牧師・漫画家・ミュージシャンの松本太郎のブログ


by qpqp1999

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ツタヤの宅配レンタル

 真剣に悩んでいる。ツタヤの宅配レンタルサービスにするかどうか・・・。というのも、レンタル業界では常識だが、顧客数に応じて、そのツタヤの支店にある在庫も比例することになっている。私みたいに三重県の松阪みたいなド田舎に住んでいると、当然、そのツタヤは東京の高円寺にあるツタヤより在庫数が少なくなるのだ。
 そこに救いの神みたいなサービスとしてツタヤの宅配レンタルという手段がある。しかし、こいつは月額料金が発生する・・・。つまり、何も借りなくても月額一定料金は取られるわけだ、もちろん規定料を超えるだけレンタルすれば金額も上昇することになる。
 うまく考えたものだ。三重県の松阪みたいなド田舎に住んでいる者にとっては、きっと全国展開しているツタヤの在庫は豊富なことはまちがいないし、私は月に最低でも四本は映画を観るので、いっそのこと、このサービスを使ってしまおうかと悩んでしまうのだ。
 しかし、何も借りなくても一月に千円も盗られると思うと、二の足を踏んでしまう。なんて貧乏なんだ私は・・・。考えてみるとミクシィとかにも月々500円くらい払ってるし、このブログのサービスだって400円くらい払っているから、既に、何もしなくても、特にミクシィなんかほとんどみてなくって、完全にフェイスブックに移行してしまってる私にとっては損失以外の何者でもないのだが。それに、つけても売れない漫画家、はたまた牧師の貧しさよ・・・。これをキリスト教的に言うと
「聖貧」という。
突っ込み待っておりやす。
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by qpqp1999 | 2012-08-31 23:09 | 映画

みずぽちゃ

 私は入浴する時は防水仕様のDVDプレイヤーを持って臨む。
お気に入りの映画の、このチャプターまでは入るぞと、楽しみながら観賞しながら、じっくり湯につかるのが主義だ。
 こないだはNHKのスペシャルドラマの「坂の上の雲」の「203高地」を観賞しながら湯に浸かっていた。いよいよ児玉源太郎が出てきて、203高地を占領するシーンを待ちわびながら体を洗っていた。そして、いよいよ次のチャプターくらいで、突撃だなと思いながら髪の毛のトリートメントを終了しかけていたら、
シャワーが水圧で飛びだしておっこちて、DVDプレイヤーに激突して浴槽に落ちてしまったむー!!!
コンマ三秒くらいで拾い上げたが、完全に湯につかっていて、湯気を出している。あわてて再生を試みるものの、どうやってもDVDが機動しなくなってしまった。
 半ば泣きべそかきながら、よくリモコン見たら、AV切り替えというボタンがあることに気付いた。そして、そのボタンを押すと、ちょうどジャストタイミングで203高地を占領したシーンが出てきた。湯につかりながら、児玉源太郎に電話がつながる、児玉がさけぶ「そこから旅順港は見えるか!?!?」返信する、最前線の日本兵「見えまああああす!!!一傍の元にすることができまあああす」と叫ぶ。DVDの復活と203高地を占領した喜びで、感動もひとしおだ。久石譲さんの作曲、サラ・ブライトマンの美しい唄のエンディングテーマが心にしみる。よく帰ってきてくれた、まいDVDプレイヤー。
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by qpqp1999 | 2012-08-30 18:50 | 映画

契約書

 漫画家して長いことなるが、契約書を交わしたのは、今、連載しているコミックラウドの「ノブナガール」だけただ。今度、このコミックラウドが中国に進出することになり、契約書が新たに更新されることになった。なんか大リーグの契約更新みたいだ。だから契約は大事だよな、と中を読むが、甲とか乙とかややこしい。
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 また、今回、中国に進出するにあたって、全話の扉絵がカラーになるという。そこで全話の扉絵のサンプルが同封してあって、「ここに○●色を配色せよ」とかの指示を求められる。また、あるいは全部、中国のエンジニアが彩色してくれるので「おまかせ」もありだという。フィギュアでおなじみの中国の彩色技術は相当に進んでいるだろうから、私は、「おまかせ」にすることにした。はたして、私の扉絵はどんな色に着色されるのだろう。ただでさえ、フォトショップのテクスチャつかっているのに、こんなんに彩色できるのか・・・と思わないでもないが、中国のエンジニアのセンスを楽しみに待つことにしよう。
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by qpqp1999 | 2012-08-29 19:00 | 漫画

執筆中

 漫画の締め切りと格闘しながら描いている。
 私は基本全てCGで描く。線も背景も全て、CGだ。といっても、作業はとてもアコースティックで、実際に画面、液晶ペンタブレットに直接描いていく。そこで欠かせないのが、飾り物だ。やはり、やる気を出すためには自分の作業環境を充実させなきゃならない。
 昔はブラウン管のモニターだったのでその上に色々フィギュアを乗せていたが、今は薄いペンタブレットなので、PCラックにフィギュアと
 みらーぼーる
を飾っている
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両サイドはマリリンマンソンのMechanical animalsとDisposable teensそして
PC本体の上にはファイヤーボールドロッセル飛行ユニットバージョンが鎮座ましましている。
これくらいやらないと楽しく描けないんですよね。
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by qpqp1999 | 2012-08-28 19:07 | 漫画

トムセン陽子さん

 私は仕事中にラジオ聴く。お昼のJFNのONCEが生なところと、トムセン陽子さんがパーソナリティーをしているので、この番組はお気に入りだ。
 で、今日、コメントをメールしたら、コメントこそ読まれなかったけど
「三重の漫画家松本太郎さんありがとうございます」と名前は呼ばれたむー!!!
トムセンさんのファンなので、なんか不思議な気持ちになった。しかし、いいのか、これで運を使いきってしまって、しまったロト6にこの運をとっておくのだった・・・。
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by qpqp1999 | 2012-08-27 19:20 | ラジオ
聖霊降臨後第13主日礼拝説教 マルコ福音書6章45-52節
 水の上を歩くイエスという、絶対にあり得ない奇跡物語伝承である。しかし、並行記事が紀元一世紀頃に描かれたヨハネ福音書にも記されており、またマルコ福音書と同様に五千人の給食物語と結びつけられて記されていいるので、この五千人の給食の奇跡伝承と湖の上を歩く奇跡伝承はかなり早い段階、即ち、マルコ書が書かれた紀元60年には結び合された伝承となり、後の紀元1世紀にいたるまで広く知られた伝承であったことがわかる。
 尤も共観福音書三書においてはマタイにのみ並行記事が確認でき、ルカ書では、さすがに非現実的だと思ったのか、記されていないのも興味をそそるところである。
 とにかく水の上を歩くというのだから気色わるいものである。「幽霊」だと思われても当然の現象だ。病気治しからはじまって、悪霊の追放や、五千人以上の人への給食、そして今回の湖上歩行の奇跡物語は読んでいて興味深いものではあるが、だからといって、では現代で私たちの病気を治してくれるだろうか。悪霊の追放など、もし対象者が何等かの精神疾患で遭った場合、悪化させる恐れがある。ましてや五千人の給食のように、私たちにパンと魚を下さるかといえば下さらないし、水の上を歩けるかといえばそんなことは現実問題として取り扱うには、あまりにも無意味である。今、ここで無意味といった意味は現代社会において水の上を歩くとかどうかということが真実であったかどうか問うことを議論することが無意味だという意味で無意味なのである。
 確かに、水の上を歩けたら便利かもしれないが、聖書は水の上を歩いたからイエス・キリストは全能の神様だったのだ、というような趣旨を強調しているのではない、ということをまずもって理解しなければ、この聖書個所の意味が無くなってしまう。実のところ、イエス・キリストが水の上を歩こうと、歩くまいと、現代日本に住む私たちには、その現象自体は全く意味をなさないばかりか、カルト宗教に追いやられる危険すらはらんでいる。そこで、改めて、キリスト教としてこの、湖上歩行の奇跡伝承を詳しく分析していきたい。
 前述の通り、五千人の倍は下らない人々に五つのパンと二匹の魚で満腹させ十二の籠にいっぱいになるほど残飯が生じた奇跡伝承と、このイエス・キリストの湖上歩行の奇跡伝承はかなり早い段階から、結合されて語られてきており、それが紀元一世紀に至るまで流通していたところを鑑みるとよほど有名であり、広く知られていた伝承であった、ということは間違いのないことである。噂のレベルでは相当に強力な伝承だったといえる。
 では、この奇跡の発端は何だったかを読んでみる。「パンを食べた人は男が五千人であった」から、直結してこの話に入る。それは「それからすぐ」という言葉によって強調されている。しかも「イエスは弟子たちを強いて船に乗せ、向こう岸のベトサイダへ先に行かせ、その間に御自分は群衆を解散させられた」のであった。「強いて」というのは注目すへべき点であろう。弟子たちの、趣向や思いではなくイエス・キリストの意思で弟子たちは船に乗せられて出港させられたということなのだ。面白いのは生き先が「ベトサイダ」というところである。普通に読み飛ばしてしまいそうなところだが、実は「ベトサイダ」はガリラヤ湖の北岸、ヨルダン川が湖に注ぎ込む川口のすぐ東側にある。そして何よりも、筆頭弟子のペトロ、そしてアンデレ、フィリポの出身地であった。次の展開では「ゲネサレト」に着くことになっているので、殊更、ここで弟子の出身地に無理やり出向されられるという強調がなされているのである。つまり、弟子たちが望んで、そうなったのではなく、イエス・キリストが無理やりそうしたのだということである。
 そしたら、言わないことではない、「逆風のために弟子たちが漕ぎ悩」むことになるのである。尤も、4章におけるような沈没の危機にはさらされていなかったかもしれないが、「逆風」が強くて前進できない状態に追い込まれたのだった。しかもその原因はイエス・キリストが「強いて」「行かせた」からである。
 私たちは好きで人生を謳歌しているだろうか。好き好んで、楽しんで生きているだろうか。人間とは誰しもが、好きでこの世に生まれてきたのできないことは確実に言えることである。言わば、私たちは「強いて」この世という湖に出向させられたのである。その後の顛末は人それぞれによって変わってくるだろうが、まず一つ言えることは、生まれてこのかた、一度たりとも人生の逆風にさらされたことが無いという人はよほどの幼児で無いかぎり、いないであろうということだ。人は悩み、傷つき、苦しめられて、生きるしかないように、この世の中はなっているのだ。それが、立場や、健康状態の問題で苦境に立たされてるならばいるほどに、人は苦しみに喘ぎながら、その逆風に難儀しなければならないことになっている。これは古今東西を問わず、多くの人が納得することであろう。だから、この伝承は早い段階から遅い段階に至るまで伝承として語り継がれてきたのである。
 どうして、この湖上歩行という荒唐無稽な神話が、これほどまでに広まり、あるいは好まれているのか。それは、このイエス・キリストの湖上歩行は単なるオカルト現象ではなく、現在を生きる逆風の中にある私たちに対して、通常ではあり得ない状況を歩いて来て下さるという暖かいに福音に満ちていいるから以外の何者でもない。主イエス・キリストは逆風に悩む者のそばに、それが水の上であろうと立ってくださるのだ。そして、この福音を受けた者はそういうイエス・キリストに信頼して歩んでよいのだ、あるいは歩むべきなのだということが強調されているのである。つまり、イエス・キリストは逆境に遭い、苦しんでいる人のところには、たとえ、それが水の上であろうとも、歩いてきて下さり共に立って下さるのだという力強いメッセージがここに主張されているのである。
 ただ、ここでマルコ書にしか見られない演出がなされているのも見逃してはならない。それは、「弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て」「湖の上を歩いて」「弟子たちの」「そばを通り過ぎようとされた」という一文である。通り過ぎたら意味が無いのだが、そこでは旧約聖書の神顕現が意識されていることを踏まえるべきであろう。出33章、王上19章しかりである。ヤハウェは風や海の支配者として旧約聖書では広く語られている。エホバという発音に執着する新興宗教があるが、これは、ヤハウェという主の名を、口にするのは畏れ多いこととしてアドナイという代名詞をつけたからであり、これに対してYHWHの母音をつけるとエホバになるという誤読からきていることはつけくわえておこう。
 主イエス・キリストはまことに困窮している私のもとに歩んで共に立って下さるのだ。
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by qpqp1999 | 2012-08-26 14:07 | キリスト教

うちのゴスペルクワイア

 私が代表を務めている、ゴスペルクワイアにはテナーに男性が三人いる。この中の一人はなんとお坊さんだ。作務衣をまとって、ゴスペルを唄う。また、重要なムードメイカーでもあり、ゴスペルクワイアにとって欠かせない人物だ。
 今日ゴスペルクワイアの練習の後に、このお坊さんが「浄土宗」のお坊さんであることがわかった。そこで、簡単にきいたのだが、浄土宗と浄土真宗はどこが違うのかということだ。浄土宗は法然で浄土真宗は親鸞だ。親鸞は法然の弟子だ。で、法然は念仏を唱えれば救われると説いたのに対して、親鸞は念仏を唱える必要もない、すでにその個人が存在している以上、その人は救われているのだ。念仏はその感謝としてとなえるのだという。
 なるほど、さすがに進んでいる。洗礼受けなければ天国に入れませんと言い張るだけの「キリスト教」よりも各が上だなと思った。実際のキリスト教はそんなケチな宗教ではない。むしろ親鸞に近い。特に解放の神学においては、相当に似通っている。ルター派である以上、当然、聖霊典を否定するつもりはないが、では、その聖霊典なしでは絶望的に救われないのかというと、そうではないということは確かなキリスト教徒の方なら納得いただけるはずだ。
 むしろ洗礼を受けていない罪人が、その罪に嘆いている状態の方より、洗礼を受けて「わーい、もう罪は無くなったもんね」とはしゃいでいる罪人の状態の方が救われていないことは明確だろう。だから、「安価な恵」であり「高価な恵」なのだ。ここは、はっきりさせておこう。
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by qpqp1999 | 2012-08-24 23:26 | キリスト教

日本だけだろうか

 日本人は 「ありがとうございます」のかわりに「すいません」と謝る習慣がある。
 松阪では「ごめんな」という言葉がものすごく頻繁に使われる。
 なんで素直に「ありがとう」と言わないんだろう。「ありがとう」の一言なのに、どういうわけか「すみません」と謝ってしまうのだ。それは私にも当然あてはまることで、何か、用事をしてもらう時に、ついつい「あ、すいません」と謝ってしまう。なんで「あ、ありがとうございます」と言えないんだろう。
 もちろん、言われている人もそれが謝罪の言葉ではなくて感謝の言葉であることは承知しているので、言語体系としてはちゃんと成り立っているのだけど、どういうわけか、日本人は
「ありがとう」のかわりに「すいません」と謝るような言葉で感謝してしまうのだ。
 いいか悪いかは、別にして特殊な国民性だ。
そういえば、日本語の面白いところは、その発音と意味では偉い違いがあることを、デイサービスセンターの開所式の時に、しみじみ思った。デイサービスセンターは私の自宅を改造したものなので100人単位の人は入れないから、近くのCOGの教会の礼拝堂をお借りして、開所式をしたのが二年ほど前だ。
 妹も弟も手伝いに来てくれて、教会での開所式が終わってから、デイサービスセンターのテープカットと内覧会が行われた時に、ゴスペルクワイヤーの演奏があった。そこで、ローディーをしてくれていた弟が、ちょうど年頃のゴスペルクワイヤーの女子に対して、エレクトリックピアノを設置する際に「すいません、犯さしてもらっていいですか」と言った。もちろん本来の意味は「置かさしてもらって」なのだが、相手が観た眼シュレックみたいな筋肉モリモリのスキンヘッドの弟であり、言われているのがカワユスな女子だっただけに、私は爆笑してしまったものだ。発音が全く同じなのに「犯さしてもらっていいですか」と「置かさしてもらっていいですか」ではえらい違いだ。日本語って面白いな・・・。
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by qpqp1999 | 2012-08-23 19:21 | 日本の習慣

戦火の馬

 漫画の絵コンテ第一稿を送って編集部の返事待ちなので、待ちに待ってた「戦火の馬」を観た。なんで、劇場に行かなかったというと、ぜったい関連グッズのポップコーンとビールを買っていたはずで、そうなると、絶対に、いちばんいいクラマックスで小便に行きたくなって、尿意と格闘しつつクライマックスを観る羽目になることが目に見えていたからだ。
 そして、ついにDVDリリース!!スティーヴン・スピルバーグという映画監督は私の幼少期からすごく影響を私の作品に影響を及ぼしてきた人だ。最初にはまったのが小学校低学年だったころの「ジョーズ」、実はスティーヴン・スピルバーグの二段目のヒット作だった。その卓越した描力はなんと黒澤明に影響を受けたのだという。日本と米国を行き来して、また日本の子どもに影響を与えたというわけだ。
 それにしても買って、正解だった。「戦火の馬」はいい。「プライベートライアン」以降以来の傑作だと言える。尤も原作がいいのもあるけど、原作以上の作品に仕上がってるいことは誰もが認めることだろう。
 同じ゛戦争関係の映画でありながら、「プライベートライアン」と違って、「戦火の馬」は、とにかく心が温まる。戦争という非常で非情な時代を駆け抜けた馬を主人公にしているのに、なんとハッピーエンドなのだ。これ以上内容に触れると、これから観る人たちが可哀そうなので止めておく。
 第一に凄いと思ったのは、
CGではないこと
だ。そうだ、馬が演技しているのだ。なんてことだ。部分的にはパペットを使っただろうと思うシーンですら、本物の馬が演技している・・・。馬にアカデミー男優賞があれば、この映画に登場する主人公の馬、数頭は確実にアカデミー賞主演男優賞を獲得していることだろう。
 そして物語の次から次に繰り出される場面展開、そこに描かれる人間慕情。そしておなじみのジョんウィリアムスの音楽。最高だ!!!。これは何としても親にも観せなければならない。半年くらいは私のバスタイムの友になることだろう。いい意味で戦争の映画盗らせたらこの人に叶う人は今現在のところ地球に存在しないだろう。ドリームワークスぐれいと!!!
 まいスティーヴン・スピルバーグ最高!!!
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by qpqp1999 | 2012-08-21 19:50 | 漫画

バージョンアップ

 iPhoneで「ドコデモFM」というアプリを使うために、バージョンアップした。3000円もかかった・・・。そしたら操作画面が大幅に変更されていた。一番驚いたのは、googleで検索しようとしたら、キーボード画面が出て来ない。
 入力できないぢゃん!!!と、つっこみをいれていたら、iPhoneが
「手で描け」と言ってきた・・・。ウソだろうと思いつつ、画面に字を描くと、それが文字として入力されていく。す、すごい・・・。ここまできたかiPhone。楽しくってしょうがないから有料アプリを二本も購入してまった。
 いかん、すっかりAppleの読み通りに動いてしまっている。
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by qpqp1999 | 2012-08-20 19:14 | iフォン