牧師・漫画家・ミュージシャンの松本太郎のブログ


by qpqp1999

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がっかりだ・・・

実は上映期間中私は
自転車で12キロ先の映画館までいく気力がなくて
観ていなかった
「エヴァンゲリオン新劇場版破」
悔い改める思いで
DVDを借りる
観た
がっかりした!!!!
庵野秀明さんは
私のふぇいパレットな
アニメーション作家だ
あの
「風の谷のナウシカ」
の巨人兵を描いたのも彼です
エヴァなんてまるきり
巨人兵ですよね
つーか本当はウルトラマンなんだけど
でも
期待した私がバカだった
いちばんむかついたのが
なんで
式波アスカに改名しなきゃならねいんだ!!!
アスカに関してはそれどころぢゃねい
ばかしんじに恋心すら抱いているではないか!!
しかもミサとに℡で告ったり
ばかしんじの横に寝たり
なんってあまったるいアスカなんだ
こんなのはアスカぢゃねい!!!
極めつけは
綾波レイがあまりにも素直すぎるところだ
バイオ人ならではのクールさが燃えるのに
なんでバカしんじのために料理作ろうと努力してるんだ
しかも
最後はばかしんじのために自分を投げ出すなんて
こんなの綾波レイぢゃねい!!!!!
最後に付け加えるなら
キリスト教の聖典古典をネタにするなら
この100000倍は面白いものにしろ
つ ま ら ね いんだよ こんなの
しかも絵が
「トップをねらえ2」と酷似していて
おおよそ元祖エヴァンゲリオンとは遠のいている
碇 シンジはバカでなきゃいけないし
臆病で何もできないのに無理やりやらされるのが燃えるのに
今回は進んで自ら闘っている
こんなのは
ばかしんじではない
しかし、観るのが遅すぎた私にも参ったことがある
展開が次の私の漫画とまるっきり同じだから・・・
パクリと思われたら困るので
もっと複雑にしてやるぜよ
by qpqp1999 | 2010-09-29 20:54 | 映画
聖霊降臨後第18主日礼拝説教 ルカ福音書16章19-31節
 ルカ福音書にしか見られない、けれどもよく知られた「金持ちとラザロ」の話しである。あの世のことを具体的に描写した珍しい個所でもある。実のところユダヤ教、もちろん初代キリスト教においても来世とはどういったものか実ははっきりしていなかった。
 しかしルカは確実に来世ということにおける人のあり様の反転を強く打ち出している福音書である。6章20節にあるごとく「貧しい人々は幸いである。神の国はあなたがたのものである」「しかし富んでいるあなたがたは不幸である、あなたがたはもう慰めを受けている。」「今泣いている人々は幸いである。あなたがたは笑うようになる」「今笑っている人々は不幸であるあなたがたは悲しみ泣くようになる」という具合にルカの神学において特に際立っている点、すなわち信仰とか善行とかが干渉しないその人が苦しんでいるかどうか、その人が貧しいかどうか、あるいはその人が幸せなのかどうか、その人が富んでいるかどうかが決定的な問題とされているのである。そこに一切の行いや信じることは存在しない。ある意味ものすごくクールな視点である。
 こうなってくると日本人は日本という豊かな国に住んでいて、それなりの生活を保障されているという豊かな点で全員アウトということになってしまう。世界規模でみれば日本は、それはそれは豊かな国なのだ、研修生制度というのがあってベトナム等の若者たちが日本の企業でノウハウを得て3年後に祖国に帰り、やがてそこで発生するであろう日本企業の人材になるというものがある。その制度で日本に来ていたある4人のベトナムの若い女性が教会に訪れてくれた。親しくなって、ベトナム名物の春巻きを教会の3階で作ってご馳走してくれたり、また、彼女たちの住むアパートにお邪魔もさせていただき、「一緒に夕食をたべてください」と言っていただき、彼女たちと親交を深めた。そこで、経済社会の凄まじいまでの差を感じた。円とベトナム貨幣ではレートが10倍だという。つまり日本の1円はベトナムの10円、日本の1000円はベトナムの1万円ということになる。そこで彼女たちは月に6万円を日本から支給され、アパートを提供される。およそダイニングキッチンとはよべない狭いダイニングキッチンと四畳半の部屋が二部屋そこに彼女たちは4人で住んでいる。「一緒に夕食を食べていってください」と言っていただいたのでその狭いダイニングキッチンでベトナム製のレトルトフードをいただいた。大そう美味しかったので、そう言うと、彼女たちはキッチンの棚を開けて、そのレトルトフードを私にくれた。私が遠慮すると「たくさんあるから持って行って下さい」と言う。よく見ると棚の中はレトルトフードでぎっしりになっている。なるほど彼女たちは月々もらう6万円の多くを仕送りしてその先祖国ベトナムで食材を買い送ってもらいそれを食事にするのだ、その方がはるかに効率的だからだ、彼女たちの6万円は祖国では60万円になるから彼女たちがその生活をきりつめて祖国に仕送りしているのだった。しかし、彼女たちにはインターネットの環境や携帯電話の携帯が許されていなかった。ところが、どうにかして彼女たちは「ショクバン」と言ってソフトバンクの携帯電話を手に入れ、家族と連絡を取り合っていた。ソフトバンクだと通話料が海外であっても相手がソフトバンクであれば無料だからだ。私は、決して金持ちではない。親族の中で一番貧乏な者だろう。それ故、兄弟にまでばかにされる始末である。お金がないばかりにと、いくら思うことだろうか。それでも、世界規模でみると私は金持ちなのだ。これは大変なことである。私は今日の個所の「金持ち」になってしまう、尤もルカ書では特にこの金持ちっぷりを「いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て」と描写している。この出で立ちは王侯貴族の姿である。紫の色素をアッキ貝からとられる貴重で高価なものだった。また麻布はユダヤでは手に入らないエジプト産のやはり高価なものなのだった。対するラザロは物乞いであり、この金持ちの門前に横たわっていたという。おそらく健康をひどく害し、座ることもできない悲壮な有様である。さらに不幸なことに「できものだらけ」でいつも飢えていたから金持ちの家の「食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた」ついには「犬もやってきては、そのできものをなめた」ともう悲壮極まりない状態をしつこいほどに描いている。では、このラザロに何等かの信仰心や善行があったかといえば、そんなことは全く関係なくラザロは生きている時に「悪いものをもらっていた」というただそれだけの理由で「天使」によって「宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れていかれた」という。よくギリシャ語原典を読んでみたが「宴席」に相当する単語が見当たらないおそらく動詞からそれを意訳したものである。では、「金持ち」がそんなに悪いことをしていたかというと断じてそんなことはない。彼はたまたまそういう恵まれた境遇にあったから、その生活を謳歌したに過ぎない。門前のラザロに恵んでやらなかったということは一つつっこめるところだし、実際、「門前に」という事を読むとルカは伏線として、「金持ち」には「悔い改める」ここでまさに本田神父の訳「低くなる」がよくあてはまる個所だと思う。「金持ち」が救われるには自分の状態を低くする必要があり、それが「悔い改め」であり「モーセと預言者がいる。彼らに耳をかたむけるがいい」ということである。ここで面白いのは「贅沢に」と訳されている言葉λαμπρῶςガプルースは直訳すると「素晴らしい」であり、決して彼は豪遊していたわけではなく、たまたま豊かな境遇におり、そのすばらしいものまさに「良いもの」をもらっていただけなのだった。彼には何らの悪意なかったことが、罪そのものだったことが恐ろしいことである。ただひたすらに「金持ち」だったからいけなかったというのがルカ神学の特殊なところである。「金持ち」は死んで生前の良いものから一転して「炎の中でもだえくるし」むことになる。炎の中からアブラハムに助けを願うがここでアブラハムは「子よ」とユダヤ民族の血縁関係を強調する。つまり、ユダヤ人だから救われるわけではないというルカのアンチユダヤ教な側面がここにくっきりと描かれる。
 では「金持ち」たるわたしたち日本人はどうすればよいのだろうか。はっきり言って貧しくなるしか道はないのだ。具体的には貧しい境遇、苦しみの中に置かれている人と人生を分かち合い、共に生きることをしなければならないのである。人はみな、せっせと貯金をし、ちょっとでも豊かになろうと必死になる。資本主義社会が人類の基本になっている今、私たちにとって「悔い改める」とはそうすることでしか行い得ようがない。非常に難しいことであるから、まさに祈りをもって取り組まねばならない信仰のあり方である。
by qpqp1999 | 2010-09-26 14:30 | キリスト教

毎週金曜放送!!!!

「松本太郎テレビ」意外に好評なので
毎週金曜日にUPしていこうと思います。
今回はげげげの た ろ う
ということで
よろしくどーぞ

by qpqp1999 | 2010-09-24 21:03 | YOuチューブ
出さないで
という
お願い調なのが笑えます
つーか
出したら
だめでしょう普通に・・・

出すこと前提で
書かれているところに
この評語の
日本の交通安全基準が評価されていると思い松
ではどーぞ

by qpqp1999 | 2010-09-18 00:43 | 交通安全
聖霊降臨後第16主日礼拝説教 ルカ福音書15章1-10節
 マタイにも並行記事がみられるものの、この個所はルカ書5章29-32節をモデルにしている所がルカ書の特徴となる。5章29-32節は徴税人レビの家での宴会の様子である。徴税人はそれは憎まれた存在であった。不当な税金を要求し、ローマ帝国に収める金額との差額で儲けていた人たちであったからだ。尤も、誰でもが徴税人になることはなく、徴税人になるに至るには、それなりの経緯があったことは考えるべきである。犯罪者が誰でもが意図して犯罪者になるのではなく、やはりそれなりの経緯、伏線があって犯罪にいたってしまうのと同じであろう。
 「徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄ってきた」とある。これは社会的に極めてネガティヴな現象であるから、私は史実に基づくと考える。わざわざ、社会から嫌われるような存在に誰がなろうとするだろうか、また、その教祖が反社会的な人々と親交を深めていたなどというのは、できれば隠したいくらいの事である。
 徴税人レビの家での宴会は、相当な顰蹙をかっていたことは、5章30節をよめば、よくわかる。私が神学生だった頃、音楽の教鞭をとっておられた教授がたまたまユダヤ教の人と知り合いで、そのおかげで私は現代のユダヤ教の礼拝に参加する経験をしたことがある。安息日であるから土曜日であった。そして一定数の男性が集まるまで礼拝ははじまらない。また、安息日なので電車をつかわないで歩いて来る人もいるし、モーセ5書を読む時は二人がかりで読み間違えのないように細心の注意が注がれていることなど改めて、その熱心さを知った。しかし、それだけ敷居が高そうな儀式にキリスト教の神学生が参加することを許してもらったのは貴重なことであった。そして、最も印象に残ったのは、礼拝後の食事を大切にしていることである。ユダヤ教にとっては食事を共にするというのは、信仰の交わりの時なのである。
 まして、宴会を共にするということは、日本で飲み会が行われるという以上の信仰的な価値がそこにある。だから真面目なファリサイ派の人たちは間違っても徴税人と共に宴会をすることはないし、罪人とみなされている人と食事をすることはあり得ない。
 ここで出てくる罪人ἁμαρτωλοὺςアマルタルースは、犯罪者というよりは律法を守らない人たちを指すと理解するほうが適当ではないだろうか。もちろん律法を守らない人は犯罪者に等しい扱いを受けまた、犯罪者としてすらみなされていたはずである。
 まず、私がこの個所で気になるのは、「徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄ってきた」と彼らの方がイエスに興味を持ち、その「話」を聞こうとして「近寄ってきた」ということである。ここにルカならではの特色が現れているのではないだろうか。イエス・キリストはいわば「ならず者」たちから見て「近寄」りたくなる存在であったということである。
 そこで、もっとこの部分を掘り下げるならば、徴税人は前述のように卑劣な手段で私腹を肥やすような人々である。では「罪人」とはどのような人々であっただろう。律法を守らない人というだけでは説明不足であるし、まるで暴力団でも歓迎かのような誤解を受ける。ここで言われる律法を守らない「罪人」とは社会的マイノリティーであるということをはっきりすることは大事なことではないだろうか。今や元暴力団だった人が牧師になって刺青を見せびらかしているバラバを名乗る教派もあるほどだが、暴力団というのは意外に保守的な社会構造を持っていて、うまく法律を盾にとって悪事を働き、警察官にはへこへこと上手いことを言って笑顔すら見せる傍ら、弱き者からは金銭から人格までもうばいさるような、まさに卑劣な集団である。そのような人はこの個所における「罪人」とは断じてちがうということをはっきりさせておく必要がある。あくまでもこのルカ書における「罪人」とは社会的マイノリティーな人々であったこと、すなわち差別をうけている、そういう人々を指すと言うべきであろう。具体的に言うなら実際差別されている同性愛者や、国籍で差別されているような人たちである。精神障害者は最近は大分とその待遇が変わってきたものの、やはり精神障害の中に性同一性障害も未だ含まれており、差別の対象となっていることには違いないであろう。
 つまり保守的でない人こそが「罪人」としてみなされていると解釈することは十二分に可能でありまた、その側面こそ今の日本社会においては強調されねばならないところである。
 冷やかな保守たるファリサイ派の人々の差別的な「不平」を言い出した事に対して、イエス・キリストは1匹の羊を探し求めて、見つけて大喜びする羊飼いと、ドラクメ一枚を執拗に探してこれまた見つけ大喜びする女性、<ドラクメはローマ貨幣の1デナリオンで当時の一日分の労働賃金くらいが目安である、>の話しをもちだして差別をしつづけるファリサイ派の人々に対抗する。
 つまりイエス・キリストは社会からうとまれ、追いやられている人、社会的に弱い立場にある人にとってこそ、非常に魅力的な存在であり、その反対の立場の人たちには完全なる敵であったことがここではっきりする。99匹の保守的な差別者よりも1匹の被差別者の方がイエス・キリストにとっては大事であり、その1匹を見つけることに、おおげさなぐらい喜んでくださる、それがイエス・キリストであり、まさにそこにこそ福音があるのではないだろうか。
 保守的で差別主義なファリサイ派の人を敵にしてまでしてイエスキリストは弱き「罪人」と共に食事をしてくださる、つまり深く愛して下さるのである。そういう側面がルカ福音書では色濃く発せられているのである。
 ここに現代の私たちの信仰のありようも考えられねばならないであろう。それは、現代日本にはびこる保守的な差別と対決することである。そこに、イエス・キリストとの食事が発生するのである。まさに「悔い改め」と訳されているμετανοοῦντι.メタノウンティとはバチカンからお招きがあってもそれを断って大阪のいわゆる「釜ケ崎」に定着して活動とておられるカトリック教会きっての聖書神学者本田神父によれば、「低くする」と訳すべきとある。つまり、私たちは高ぶるのではなく自分が下げずんだり、嫌ったりしている人に対して「低く」なることが真の「悔い改め」なのである。
by qpqp1999 | 2010-09-12 12:22 | キリスト教

by qpqp1999 | 2010-09-10 20:14 | ブルース
牧師、漫画家、シンガーソングライターに
新たな肩書が・・・
介護員
そして
生活相談員うちの新生ルーテル教会で
デイサービス新生ルーテルをはじめたものだから
この施設の仕事もしなきゃならなくなったむー
なにしろ介護度がついてる人たちですから
頭はしっかりしてるけど歩けないとか
歩き回るんだけど意思疎通ができないとか
そういうご利用者様の食事の介護やら
入浴の介護やらするのです。
はたまた、通所のための手続きのために
ケアマネージャーという人と一緒に
介護度のついたご高齢者のお宅に行って
手続きしたり、ご利用者様やお役所相手の書類作ったり
朝から夕方まで牧師、介護員、生活相談員
夕方から漫画家、シンガーソングライター
もうプライベートな時間はないむー
by qpqp1999 | 2010-09-10 13:58 | キリスト教

実刑だぜ!?!?

すずきむねお が 懲役2年実刑!!!
おい おい おい 
すげいことだぞ
すずきむねおは あの禿げた頭を
さらに坊主にされ

そこらへんの懲役者たちと共に
受刑者としてすごすわけだ
すげいことだむー
by qpqp1999 | 2010-09-08 23:00 | 都市伝説

松本太郎テレビ第二回

松本太郎テレビ
第二回です

by qpqp1999 | 2010-09-04 00:29 | 動画

ちゃんとブルーズする

生まれて初めて
ピアノを習い始めました。
いや、弾いていなかったわけではないのです
我流なので
好きなコードとか自分の曲しか弾けなかったので
ちゃんとした譜面通りにきちんと弾けるように
なりかたかったのです
タイとスラーの差を初めて知ったりもしました
いいですね
譜面をクリアーする快感!!!
そして そして
ピアノの先生としてはかなり高名な先生が
私の最初の課題曲練習曲を用意してくれました
練習曲名
「臨時記号ぶるーす」!!!!
ですよ!?!?
時々シャープとかフラットとかナチュラルとかタイやスラー
がはいってくる
まさに臨時記号な曲ですが
やはり
私はブルーズとは切っても切れん縁があるようだむー
by qpqp1999 | 2010-09-02 19:57 | ブルース