牧師・漫画家・ミュージシャンの松本太郎のブログ


by qpqp1999

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レイヴ情報!!!
9月6日に私のつとめます新生ルーテルゴスペルクワイヤーの
ライヴがあります。午後3時からです。是非におこしください。
私はドラムスを担当します。
何故にドラムスに無理やりなったかというと
男声で歌うのが嫌だからだったのだむー
とか言ってるわりには
路上レイヴでは男声まるだしなのだが
やはり女性との関係の中での男性の役割が
私にはかなりな負担になっていたのでした
んでドラムスに
これがわたしのコックピット
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オープニングは私のリゾネイターギターとサンプラーの音源で
This little light of mindを
ブルーズに歌います。本来ゴスペルとブルーズは水と油なのだが
私によって結合されるのでした。
ドラムスの横にはリゾネイターギターとサンプラー!!!
コックピットの足元はこうなっている
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ツインペダルとコンガの小さいのが見えます
ツインペダルで16ピーとをドコドコいわせますむー
by qpqp1999 | 2009-08-30 12:42 | ゴスペル
聖霊降臨後第12主日礼拝説教 マルコ福音書6章45~52節
水の上を歩くとはなんとも気色の悪い出来事であろう。また、あまりにも荒唐無稽な話でもあろう。はたして史実上のイエス・キリストは水の上を歩いたのであろうか。私が考えるにそのようなことを議論してもあまり意味がないと思う。仮に本当に水の上を歩いたからといって私たちに何の関係があるだろう。史実のイエス・キリストが水の上を歩こうと歩くまいと主の恵みは変わらずに私たちに与えられるというメッセージ無しにこの箇所を読んでも意味がない。
奇跡の連続となる、たった今5000人に5つのパンと2匹の魚で満腹させたばかりである。私が個人的に思うのは水の上を歩くよりこちらの方が難易度が高いのではないかと思ってしまう。現象としてパンが増えたとも魚か増えたとも書いてないからである。ここが奇跡の所以で、よくイエス伝の映画ではこのシーンではパンか増えたりしているのだが、福音書はそんな具体的なことは記していない群集は5つのパンと2匹の魚で満腹し残飯が12のかごに一杯なったという出来事を淡々と表現している。であるから、そこに焦点を当てて考えるほうがより理解に繋がるのではなかろうか。それに比べると今日の聖書箇所はあまりにもストレートな奇跡物語なので、どうこう言う隙がない。
この水の上を歩く軌跡物語は一番古い福音書マルコにあるからそれから20年から40年たって書かれたマタイ福音書に出てきても不思議ではない。ところがその共観福音書のルカ書にはどういうわけかこの箇所が記されていない。逆に共観福音書ではない最も新しい福音書ヨハネ書に短くだがこの、水の上を歩くイエス・キリストが記されている。ということはかなり古い年代でこの水の上を歩く物語は成立していたことが覗える。尤も今日の箇所では後に触れるけれども不自然な点がある。イエスは水の上を歩いて「通りすぎようとされた」である。何故に「通り過ぎる」のか、マタイ書ではこの部分を不自然と感じたのかカットしている。
今日の聖書箇所でまず注目したいのか「祈る」イエス・キリストである。神が何故に神に祈るのだろうか。誰でもが思うことであろう、信仰の見本としてのあり方をしめしたとか色々とごたくをならべることはできるが、これはダイレクトに受け止めるべき箇所ではないだろうか。「祈る」ことの真理性がここに示されているといえるだろう。勿論、イエス・キリストは祈られる方の主なる存在であるが、同時にまことの人としてやはりそこに祈りがあってこその総てでることがマルコ書によってより強調されていることになる。実はマルコ書では祈るイエス・キリストはここと他に一度しかないことも、その神秘性を高めているといえるだろう。
そしていよいよ、今日の箇所に踏み込んでいくのだが、奇妙な一節がある。イエス・キリストは「祈る」ために「山」に行かれるがその前に「弟子たちを強いて船に乗せ」という部分である。なぜ「強いて」なのだろうか。そこで原文にあたってみるとこれはギリシャ語でエナグーカセンで「必要とする」という意味があるのだった。だからこその「強いて」だったのだと辞書を見ながら納得したものである。船に乗せられ一方的に船出させられたのには意味があったのだ。それはそこで「逆風」にあって沈没の危機にさらされるためだったのである。私たちにとってまさにこれは大切なのだ。時にどうして自分だけがこのような目にあうのかと思う事が誰しも体験する苦難である。そのような時、私たちはきまってネガティブになってしまう。苦難というのはまさに私たちを追い詰めて「逆風」に「こぎ悩み」沈没寸前まで絶望的な状況にするのだ。しかし、マタイ書は言う、それは
「必要なこと」だったのだと。こんなことを言うと今まさに本当に苦しんでいる人からすとなにが必要だと怒られるかもしれない。そこにマタイ書は答えを用意していた、「船は湖の真ん中」にいてイエス・キリストは「陸地」にいた。つきはなされたものだと思っていたら「こぎ悩んでいるのを見て」とある。確かに今の私たちと主イエス・キリストはあまりに距離がある。2000年の差、聖書を通し、祈りを通しての交わり。だがそれだけではなかった。それはまさに船に乗っている私たちの感覚であって、実はあまりにもその実態がわからない主イエスキリストは「見て」おられたのだ。しかもよくよくここのギリシャ語原典を調べてみたら「見て」は「理解する」とも訳することができるイドゥーンという言葉だった。私たちはまさに湖の真っ只中で苦悩しているが、遠くにあるはずの主イエス・キリストは私たちの現状を「見て」「理解」してくださっているのである。この関係がなりたつために、わたしたちは船にのって出ることを「強いられた」のであり、それは主イエス・キリストと出会うために「必要な」ことであったのだ。そして主イエス・キリストは助けるべく水の上を歩いていかれる。この奇跡伝承は水の上を歩けるからすごいだろうというのではなく、まさしく今、現在、水にもまさるおおきな隔たりによって主イエス・キリストがわからなくなっているわたしたちのもとに、まさに水の上を歩くにもまさって主イエス・キリストは駆けつけてくださるのだという神学がここに展開されているのである。前述したけれども助けにきたわりには「そばを通りすぎようとされた」とあるのはどういうことであろうか、これは旧約以来の神顕現の表現で出エジプト記33章などにみられるものである。まさに主イエス・キリストは主なる神として私たちの生活に顕現なさるのだという強い主張がなされているのである。
さすがに水の上を歩いている人を見て弟子たちは「幽霊だと思い、大声でさけんだ」とあるところがリアリティがあっていい。「幽霊」はファンタスマで「出現」と訳されるもので、それこそ私たちも主の出現などありえないと思っているその有様である。そこで主イエス・キリストは言われる「安心しなさい、わたしだ、恐れることはない」である。この言葉はまさに重要で「安心しなさい」はサルセイテで「勇気を持ちなさい」とも訳せる言葉でありまた「恐れることはない」は英訳するとto put a fight で「戦え」である。わたしたちは「悩む」バセヌマヌース「苦痛、苦悩」の中にあって沈没寸前だが、水で隔てられているはずの主イエス・キリストがおられることを知り、信じ、勇気をもって戦うことを信仰の問題として示されているのである。パンと魚の奇跡の後なのに「心が鈍くなっていた」の「鈍く」はペプルメーネーで「石」とも訳することができる。心がかたくなに石になれば沈んでしまう、そうではなく、主イエスを信じ祈り勇気を持って戦うのだ。
by qpqp1999 | 2009-08-27 14:09 | キリスト教

トラウマ

私が小さい頃ころ
松本零士 先生の作品が好きで
といってもまだ999とかのブレイク前で
大人の漫画
を掻いてらっしゃってて
それを子供の私が買って読んだら
子供にはわからない
大人のいとなみが
描かれてて
と意味不明だったことがある
とくに松本零士 さんは女性のあえぎ声をアルファベットの
A とか AH 
とか掻いてらしゃたので
よけいにわけかわからなかったものだ
そんてもって、牧師の父親がなぜか
エロ漫画雑誌をもってて、きっと
夫婦生活を円満たらしめようとして努力するためだったのだろうと思うが
それを読んだら
本当にわけがわからなくて
男根を松茸になぞらえて描いてあって
それがすごい脳裏に焼きついていたが゛
こないだひっさしぶりに これ
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松茸を食べたら、上記のようなことを思い出したのだむー
by qpqp1999 | 2009-08-25 14:02 | 性同一性しょうがい

「ママは昔パパだった」

WOWOWの連続ドラマW「ママは昔パパだった」
の制作記者会見が渋谷のセルリアンタワー東急ホテルで行われた。
「性同一性障害」をテーマとしたドラマで、
「性同一性障害特例法」施行から5年という注目すべき今夏、
8月23日より放送(全6話)される。
むーWOWWOW限定だむ
もっとこう公にやってほしいものです
私の友人知人には「ママは昔パパだった」
人がなんと聖職者をふくめ何人かおられます
世の中よ人権を尊重しろむー
by qpqp1999 | 2009-08-17 16:56 | 性同一性しょうがい

敗戦記念日

64年目がきた
敗戦記念日
あえて敗戦と言おう
負けたのだ
私の祖父はインドネシアで憲兵だった
敗戦の時、B級戦犯でさばかれ
あやうく処刑されるところが
6年も戦犯刑務所にいた
大日本帝国は総力戦においては
負けたが局地戦においては
勝ってすらいた
敗戦の年1945年、硫黄島で悲壮な戦闘でアメリカが勝つまで
本土空襲はそれほどでもなかったのだ
ミッドウェー海鮮・おそらく歴史上最大の海戦だといえるだろう
しかし暗号解読とレーダーの差で大日本帝国海軍連合艦隊は負けた
航空母艦、戦艦の差では勝っていたのにだ
アメリカもこの戦争ではかなりがんばった
45歳までの男性が徴収された
女性や子供も徴用で兵器を作った
日本と同じだ
しかし忘れてはならないのは
戦闘で華を飾り、局地戦で勝ち、最後は殺された兵士は
庶民であったということを
財閥の関係者は20代だったのに徴兵をまぬがれていたことを
そして戦後も戦犯にすらならず
のうのうと生き延びていたことを
そして今もあぐらをかいて庶民の上に君臨していることを
この構造が直らない限り
あの悲劇がまた繰り返される恐れがある
それをこの日に改めて思うものだ
by qpqp1999 | 2009-08-15 18:43 | 歴史
聖霊降臨後第10主日礼拝説教 マルコ福音書6章6b~13節
 共観福音書の弟子の派遣のエピソードにおいて最もシンブルなマルコ書である。平行記事にあるルカ書とマタイ書ではQ資料と呼ばれている伝承の影響を受けて、弟子の宣教における決まりごとがより厳しく詳細になっている。しかし、マルコ書は発生年代がより古いのでこちらの方が史実ということに関しては近いといえるかもしれない。
 ナザレのイエスといえばユダヤ教において「ナザレ派」と呼ばれたほどにその出身地が明らかになっている。マタイ、ルカはなんとかしてイエスをベツレヘム生まれにしようと色々と脚色をし、ヨハネ書になるともう世の創造主として描かれている。そこにいくとマルコ書は特にその出生については描いていない。しかし6章において、イエス・キリストは故郷であるナザレに受け入れられなかったと強烈に描かれている。「ナザレ者」とすら揶揄されたイエス・キリストが故郷ではほぼ受け入れられず、わずかの奇跡しかなすことができなかったというのは、ある意味重要な部分であろう。というのは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」とイエス・キリストの言葉として表現されているし、実際に奇跡が起きなかったという結果を報じているからである。ここにマルコ書の神学の一片をみることができる。つまり、私たち自身と主イエス・キリストの関係が成り立ってはじめてそこに奇跡が起こるということである。キリスト教の神学においてよく言われるのは主からの一方的な恵みである。こちらは何もしなくても主の方から一方的に恵みを与えてくださるというものだ。ところがマルコ書の神学はその筋とはいささか違うようである。かなりの程度でコールアンドレスポンスがありうるということである。そこにあるのは被造物でありながらも主との関係において相当の自由意志が与えられているというまた、キリスト教神学の領域に連れ戻されるのだ。人が主の前に完全なものとして作られていれ罪も滅びもなかっであろうに、どういうわけか主は私たちに自由意志を与えたもうたのである。そして私たちは自身の自由意志によって主に対するという、いわばかなり高い地位を与えられていることになる。そこでナザレのイエスはナザレにおいてはほぼ疑われ、信じられなかった、マルコ書はこの現象について主イエス・キリストの反応として「驚かれた」とある。ギリシャ語ではプロスゲータイであり「驚愕する」という意味も含まれる。主ご自身が「驚愕」されるほどに人々の心、意思はかたくなであったのだった。人の心理の頑なさは確かに時にヒステリックなものにまでなりうる。それは第日本帝国の時代のようにである。皆かたくなに現人神を信じていたし、靖国で再会することをめざして戦地に赴いたのだ。この太平洋戦争は戦史としては実は特筆すべきもので、アジアの小国、大日本帝国が歴史上はじめてアジア以外の大国と戦を交え、マリアナ沖海鮮で敗れてもまだ1944年までの3年間もぎりぎりまで優勢に戦ったものである。日本以外にこれだけの戦闘を繰り広げたアジアの国はベトナム以外にはない。太平洋戦争というとまるでいつも餓死し、爆撃にさいなまれていたように思われがちだが、実際に史実をたどると最後の1年になってもまだ十分に戦えるほどの戦艦、航空機を有していたのだ。「本土決戦」という地獄絵図にむかってまっしぐらにつきすすんでいたのだった。これは、一種の暗示であり、社会ヒステリーの典型である。それがたったの数分の「玉音放送」で終わらせ切腹しようとする熱心な国民に対して「けいきょもうどうをつつしめ」との指令によって静められたのだった。あまりに悲惨な出来事であるために、もはや解説も説明も必要なていであろう。キリスト教の側からしてみれば、この戦争の間に多くの殉教者が殺害されたことも忘れてはならない。この国は主イエス・キリストにたてつき、主イエス・キリストを信じる者を虐待し殺害したのだ。これでは勝てる戦争も勝てるわけがない。案の定、この小さな大国はその後アメリカ帝国の「事実上属国」となって今にいたるわけである。
 まさに今日の聖書箇所でそのことは強烈に言い表される。主イエス・キリストは12弟子を宣教、あるいは戦況に遣わされるにあたり「穢れた霊に対する権能をさずけ」とあるが。まさにここがポイントである。これをこのまま読んでしまうとまるで悪霊ばらいのエクソシストかと思ってしまうが、よくギリシャ語の語彙を読み解くならこれは「穢れた」というよりはアカサルトゥーン「道徳的におかしい」を意味するのである。
 まもなく敗戦記念日が訪れる。日本人が改めてかつてのヒステリックで人を人として扱わない非情な国家体制を自分自身がささえていたことを思い起こすべきであり、後代の者はその過ちを改めて知るべきである。主イエス・キリストはただ12弟子だけを送り出したのではない。これはアポステレインでまさに「送り出す」という意味で派遣というよりはもっと重みのある言葉である。「杖一本」は実は重い言葉である。というのはこれほど好戦的な言葉はないからだ。杖は野獣や悪党と戦うための装備であったことを知る時、宣教とはまさに戦況でもあったことを思わせる。そして「宣教した」は原文ではエクセールサンでありこれは「宣教」というよりは「宣言」という意味が強いことを示したい。主イエス・キリストの宣教者は下手に人を担いでなんとかんとか教会員にすることでは断じてない。むしろ滅び行く末を見据えて、人々に主イエス・キリストの福音を宣言するのである。
 概して、媚びる宣教者がいることは残念な限りである。教会は会社ではないのだからその体質がおかしくなるのであれば声を上げなれればならない。それがまさに「宣教」である。それでも「耳をかたむけようとしない」ならば「彼らへの証として足の裏の塵を払いおと」すのである。「証」はまさに文字とおりエクセルーサンで「証拠」という意味がある。ここにマルコ書の福音宣教のシビアさがあらわれているといえるだろう。宣教者は媚びるのではない、主イエス・キリストの福音を宣言するのだ。それに「耳をかたむけようとしない」のであればそれは「塵」はらわれることになるのだ。
 かくして私たちは12弟子であるのだろうか、それはまさにそうであると言うべきであろう。なにもただ12人だけが選ばれたのではない、この聖書箇所を読んだ者、聴いた者すべてが、たった今より派遣される、送り出されるのである。
 私たちに与えられているのは、かつての大日本帝国が犯した過ちを正すことである。それは「道徳的に」間違った教えであるからである。この敗戦記念日にこの箇所が与えられているのは偶然ではないであろう。私たちは確かにこの主イエス・キリストの福音を新たにこの日本国に宣言すべきなのだ。
by qpqp1999 | 2009-08-13 18:34 | キリスト教
暑い・・・今日はいくらなんでも暑すぎる熱帯雨林気候ではないか
のでもう下着もつけないで裸で暮らしてます私はホルモン治療(焼肉ではない)してましので
受容体がいっぱいあったらしくて
おっぱいがついてる
ついでに、最近ダイエットの効果もあって
くびれもある!!!
髪は腰あたりまでのび
細い二の腕が乳房と交差する・・・
ガラスに映る自分を見て
これ、ちょっとエロいよねと思った。
しかし、体重はマストの56キロだ
ベスト体重は54キロなので
明日とあさって、スマーティーにはいって
くびれを強調するつもりだむー
しかし、はだかでいると
おっぱいかゆさゆさしてエロい・・・
by qpqp1999 | 2009-08-13 18:16 | 美容

犬走る!!

「犬走る」がやっと やっと やっとのことで
DVD化された━━━━━━━━━━(゜∀゜)(゜∀゜)(゜∀゜)(゜∀゜)━━━━━━━━━━
もう待ちきれなくて中古のビデオとかですましていたのだが
やたねいいいいむ
時期もジャストタイミング!!!
警視庁の林巡査部長が歌舞伎町の風俗店と収賄の容疑で逮捕だ
映画のまんまやんけ
だからきっとDVD化遅れたんでしょうね
あまりにもエッジの効いた映画だもむ
舞台は実際に事件の起こった歌舞伎町!!!
主人公は二人
まさに歌舞伎町で収賄やってる巡査部長
岸谷五朗,と
いっしょにいろいろ密入国とかいろいろやってる
在日コリアンの大杉漣
役名も秀吉!!コリアン語で スギル だ!!!
ほんでもって
かつてこの大杉漣と○○銀行で働いてていまや新宿で売り出し中の暴力団若頭、愛虎組組長 遠藤憲一とまたこれも在日コリアンという設定!!!!
そして監督さんはわたしのモーストフェイバリッと監督の
崔洋一 さんだ!!!
この人でないと撮れないシーンとか台詞かいっぱいでてきて痛快だむー
「○国ホステス」とか「くそ○ょ○公」とか・・・
最後のドッグレースは何十回観ても 超快感!!!!
よーすDVDの高画質で
また観るむー!!!!
by qpqp1999 | 2009-08-13 18:03 | 映画

気合です

わたしのアニメ小作品がParamanで
最近人気の作品で1位になりました。
900アクセス目前です
観てくださった皆様ほんとうにありがとうございます。
クリックすると大きく見れます
パラパラマンガ CZ75 少女 2
ここのサイト様は公平にできていて
何万アクセスになっても
一定期間しか1位になれないのでした。
ので記念にシャメったり子供な私です
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実は私、これでも
あの週刊モーニングで連載していたとき12話中2話が1位になったことがあるんです
いまの私の境遇からすると相当なことだったのだなあとしみじみ思いますね。
このアニメ作品も予告編的なものでして
今度はこれでいこうかなとか考えていましゅ
また漫画も最前線に復帰して1位をめざしますむー
by qpqp1999 | 2009-08-08 17:31 | 漫画