前が出ていない。私は子ども心に、この作品を描いた人はだれかとクレジットを見て大塚康生が作画監督であることから、また大塚康生はその画風を「ど根性ガエル」とか「侍ジャイアンツ」とかに発揮していたのでこの人がそれを創っていると思っていたし、また事実、宮崎駿の先輩として活躍していたのであった。
 そして、ついに1979年に「ルパン三世カリオストロの城」で宮崎駿は初監督になった。実は、最初、監督には前述の大塚康生が候補としてあがっていたが、大塚康生は宮崎駿をおして、ついにこの名作が誕生した。しかし、興行的には完全なる敗北であった。その後、スタジオジブリ作品が鈴木敏夫のプロデュースのもとに「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」と創り上げていった。しかし興業収益は決して振るわなかった。そしてとうとう「魔女の宅急便」でスタジオジブリは終わりになると思われていた。事実、宮崎駿にとっては、それまでの作品でやりたいことはだいたいやったのでノリ気ではなかったというが、それでも素晴らしい作品となった。1989年というバブル期絶頂の日本において、それはちょうどすっぽはまったし、主題歌も松任谷由美の曲を用いる等して、一般受けを狙った。尤も、そういった小細工を超えて、この作品は素晴らしい。
 一つ、面白いことを言うと、宮崎駿の初監督の「ルパン三世カリオストロの城」と「魔女の宅急便」では共通点がいくつも見られる、その最大のものは、時計塔である。そして、もうひとつは映像の高さ、文字通り、地面からの高さにさについての描写が非常によく描かれていて、観ているものをハラハラさせる。そこが、やはり宮崎駿の実力だろう。今日はこの辺で、また宮崎駿論考2をお楽しみに
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by qpqp1999 | 2012-11-11 18:44 | 映画

誕生日

 とうとう誕生日が来てしまった。織田信長が自刃した年齢だ。ひえーって、織田信長ってこんなに若かったのかたと逆にびっくりする。この歳ってこんなもんなんだなあ。
 誕生日祝いを家族でしてくれた。プリンスの愛機のクラウドギターで自分で自分にハッピバースデー唄って、記念撮影したむー。
 漫画の締め切りもなんとか守れそうだ。ちなみに、私の今の年齢は前述の通り織田信長の最後の歳であり、また11月10日は宗教改革の祖たるマルティヌス・ルターの誕生日でもある。
 驚いたのはフェイスブックの友達からたくさんの、ハッピーバースデーをいただいたことだ。こういうところがフェイスブックの素晴らしいところだなあと、しみじみ思う。人は皆、それがネットを介してでも、ガチンコで繋がっている、そういう時代になったのだと、つくづく思う。
 誕生日プレゼントにジブリの命運を決めた「魔女の宅急便」を購入。スタジオジブリはトトロでも蛍の墓でも、ヒットせず、この「魔女の宅急便」で最後だと言われていた。しかし、これが、ヒットしてその後のジブリの反映に繋がったのだった。風呂に入っている間に、チャプたー飛ばしながら観たが、やっぱりいい。宮崎駿ぐれいと。しかし、つっこみどころ満載でもあったので、後日のネタにします。こうご期待むー、
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by qpqp1999 | 2012-11-10 22:24 | 日本の文化

ネットワーク

 私は、この二十年ほどで驚異的に発達してきた、デジタルにおけるネットワークをその誕生から最新までみてきている。最初はパソコン通信というものが主流だった。そうだ、まだウインドウズが出る前の事で、ワードプロセッサーで電話回線を通じて、やり取りするソーシャルコミュニケーションだった。間もなくしてウインドウズが出て、インターネットの時代がやってきた。
 当初、インターネットでのやり取りは、主にホームページ上における掲示板とか、チャットが主流だった。この時代がけっこう長くて十年くらいあっただろうか。はたして、このチャットも掲示板も現時点でまだ生き残っている。それを言うならパソコン通信でさえも生き残ってはいるのだが、やはりインターネットが主流だ。
 ところが、ここで人類に大きな変化がもたらされることになった。
携帯電話端末の発達だ
まだ、インターネットが流行りはじめた頃、携帯電話は本当に電話の機能しかなくて、本体もなんかトランシーバーみたいにデカイものだった。しかし数年たつと、アンテナ式の手軽な形態電話が主流になった。そして、メールという機能が搭載されたことで、パソコンという一定のスキルと経済力を求められるものからより、手軽な携帯電話に人々はネットワークを進化させていったのだ。当初はアンテナのてっぺんにピカピカ光る装置まで売っていて、それがカッコよかったのが印象的だ。そして、ついに携帯端末がパソコンとどっこいどっこいの性能を有するのに時間はかからなかった。そこで、誕生したのが
携帯サイト

ミクシィ
だった。こうして、パソコンと携帯電話端末は距離を縮めただけではなく、同等の端末になった。それから、さらに数年後、ついに世の中は
ツイッター
フェイスブック

と携帯電話端末とパソコン、そしてその中間地点にいるスマートフォンが共存共和する時代になったのだ、そして、ミクシィはだんだんと、機能の点で面倒くさいことから、人々は極端にフェイスブックに急激に集中するようになったのだ。そして、今度、あらわれたのが
LINE
だ。これはフェイスブックのもっとスマートフォン寄りなソーシャルネットワークシステムとして登場した。そして、私もついに今日とうとうLINEを初めてしまったむー。
まさに、ソーシャルネットワーク第二回三頭政治の時代になったのだむー
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by qpqp1999 | 2012-11-09 19:00 | インターネット

不思議な言葉

 私は中学を卒業するとともに、親元を離れた。生まれこそ東京であったが、松阪市で育った私は高校進学にあたり、熊本市にあるルター派のミッションスクール九州学院高校に入学したのだった。そして、寮に入ることになった。寮は120人くらいの生徒がいた。いきなり九州だったので、最初こそ、その熊本弁にカルチャーショックを受けたものだが、半年もしないうちに私は熊本弁を身に付けた。
 寮での夕食は早く、夕方5時半には用意が整う。配膳は一年生の仕事だ。五時過ぎになると寮の放送が鳴る。「夕食の準備やけん一年生は食堂に集まるように」ともう、熊本弁だ。この寮の食事は美味かった。配膳も一年生たちで、行う。尤も、朝食、昼食のように全員そろってではなく、夕食は部活で遅くなったり、部活してない人もいたりして、自由に七時の点呼に間に合うようにすればよかった。
 そんな、ある日、それは、よだれものの、おかずが出た。メンチカツだ。なにしろ広い厨房に四人はまかないのおばちゃんたちがいて、配膳をする一年生は十数名だった。いよいよ、揚げたてのメンチカツがおばちゃんによって運ばれて来たら
 おばちゃんが、けつまずいて、メンチカツをおおよそ綺麗とは言えない、食堂の床にばらまいてしまったのだった。
 転がっていくメンチカツ、床にパウンドして跳ね上がるメンチカツ、床にスリップするメンチカツ、色々だった。
 誰もが言葉を失った。時間が止まった。そんな暑い視線をあびる、おばちゃんは、居直って
「よか、よか、よか」と言ってメンチカツを拾い集め出した。
 もちろん、それを目撃していた一年生たちは、幸運にもトレーからこぼれなかったメンチカツを自分用にしたが、先輩たちは床にばらまかれたメンチカツを食べさせられることになった。ちなみに、この事件を先輩に密告する者はいなかった。
 それにしても、鶴の一声といのだろうか。
「よか、よか、よか」
全てが通ってしまうことには驚いたものだむー
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by qpqp1999 | 2012-11-08 18:54 | 日本の習慣

店主ご本人様より

 10月26日の私のブログを読んだ方は相当数おられます。私がブログで書いたのは
パンチパーマをしてくれるお店についてでした。そして、今日、ブログを描くためにログインしたら新着コメントがあり、拝見するとなんと
あの看板のお店の店主様直々に書き込みをいただいたのだむー。
正式名称は「ジンブ理容店」でした。今でも、パンチをあてるために、多くの方がこの店に遠くから来られるとのことです。パンチはまだまだ健在だったのだ!ただ、後継者がいなくて、この日本のヘアスタイルにおける文化が失われつつあるという。また、初めて知ったのだが、あのコテは「アイロンコテ」という特殊なコテで今では製造中止になり、お困りであるという。これは、大変なことだ。
 なにより、ご店主様のコメントが最高に、いいので、ぜひ10月26日のブログのトラックバックをご覧いただきたい。それにしても、この、広大なネットの世界において、このご店主に、私のブログが読んでもらえるとは、なんという奇跡だろうか、それとも、実はネットの世の中も狭いのだろうか・・・。
 それにしても感激しました。パンチをあてるなら三重県松阪市の「ジンブ理容店」へGOむー
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by qpqp1999 | 2012-11-07 18:43 | 美容