牧師・漫画家・ミュージシャンの松本太郎のブログ


by qpqp1999

<   2012年 10月 ( 28 )   > この月の画像一覧

きじゅ

 母の77歳の誕生日だった。ささやかながらお祝いをした。77歳は日本では喜寿といいってお祝いする。草書体で喜の字が七十七と読めるとこからきているむー。
 とは、いえ母はまだまだ現役でデイサービスセンターの運営もしていて、生活相談員であり、民生委員の委員長もしている。私は風邪が長引いていて、お祝いの食事を市内の飲食店でしてから、帰って来てケーキに蝋燭さすので、精一杯だった。母がチョイスした誕生日ケーキは何故か、スティッチだった。
「スティッチすきなの???」ときいたら、何か知らないがカワイイから、それがいいと言う。キャラクターものは他にもたくさんあったのにスティッチって、ディズニーキャラクターの中で中々がんばっているなという印象を受けた。
 父ももう87歳だが、まだまだ現役だ。新生ルーテル教会の司祭、代表役員であり、デイサービスセンター新生ルーテルの管理者でもある。とりあえず、家族で記念写真を撮った。
b0130652_18595752.jpg

なんだ、かんだ言って家族というものは、いいものだと、つくづく思うのだった。
[PR]
by qpqp1999 | 2012-10-31 19:00 | 美容

夢の中の夢

 私は朝の五時半くらいに一度目が覚める。夜はたいてい9時か10時くらいに寝る、早い時は8時には寝てしまう。漫画の仕事も基本的に以前とちがって昼間している。
 そこで、私は、一回目五時半くらいに起きて、そのまま、ピアノ弾いたり、原稿描いたりして朝を迎えることもあるのだが、大抵はもう一回寝る。二度寝するわけだ、そして七時半頃に起きて、仕事をする。ところが、最近面白いことが起きた。
夢の中で目が覚めたのだ。
「夢のまた夢」とか言うし、また最近のハリウッド映画の「インセブション」は夢の中でまた寝て、そのまた夢をみるというネタで、夢の階層をほりさげる度に時間の経過が長くなるという設定とか面白かったが、まさに今朝の私はインセブションだった。
 夢の中で目が覚めたので、基本的に寝ているのだが、夢の中では夢から、夢のなかに目がさめて覚醒し、ああ、今のは夢だったんだ、面白い夢みたものだと思っていた。そして、でも、まだ眠いから、また寝るかと夢の中で思って、夢の中で、もう一回寝たのだ。そしたら夢の中で寝た中でまた夢をみた。内容はエヴァンゲリオンとウルトラマンが合体したような3D映画を観ていて、これはよく出来た映画だなあとその、まさに夢でしか実現できないような3D映画、たとえば、実際に画面の中に手を突っ込むこともできるし、オブジェクトが手のひらに乗ることもできるという3D映画を楽しんでいて、待てよ、こんな良くできた技術あるか!?!?と自問自答して、ああ、こりゃ夢だと納得して、今度は本当に目覚めた。そこで、おお、夢の中で夢みて、そこから二階層くりあがって目覚めたんだことに気がついた。面白いたいけんだったむー。
こりゃ漫画の締め切り終えたら、「リンカーン秘密の書」を観に行かないとなあと思ったむー。
[PR]
by qpqp1999 | 2012-10-30 20:29 | 美容

せんとー

 日本が世界に誇れる、伝統文化として銭湯があげられるだろう。テルマエ・ロマエでまたその存在感を新たにされたのも記憶に新しいが、残念なことに、この銭湯は最近では需要が減っていて、経営を中止せざるを得ない状況にあるのも事実だ。
 日本の銭湯のすごいところは番台があるところだ。番台は言わば、セクシュアルアイデンティティーや性志向という壁を打ち破って、そこに座る人は男であろうと女であろうと、若者であろうと、老人であろうと、その脱衣所にいる人々の裸体を無差別に客観視する立場にあるという、すごいシステムだ。そして、銭湯を利用する人はそのセクシュアルアイデンティティーや性志向に関係なく、その裸体を番台の人にさらさねばならないのだが、日本では基本的に番台にいる人はそういった、観念を破棄する状態にある人として認識されているのが面白い。
 古代ローマ帝国の浴場と違い、日本の銭湯の傑出したところは、利用者がより快適に湯につかれるように、壁がアートになっていることが、あげられるだろう。そうだ、たいていの場合は
富士山が描いてある
大抵の場合、その富士山の絵はどこかデッサンがくるっていて、色もなんか変なのが基本なのだが、それがなぜかいいのだ。
しかも、壁にかいてあって大抵の人は壁に背を向けて入浴するので、なんと湯につかっている人は基本的にその富士山のアートを堪能しながら入浴できないという、不思議な現象が起こっている。しかし、入ってくる時には、その美しい富士さんに彩られた風呂場に入るので
「ああ、自分は富士山のアートの元に入浴するのだ」と意識に刷り込まれるようになっている。そこで、今日みかけたのがこれだ
b0130652_1933204.jpg

これは銭湯の内部ではない。松阪市の街の中にとけこんでいる、店舗ですらない、一個人の車庫のシャッターだ。信号待ちしている人の目を楽しませてくれるゴージャスなサービスだ。前述の通りで、やはり、どこかデッサンがくるっていて、どこか下手くそなのに、どういうわけか、心がなごむ。そして、銭湯のトラウマだろうか、巨大なガレージのシャッターに描かれているという点において、気分は銭湯になってしまうのだ。
やはり まうんとふじ ぐれいとだむー
[PR]
by qpqp1999 | 2012-10-29 19:38 | 日本の習慣

CG

 私が漫画にCGを導入してもう19年になる。当初はまだウインドウズは出ていなくて、フォトショップを使おうと思うならMacしかなかったのでクアドラ840AVを買ったのだった。ところが、線の描画を出力するのに必要な1200dpiというピクセルのデータを扱うのには無理があった。しかし、買ってしまったからには意地でも使おうと思って、最初は網点だけを出力してその上から、墨入れをしていた。当時、私は講談社の週間モーニングで「LOVE PLANET」という作品をシリーズ連載していて、そこそこ人気もあったので、編集部はこの大幅な画風の変化を了承してくれたのだった。やがて、透明のスクリーントーンに網点部分だけ出力して、墨入れした原稿に張るという手法に変わっていった。ちょうどフォトショップにレイヤーという機能が備わった時期だった。レイヤーなんて今では当たり前の概念だが1996年の段階ではそれは画期的なものであった。
 今や、絵コンテから原稿執筆まで、全ての工程をCGで描いている。コミックスタジオという漫画作成のために開発されたソフトによるところが大きい。残念なのは、このコミックスタジオの時点で出力したデータのクオリティを保ったままフォトショップに維持することができないことだ、線が痩せたり、太ったりしてしまうのだ。なので、そこまで計算に入れてコミックスタジオでは描画しなければならない。
 自慢ではないが、私は漫画界におけるCG使いの先駆者であると自負している。そこで、一番大切なのは、こまめに、データの上書き保存をするということである。まだまだ2000年くらいのスペックではフォトショップはよくフリーズしたし、プリンターもすごく電力を使うので、家の電気のプレイカーが飛んだりして、苦労して描いたデータを失ってしまった経験が少なからずあったからだ。
 ところが今日、原稿描いていて、バイクとか描き込みの込み入った作画をしていて、それに集中するあまり、夢中で描いていた。

プリンター、コピー機、ファックスの複合機に出力したとたんに、数年ぶりで家のプレイカーが飛んでしまった。必死で何台ものバイクを描いた後だったので、その がっかり度 はマックスに達した。そもそも、PC自体もこの状況はやばい。しかし、PCはなんとか普通に立ち上がってくれた。おそる、おそる、消えてしまった原稿データの下書きの時点であるはずのものを開いたら。
 しっかり保存してあったむー!!!
ほとんど無意識のうちに、ある肯定に達する度に、上書き保存していたのだった。伊達に何年にもわたってCGつかってないな、ナイス自分というところだ。ああ、怖かった。明日も気をつけて上書き保存は念入りにしようと思った。
[PR]
by qpqp1999 | 2012-10-28 19:20 | 漫画
宗教改革主日礼拝説教 マルコ福音書10章46-52節
 ルター派の教会では毎年10月の最終日曜日を「宗教改革主日」として礼拝をする。それは10月31日、奇しくもハロウィンの日にマルティン・ルターが「贖宥状」に対する意見交換の旨をヴィッテンベルク城教会の扉に張りつけたからである。ハロウィンとは全く関係はない。この「宗教改革主日」に選ばれている聖書個所はマタイ書5章1-6節であるが、あえて、私は「聖霊降臨後第22主日」に選ばれているマルコ書を選んだ。両方読んだのだが、ここはあえてマルコ書の方が、「宗教改革」の信条を分かちあうのに優れている個所だと読んだからである。
 どう、読んだかというと、罪の意識の苦しみと「贖宥状」の関係において、今日のマルコ書の個所は非情に適切であると読んだのだ。
 中世のヨーロッパにおいて、キリスト教が信徒たちに脅かせた最大の過ちは「煉獄」という発想であったと言えるだろう。「洗礼」を受ければ、「罪」赦されて「天国」に入れるが、洗礼を受けた後に行った「罪」に関しては、その「罪」が問われ、死後「天国」に直行できるのではなく、「地獄」の次にあたる「煉獄」でその「罪」の報いを受けると本気で教えていたし、信じさせられていたのであった。そのために、死の直前に「洗礼」を受ける人もいたくらいだ。それくらい「煉獄」というのは「地獄」に続いて恐ろしい来世の状態であったのである。マルティン・ルターという人は正に純朴なキリスト教徒であった。法律家になるために大学まで行っていたのに、落雷に襲われて友を失い、ついに「守護聖人」である「聖母マリア」の母「聖アンナ」に、「命を助けてもらったら修道士になる」とお祈りしてしまい、生き延びた彼は、本当にそれまで築いてきたエリートコースの経歴をすべて捨てて、「アウグスティヌス会」の修道士になったのであった。尤も、アウグスティヌス会もルターの素質を認めていて、ルターは早くも司祭になり修道会の名のもとで大学で教鞭もとるようになったのであった。そんな、純朴なキリスト教徒だったルターにとって、「罪」という罪悪感は大変な心の負担になっていた。ルターにとっては毎日のミサでの司式における一文、一句に至るまで完璧に朗唱できなければ、それは即、非情に重い、「罪」としてのしかかっていた。「告解」を聞く司祭ですら呆れるほどにルターの「罪」の概念は徹底したものであったし、それだけに「罪の赦し」というものに対して極めて「極端な」姿勢を持っていた。そこで、ルターにとっては理解しがたい社会現象が起きたのだ。それが「贖宥状」というお札である。「贖宥状」とは、その名の示すお札を購入することで、煉獄にある祖先の命が軽減される効力を持つ当時のローマカトリック教会の特殊な宗教的興業であった。この「贖宥状」は極端にドイツ国内で販売されていた。そこには、政治的なからくりがあった。それは「大司教」という高位聖職者の地位である。宮崎駿初監督のアニメ映画「ルパン三世カリオストロの城」でもこの「大司教」はとても高い地位に描かれているし、事実、「大司教」になるということは宗教的にも社会的にも経済的にも非情に有利、有益な地位であったのである。それだけに、通常は「司教」の地位は兼務することはできないものであった。ところがドイツの選帝侯の弟であったアルヴレヒトはマクデブルクとハルバーシュタット、そしてマインツの複数の「大司教」という複数の司教座を得るためにローマカトリック教会に多額の献金を用意しなければならなかった。そこで、用いられたのが「贖宥状」であった。ヨハン・テッツェルという名説教家が「贖宥状を買ってコインが音を立てる度に魂が煉獄から天国に飛びあがる」と説教した。多くの純朴なキリスト教徒はそれを信じて、「贖宥状」を買い求めた。その光景を見過ごすことが出来なかったのが、やはり純朴なマルティン・ルターであったのである。かくしてルターは「95ヶ条の論題」を当時の掲示板たる教会の扉に打ちつけたのであった。これはラテン語で書かれていて、ただでさえ識字率の低いドイツでは一般的なものではなく、極めてアカデミックなものではあったが、結局、意見交換は行われなかった。しかし、目ざといプロデューサーたちの目にとまり、瞬く間にドイツ語に訳されて、あっという間にドイツ国内に広まってしまったのだった。かくしてルターは宗教の絶対化という暴力に対する民衆の側に立っての闘いに人生を主イエス・キリストへの信頼として懸けることになったのであった。
 まさにマルコ書の今日のメッセージそのものである。「エリコ」というかた田舎からエルサレムでの十字架に向けてのイエス・キリストの歩みにおける出来事としてマルコ書は非常に強調して、この目の見えない人が見えるようになる奇跡を描いている。「バルティマイという盲人が、物乞いをしていた。ナザレのイエスだと聞くと、大声で『ダビデの子イエスよ私を憐れんで下さい』」と周囲の反対をものともせずに「叫び続けた」のである『ダビデの子』という救世主称号を用いているのはマルコ書ではここだけである、この「憐れんで下さい」というἐλέησόν μεエレイソン メーは単に「憐れんで下さい」ではなく、「私の苦しみをわかってください」という意味である。周囲のあらゆる妨害に屈しないで、叫び続けたこのバルティマイという名が呼ばれているが、マルコ書における治癒奇跡伝承で名前が記されているのはここだけである。とりわけ、スペシャルな治癒奇跡であるというマルコの発信だ。そして、そのような純朴な叫びには主イエス・キリストは必ず応えて下さることが記されている。「イエスは立ち止まって『あの男を呼んできなさい』」と言われたのである。「盲人は上着を脱ぎ捨て、踊りあがってイエスのところに来た」とある。これだけ綿密に描写されているのもこの個所だけである。主イエス・キリストに解ってもらえたという喜びは、殊更に強調しておくべきであろう。かくしてバルティマイはイエスの元に行き、望みを語る。その際に使われている言葉にも注目すべきだ「先生」と訳されているῥαββουνίラボニーはアラマイク語であり、新約聖書ではこの個所とヨハネ書の二か所にしか現れない言葉である。ここにマルコ書の特別な思い入れをうかがい知ることが出来る。「『行きなさい、あなたの信仰があなたを救った』盲人はすぐ見えるようになり」も慎重に訳さねばならない。「信仰」と訳されているπίστιςビストゥースは本来「信頼」と訳されるべき単語である。そしてこのバルティマイは十字架という苦しみに向かう主イエス・キリストに「従った」と記されている。ここを読み逃してはならない。主イエス・キリストに信頼し、苦しみにもあえて立ち向かって進む勇気と信頼。これこそが、マルティン・ルターの宗教改革の根幹なのである。
[PR]
by qpqp1999 | 2012-10-28 12:49 | キリスト教

恩師

 私は日本ルーテル神学大学(現 ルーテル学院大学『こっちの名前のほうがカッコ悪い』)を卒業し、日本ルーテル神学校に行った。この神学校に行った時点で神学生たちは、振り分けられることになる。当学校のチャプレンの補佐になるか、当学校の有する ルター研究所の助手となるか である。
 私の場合は後者であった。おかげで、履歴書を書くにあたって、「ルター研究所助手」という肩書をいただけるようになったものだむー。
 10月31日はハロウィンの日だと思っている人はたくさんいると思うが、これはキリスト教とは全く関係がないものである。絞り込んで言うならケルト民族のお盆みたいなものだ。ルター派の教会では、この10月31日を、その派たる開祖のマルティヌス・ルターがウィッテンベルグ城教会の扉に「贖宥状」に関する討論を張り出した、その日として宗教改革記念日としている。
 そこで、面白いのが、私がルター研究所の助手であった時の所長である徳善義和先生とフェイスブックですれ違うことが起こった。当然のことながら、私はフェイスブックの「友達」というのに申請を徳善先生に出したのだが、徳善先生は「あなたが、ユニークな歩みを踏み出していることは聞き及んでいます。踏み出したからには、貫き通すしかないでしょう」と言って、「友達」申請を断られてしまった。
さ べ つ だー
 
マルチン・ルターが天国で泣いてるぜ先生、と強く思ったものだ。尤も、この徳善先生は私のために、在学中のみならず、牧師になってからも、ルター研究所関連で色々と連携していたものだ。ちょうど、講談社の「ちばてつや賞」を受賞した時に、私はこのルター研究所でほとんどタダでルターの伝記漫画を書いていて、評判であった。ところが、その事態を知った講談社の私の担当編集者であり、「沈黙の艦隊」「バガボンド」を手掛けてきた熟練編集者Sさんは、すごいムカつきながら、これをタダで描いておられたんですか?と本気で言っておられたものだ。その後も週間モーニングのS副編集長とは連絡を取り合っていて、いずれ、イエス伝を描く予定でいるのだが、まさにこうご期待であるものですむー。
 ちょうど、明日はルター派のキリスト教会はみんな、やっている「宗教改革記念日主日礼拝」なので、いい、タイミングで思い出したものだむー。性同一性障碍って、やっぱり、差別され、偏見視されるものなんだなあとつくづく思うむー。
[PR]
by qpqp1999 | 2012-10-27 19:14 | キリスト教

歴史

 人類の歴史、それは私たちの想像をはるかに超える壮大な、いわば大きな氷山のように形成されてきた。そして、私たちはその氷山に対しては、大変に無力であり、かつ、その生きるその様、そのものが、更に氷山を形創っていく。
 私は今日、自宅の近くにある、とある
「散髪屋」さんでもなければ「美容院」でもない、日本文化が創った、最も強烈なものの一つにうちのめされたのだ
これです。

b0130652_18584535.jpg

パンチです なぐるパンチぢゃありません。コテのようなもので角刈りよりちょっと長い目の髪の毛をくるりと巻いて、じゅーじゅー煙だしながら髪の毛をチリチリにする特殊なヘアスタイルです。このヘアスタイルをしている人に会ったことは1980年代初頭の日本国において多数見られることができましたが、今や絶滅に近い状況です。当時は「ヤンキー」と呼ばれる、いわゆる「カッコいい(当時の価値観で)『不良学生』や若者、そしてそのOBであろうおじさんたちに、このヘアスタイルは用いられていた。
 今から考えると途方もない、どうかすると今日の価値観においてはモヒカンにするよりもインパクトのある、このヘアスタイルが、いわゆる「そういう関連の人」の間で、流行っていたのだった。さすがに2012年である現在、もはや「ヤンキー」と呼ばれること、あるいはそういう関連の人たちですら、「カッコ悪い」「時代遅れ」と感じられてすらいて、ほとんど発見するのは困難な時代であるといえよう。
 ところが
それを、やってる、現在進行形で、しかも「ぱんち」と「パーマ」を使い分けて記述されている。しかも
ヤングパーマ
と表記されている。あまりに、街並にカムフラージュされていて見過ごしていたが、いや、もしかすると、そんなものが、あるはずはないと思いこんで、見ていながら気付かなかったのかもしれないが、このパンチパーマをやってくれる店が松阪市にはあったむー!!!
 この髪型にするには、専用のコテが必要で、現在では需要も激減しているだろうから、それは使いこまれたコテが使われるにちがいないむー。そして、この髪型にするためには禿げていないという条件が必須なので、あまり中高年の男性には不向きであり、それをできる要素を満たしていないと駄目なので、やはり、だから「ヤング」なのだろう。
これはある意味、もはや日本の無形文化財に指定されてもよいのではないだろうか。その務めを果たしているこのパーマ屋さん、いや床屋さんは(店の名前が看板のせいでわからないのも魅力の一つだ)その文化の保存のために繁盛することを願うのみだむー。
[PR]
by qpqp1999 | 2012-10-26 19:23 | 美容

ボストン

 今日はブログ書くの遅れてしまった。エキサイトのシステムエラーでログインできなかったのだ。待つこと3時間やっとログインできた。  
 私の唯一の我流でない楽器がクラシックピアノだ。ジャカスカとコード弾きするくらいなら、今もう出来るようになった。それはピアノであってクラシックピアノではない。♯系も♭系の工程も一通り終えた。ここまで二年と数カ月かかった。そして、つくづく思う。どんな楽器だって極めようとしたら大変だと思うけど、クラシックピアノは伊達に「クラシック」とついていない。極めるベクトルがきっとクラシックバレエとヒップホップダンスみたいに違うんだろうと思う。漫画にもそれは言えて、こんなヘッタクソな絵でいいの!?!?!?みたいなのが大ヒットしてるわりには、こんなに描けてるのになんで売れないの?みたいな、商業性の問題もあると思う。ちょっと前に凄腕のピアニストの友人と弟と私でセッションしようよという話になった時、この凄腕のピアニストの方が即興演奏できない、譜面がないと弾けないと固まっていたのを思い出す。その気持、今ならわかるわ。。。譜面見ないと、自分が今からどこを、どう弾いていいかわかんなくなる。ところが、コードで弾くなら、そんなに深く考えないでも鍵盤見ながら弾ける。ああ、こういうことだったのかと思う。
 そこで、私が日々練習しているのはYAMAHAのアップライトピアノか、コックピット(私の漫画の執筆場所)にMIDIキーボードと並べて置いてある か し お のエレクトリックピアノだ。なんでCASIOなんだろう・・・。決して悪いエレピではない。音も悪くないし、タッチもなかなかいい、だけどKORGとかROLANDだったら、恥ずかしくないのにCASIOだとすごい恥ずかしい。一種の差別です。
 しかし、私が習っているピアノの先生のもとでは、なんと
Boston
のグランドピアノ使っているのだむー
タッチは重めで、音は済みきっていて重厚だ。その音のあまりの違いに毎回レッスンでは、ピアノに慣れるまで数分かかってしまう。特別に先生に許可を得て画像を撮らせていただきまんたむ
b0130652_21234321.jpg

ボストンのピアノとはSteinwayの次世代型ピアノで、一流品だ。樹脂を一切使わない木製ならではの鳴りがある。いつかお金がたまったら、私もこのピアノを買いたいと思っている。
 それにしても二週間、マイコプラズマ肺炎で鍵盤にまったく触ることなく、寝込んでいたので、今日のレッスンはボロボロだった。それでも、辛抱強く先生は丁寧に教えて下さる。よーし上手くなるぞーと決心したものだ。なんていうか、元気になれてピアノ弾けるって、とても幸せなことだなあと、しみじみ思う。そういえば、ギターやベイスは一日に最低、一時間は触ってたものな、最近は三味線に代わって来てるけど、ピアノもそのノリでいこう。
[PR]
by qpqp1999 | 2012-10-25 21:45 | グルメ
まず、ご覧いただこう、これです
b0130652_18244190.jpg

これは、単に縁側にいる猫ではない。
困っている、猫なのだ。
この情景は私の家のトイレから見える情景なのだが、私は知っている、この家はこの縁側の窓を少しだけあけて、猫の出入り口にしているということを・・・。ところが、急に寒くなったせいか、家の人が猫が散歩に行ってしまったあとに、この出入り口である窓をしめてしまったのだ。
 猫は仕方ないので、ここで家主が窓を開けるのを待っている。トイレをすませて、もう一回みたが、まだ待っている。そこで撮影した。
んで、一時間後見たら、まだ閉まっていて、この家の
二匹目の猫が困っている。
b0130652_1833852.jpg

家の人はなかなか、猫たちが入れないことに気づかない。しょうじや襖を開ける猫はよくいるが、さすがに金属製のサッシになると猫の力ではあけられないらしい。
それから、更に3時間くらいして行ったら
b0130652_18355169.jpg

開けてあった・・・。
人ごとというか、猫ごとだったが、心配していたので、安心したむー。
[PR]
by qpqp1999 | 2012-10-24 18:37 |

恐ろしいことだ

 最近、私の身近に恐ろしいことが起きている。
プリンスを知らない若い人がいっぱいいるということだ。
マイケル・ジャクソンは知っているのにプリンスを知らないのだ。大変なことだむー。
 念のため、その若い女子、二十代後半に聞いてみた、「ビヨンセはしってる?」答えは「知ってまーす」だ。「じゃあ、ボンジョビは知ってる?」答えは「知ってまーす」・・・ちょっと安心したが念のため「じゃあ、ディスティニーチャイルド知ってる?」答えは「知りませーん」・・・。恐ろしくなって、もっとほりさげてみた「レッド・ホット・チリペッパーしってる?」答えは「ああ、聞いたことありますねえ」だった、
 もうこうなると脅威だったので、「レニー・クラヴィッツ知ってる?」答えは「知りませーん」
 えらいことだ。プリンスが消えてなくなろうとしている。私の中ではバリバリの現役なのに、世の中はプリンスを忘れ去ろうとしてしまっている・・・というか、初めからしらないむー。怖いむー。

[PR]
by qpqp1999 | 2012-10-23 18:40 | 音楽