牧師・漫画家・ミュージシャンの松本太郎のブログ


by qpqp1999

<   2008年 12月 ( 11 )   > この月の画像一覧

怒涛の一日目

どはーっ
クリスマス怒涛の四日がおわったむー。生きて帰ってきたむー。
正確には5日かな
準備を22日からしますから。怒涛の一日目は
キャロリング!!
文字通りクリスマスキャロルを歌ってまわるイベントです。
子どもたちが集まりやすいように、いっつも23日に行っている。
今年は忙しい締め切りを押して弟が駆けつけてくれるという、
ありがたいがきりです。
22日いよいよ明日だなと思いつつ、教会で準備をしていたら
弟が夕方にあらわれた。あれ、23日に駆けつけてくれると言っていたが
気をきかせて前日に来てくれたのかと思って
いたら
弟 「あれ、今日キャロリングじゃないの?」
私たち一同 「明日です」
・・・・
弟は一日まちがえて来てしまった
しかも締め切りを押してなのに
おかげですげい助かったのだった。
というわけで弟も手伝ってくれて教会の準備とキャロリングの準備をしたのだった。
今年のキャロリングはすげい
子どもが50人も集まってくれた
かつてないスケールだむー。
新聞記者も駆けつける!!!
クリスマスの夜の街にロウソクの灯火がともる
b0130652_1632489.jpg

松阪の街の家々を訪ねては歌う
いつも私は
フルアコもってミニアンプぶらさげて腰にエフェクターつけて
伴奏するのだが
途中でエフェクターがジョントラぶった
ので生音だけにしたら
さすがにフルアコの箱なりで綺麗だった
b0130652_1682549.jpg

かくして第一日目は
無事に終わったのだったむー。
[PR]
by qpqp1999 | 2008-12-27 16:09 | キリスト教

怒涛のクリスマス!!!

クリスマス
明日から怒涛の3日が続くむー
死にかけるむー
[PR]
by qpqp1999 | 2008-12-23 01:01 | キリスト教
待降節第四主日礼拝説教 ルカ福音書1章67―79節
 ルカ福音書には有名な三つの賛歌と預言がある。マグニフィカートで有名なマリアの賛歌、シメオンの賛歌そして今日のザカリアの預言である。ルカがこれらの賛歌、預言を福音書に採用する時点で、既にこれらはユダヤ・キリスト教に取り入れられていたらしい。ルカの創作ではなく、それ以前の伝承であるらしい。これはマカバイ戦争の勝利の歌だという説もある。しかし、アラム語ヘブライ語から訳したというよりは、もともとギリシャ語だったらしい形跡もあり、その後のものであるという説もある。いずれにせよ、ルカはこの伝承をマリア、ザカリア、シメオンの三人に語らせて物語に組み入れている。
 待降節も第四主日を向かえ、聖降誕日を待つ時期となった。松阪という田舎町であってもその住宅街に行けば、庭木や家にイルミネーションを飾り、街に行けば店はクリスマスの装飾で満ち溢れ、クリスマスソングが流される。そういった事情と反比例するかのように契約社員の解雇の問題や、貧富格差の問題はより深刻になりつつある。ちょうど松阪ではシャープの契約社員が大幅に解雇される様子であり、生きていく糧を失うことを目の前にしている人々が大勢いる。寒空の中でホームレスになってしまうことがいきなり突きつけられてしまう人々も少なくはないということを知る時、世のあまりにも冷たい状況に愕然とするし自分もまたその脅威にさらされていることを思う。
 そういう厳然とした現実に挑戦するかのような預言が今日の箇所である。ザカリアは亜ビア組の祭司であった、そしてくじにあたりエルサレム神殿の一番大切な至聖所、すなわち契約の箱がおかれ、垂れ幕でくぎられた場所で、祈りの香をたき祈ることになったのだった。その香壇に天使ガブリエルがあらわれる。智天使の一人であるガブリエルは天使の中で唯一女性の姿をしている天使で有名だ。ほかにもエルのつく天使はたくさんいるのにどうしてルカがガブリエルを選んだのかは定かではない。天使ガブリエルは洗礼者ヨハネをザカリアの妻が身ごもるというお告げをなした。対してザカリアは、自分はもう歳老いており、妻も同様でおおよそ身ごもることはないと反論してしまったため、洗礼者ヨハネが生まれるまでは口が聞けなくなってしまうという物語の結末の部分が今日のザカリアの預言である。実際に奇跡がおきて年老いたザカリアの妻エリサベトは身ごもることになり、ついに洗礼者ヨハネが誕生する。ヨハネと名づけようとするエリサベトに親類縁者にそのような名はないと人々に否定されてしまうのだが、ついにザカリアが板に「この子の名はヨハネ」と書いてみせた。そのとたんにザカリアの口が開いて、今日の箇所になるわけである。
 ザカリアの預言の前半は旧約聖書の色彩が強い。出エジプトとダビデに関する旧約用語がたくさん用いられている。「解放」「主は憎むものの手から彼らを救い、敵の手から贖われた」「主はとこしえに契約を御心に留められる。」「アブラハムと結ばれた契約、イサクに対する誓いを」等はみな出エジプトに関連する言葉である。ユダヤ教にとってもキリスト教にとっても、この出エジプトの出来事は大いなる神の現実的な御業としてとらえられているものである。実際の史実的にこの出来事があったかなかったかは論争してもあまり意味がないが、実際のところスケールの大小を問わなければ、出エジプト組の遊牧民がユダヤ人、イスラエルの一部の部族であったことは否定できないであろう。やがて、その伝説は主との硬い契約という形となってユダヤ教にも、キリスト教にも大きな意味をもつことになってくる。そして、イスラエルはやがてペリシテ人を打ち破り、ダビデの時代をはじめとして王朝は栄えることになった。実際には侵略戦争だからその善良性は議論の余地のあるところである。「救いの角」は詩篇18編のダビデの歌で有名である。しかし、宗教的に見るならばこれは歴史に動いて働く、生きた主の臨在を示しており、それが紀元前数年の時代に洗礼者ヨハネの誕生を皮切りに改めて起ったことをルカは強調している。
 「高い所からあけぼのの光が我らを訪れ」とあるが、私としてはこれは主イエス・キリストの降誕を示すと読めると考える。この「あけぼのの光」たる主イエス・キリストは「暗闇と死の陰に座している者たちを照ら」すのである。
 12月25日は本来ローマの太陽神の記念日であったのが、紀元3世紀の後にキリストの生誕日として祝われるようになった。キリスト教はこのローマを中心として世界中に広まっていった。地球の北半球は12月は冬で寒い。特にキリスト教の布教のしっかり根付いたヨーロッパの12月は寒い。この寒いさ中キリストの降誕を祝うというところが不思議に似合っている。まさに冬の寒空に住む場所もない状況がいつわが身になっても不思議ではない昨今、「暗闇と死の陰に座している者」にとって、「あけぼのの光」は唯一の救いとなるという。
 では、いかにして現在の私たちの救いになりうるのだろうか。いかにして私たちを「照らして」下さるのだろうか。哲学めいたことをいくら言ったところでそれは、単なる発言でしかなく現実的ではないことは動かしようのない現実である。であるならば、このザカリアの預言の源になっているザカリアの心境にかえってみるべきであろう。不可能なことが、または信じられないことが、不可能であったのに、信じてすらいなかったのに実現したことに愕いての預言であり、今現在私たちにの前に立ちはだかる「憎む者の手からの救い」として挑戦的な態度をとっているのである。
 キリストの降誕はまさに、世にはびこる矛盾や悲しみや苦しみに対する挑戦である。キリストの降誕を祝うということは、「クリスマスおめでとう」とにこやかに言い合うだけの行事ではない、今、あるあらゆる私たちに対する「憎む者」に対して挑戦することなのである。だからこそ、主の完全なる勝利たる出エジプト、ダビデ王朝の成立が前半で強調されているのである。
 確かに、現実に対峙する時、私たちはあまりにも無力であり、希望のかけらすら見つけることが難しい。であれば、あるこそ、わたしたちは挑戦するべきなのだ。なぜならば、わたしたちを信仰のうちに「照ら」してくださる「あけぼのの光」が約束されているからである。私たちは、この約束に賭けるのである。それが現実のものとなるかどうかは、実際に挑戦してみなければわからない。しかし、聖書は、またキリスト教の歴史に働いている生ける主が、そこに勝利があると宣言しているのである。
[PR]
by qpqp1999 | 2008-12-21 19:34 | キリスト教

どアドりヴ

前のブログに書きましたように
私のサックスのマウスピース
ボビーデュコフのD7は欠け欠けで使えません
これでは本番できませんから断ろうと思っていました。
まあ、エンディングのとこだから大丈夫と思っていたのでした
それでゴスペルライヴの
仕込み(PA類の準備)をしている時に
ちょうどやってきたプロデュース担当の方に
「すいません、サックス壊れちゃったので演奏できません」
と言ったらプロデュースの方は
「それは困ります。歌でも何でもいいからやってください」
と言われてしまったむー
歌って・・・
一応、ねんのためもってきておいてよかった
アルトサックス!!!
オクターブキーさえ使わなければなんとかもつので
それでいくかと思って覚悟していた
そしたらラストのところでちょうどピアニストさんが
カッコいいフレーズを弾いていたので
それにあわせてみたら
なかなかいいい
というわけで今年もゴスペルのエンディングは
私のアルトサックスでしめくくりとなりました
所々ばい音がなっているので音源はUPするの恥ずかしいので画像だけ
b0130652_1916222.jpg

子どもたちが帰っていく中
ライヴの時に会場の子どもたちにも
ステージに上がってもらった時
最初にあがってきた積極的なかわいい子が
わたしのサックスにむかって
「バイバイ」と
言ってくれた
なんか嬉しかったむー
[PR]
by qpqp1999 | 2008-12-18 19:18 | サックス

ゴスペルライヴ!!

12月14日にみえこどもの城で
私の所属する新生ルーテルゴスペルクワイヤーのライヴが
ありました。
ハードコアごすぺるといっても過言ではないほどの
アップテンポなナンバーも何曲かあります
私のドラムスのテクニックでは難易度の高い曲もありましたから
それはもう一緒賢明に練習したむー
その甲斐もあって客席は
満員!!
大人子どもあわせて150人はいます
圧巻とはこのことだむー

今回は性同一性しょうがいの私にはちょっと難しい難題があった
それは
テナーでリードをとるという役目をおおせつかったのだった
まあ、いつもそんなに女声で歌えているかといえぱ全然そんなことはないのだが
直球で男声テナー!!!!
って、神学大学、神学校の聖歌隊以来のことだむー
ゆーちゅーぶにUPってますのでご覧ください

こんな
感じですへー
私のドラムス歴は腕前とは反比例しててわりと長い
高校生の時にはじめたのだった
高校生の時、私の家は貧乏牧師家庭でしかも私は実家の三重を離れ
熊本の高校に寮で生活していてお金がなく
みんなみたくギターとかベイスとか買えなかったのだ
そこでドラムスティックなら買えるということでドラムスをはじめたのでしたむー
後にベイス、ギターと手に入れてこっちはバリバリになったのだが・・・
では私のドラムスの画像もどうぞ

ゴスペルシンガーのカークフランクリンの名曲
「ジーザス いず ジ あんさー」です
この会場すごい反響音なのと
すげいPAマンさんによる音響機材のために
かなり大きな音で叩けました
いやー
ドン パーン
て気持ちよかったむー
そして、評判が評判を呼び
こんどこの新生ルーテルゴスペルクワイヤーに
新聞社が取材に来るむー
萌え松
[PR]
by qpqp1999 | 2008-12-16 17:39 | ゴスペル

レイヴ前夜!!

今年も三重県松阪市の
みえこどものしろ
で新生ルーテル教会の
新生ルーテルゴスペルクワイヤーのライヴがあり松
12月14日午後1時開演でつ

今年はのりのりな
はーどこあゴスペルをたくさん演奏するので
ドラムスを担当している私にはかなりハードルの高い演奏が求められます
かなーり一所懸命に練習したむー
前日の昼に
パスタだよな!ということで
ナポリタンを作ろうと
まずパスタゆでるお湯わかします
その待ち時間に硬いパスタの束を見て思った
これはドラムスの束ばちに似ていると
ええ、お湯わかすのにまだ時間あるので
ドラムスの練習を
パスタの束を使ってやってみましたむー
b0130652_14261881.jpg

おおっ なかなかいい音です
こんどは本格的に束に縛ってから使ってみるかと思ったのでした
そしてそのドラムスのバチになったパスタは
みっごとナポリタンに生まれ変わったのでしたむー
b0130652_1428196.jpg

ドラムスで味付けされていて
美味かった!!!

[PR]
by qpqp1999 | 2008-12-13 14:29 | ゴスペル

ニーパッド

わたしは
性同一性しょうがい
なのだが
地元で活動し地元で牧師やってて
女ですとはなかなかならねいし
女の格好すると親がそれは忌まわしい目で
文句を言ってくるし
教会に人がこねい
と言われるので
仕方なく、ゴスバンクと性別あんまり関係ないような
スタイルでいます
これだとプリーツスカートはけるー
が、冬は寒い、膝丸出しですから
んで
軍用のニーパッドを装着し松
ダテに軍用ぢゃありません
b0130652_12583818.jpg

思いっきり膝まづいても痛くねい
しかも
ポッカポカ暖かい
だが
すげい男らしくなってしまたむー
しかし
イラクに派兵されてる米兵は
あんな暑いところで
これつけてるんだから
それは暑いだろうなあと思た
[PR]
by qpqp1999 | 2008-12-12 13:00 | ファッション

パールハーバー

結婚式のリハーサルを終えて
カップルと雑談になったときかっぷるが
「こないだ観た映画恋愛ものだと思っていたら
途中から戦争映画になってびっくりした

映画「パールハーバー」のことを言っていた
そう今日12月8日は
真珠湾攻撃の記念日である
しかしパールハーバーと聞いても
真珠湾奇襲を思わない人がほとんどなのは、ホント平和な国になったものだ
またこの日は同時に
ジョンレノンが殺害された日でもある。
ジョンレノンが撃たれて亡くなった
というニュースはとても衝撃だったのを思い出す。
反戦の旗手ともいえるジョンレノンの命日が太平洋戦争の開戦日
というのはなんとも皮肉なものだと思う
真珠湾奇襲攻撃は実はその後の戦争の価値観を
変えてしまうすごい作戦だったのは意外に知られていない
飛行機で戦艦を撃沈させる
今でこそ常識みたいだが当時は違った
山本五十六はチャレンジしたのだった
97式艦攻による水平爆撃
b0130652_1713745.jpg

海上10メートルを海のしぶきを巻き上げながら進み
戦艦の直前で爆撃する
そんな曲芸みなたいなことは当時誰も考えたことがなかったのだった。
米太平洋艦隊全滅って・・・ルーズベルトクラスの政治関係者は実はこの
奇襲攻撃をとっくに知っていたのだが
国民に戦争をうながすようにトリックしたのだった
ところがまさか
あれだけの被害が出るとは思ってもいなかったのだった
飛行機ってすげいぢゃん
これからは航空戦闘の時代だあああと
後に戦争は飛行機を主軸とした展開になっていき
戦艦に固執してしまった日本は
空母の建造に遅れ
戦争は
あのVT信管とレーダーの差もあって
大日本帝国は滅びたのだった
そして今やその帝国は
平和の象徴みたいな けんぽう
を持つ国になったのだった
[PR]
by qpqp1999 | 2008-12-08 17:13 | 歴史
待降節第2主日礼拝説教 マルコ福音書1章1―8節
 「福音のはじめ」これは大切なマルコの序文におけるキーワードである。「福音」と訳されているギリシャ語エヴァンゲリオンは七十人訳という旧約聖書のギリシャ語版では世俗的な意味で用いられている。良い知らせの使者に対する報酬とか勝利の知らせというものだ。ところがこれが動詞形になるとエヴァンゲリゼインで「良い知らせを告げる」という意味になる。また特に詩篇、イザヤ書では「神の王的支配」を意味しているし、ローマ帝国のアウグストゥスの碑文では「この神(アウグストゥス)の生誕日は彼がもたらした福音の世界に始まる日である」と記されている。
 「イエス・キリストの福音のはじめ」とあるだけにマルコ書はその内容が「福音」を意味するものととらえることができるだろう。イエスの活動とその結果がまさに「福音」なのである。
 さらに「キリスト」と和訳されているクリストスは「油そそがれた者」を意味するメシアのギリシャ語訳である。旧約の時代王や祭司は就任の時に油をそそがれたことに由来する。イエス・キリストの時代ではメシアは「救い主」を指すにようになっていた。マルコはこの称号を福音書の冒頭に配置したのだった。引用されている旧約聖書はイザヤ書のみではなくマラキ書、出エジプト記も引用されつなぎあわされている。
 そうした旧約聖書の実現として洗礼者ヨハネが「主の道を整え、その道筋をまっすぐに」する者として登場する。
 洗礼者ヨハネのいでたちは「ラクダの毛衣を着、腰に皮の帯をしめて」いたとされている。ベドウィンなどの遊牧民族とも似た姿であるが、預言者エリヤを思わせる姿でもある。
洗礼者ヨハネがクムラン人のように荒れ野、洞穴で修行をしていたかどうかは不明であるが、荒れ野はイスラエルにとっては試練の歴史でもあり、また恵みの歴史でもあったから革命的なメシア運動もこの荒れ野から起っている。
 ヨハネがクムラン人たちとは違う点は、俗世を離れた修行生活をしているというよりは「ヨルダン川」で罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を述べ伝えた」というところである。悔い改めはギリシャ語でメタノイア、ヘブライ語でシューブでその人のすべてをもって神に帰り、神に服従することを意味している。
 イエス・キリストが洗礼者ヨハネとどういった関係にあったかは定かではない。ルカ書によれば親戚になっている。洗礼者ヨハネに妻や家族がいたという記録はないし、むしろ荒野に住み野蜜といなごを主食としていたところからみるとやはり修行生活をするクムラン人のようだっただろう。一方のイエスはというと、これが謎に満ちている。まずもって聖典福音書が最も古いイエスにまつわる伝承であることが問題である。聖典福音書ははじめからイエス・キリストを主とて信仰することを意図して書かれているから、「神格化」されてしまっていることはまちがいない。しかし、そのような乏しい伝承の中からもいくばくかの歴史的な要素を読み取ることはできる。まず、イエス・キリストには妻がいなかったという点である。マグダラのマリアが2世紀頃に書かれた「マグダラのマリアの福音書」の中で「実質、妻」といわれているが、2世紀の書物では信憑性はかなり低い。となるとイエスもクムラン人のように修行生活して出家していた可能性が考えられる。当時の男性の適齢期はティーンエイジゃーだったから、30歳にも達するかというイエス・キリストが結婚していなかったというのは異様な事態である。あまりキリスト教の宗教学者たちはこの点についてふれていないし、ふれようもないからそのままになっているが、イエスがある時突然に宣教活動を開始したことは間違いないだろう 
 それを裏付ける役割を担ったのが洗礼者ヨハネである。洗礼者ヨハネはその信仰によって人々に説いてまわり、「悔い改め」の洗礼を授けていた。後に、イエスもこの洗礼を受けるものだから、キリスト教徒はちょっと困ってしまうのだが。というのも、何故に神の子が「悔い改め」の洗礼をうけなければならないかという問題が生じてくるからであるし、これだとイエス・キリストは洗礼者ヨハネの弟子であったかのような状況になってしまう。
しかし、福音書記者たちとりわけ古いマルコ福音書では、むしろ積極的にこの問題をそれこそ福音に変えてしまったのだった。
 洗礼者ヨハネはあくまでもイエスキリストの到来を告げる「荒野で叫ぶ者」なのであり、その預言の成就とみなしたのである。また洗礼者ヨハネはついにメシアの到来を告げる「私より優れた方が、後から来られる。」と。
 私たちは時に望みなく、希望もなく、可能性すらもない過酷な時を迎えることがある。そういう私たちに同じように過酷な時を迎えていたであろう福音書記者マルコが序文を告げる。「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」である。洗礼者ヨハネは現在の私たちに告げる「わたしよりも優れた方が後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。わたしは水で洗礼をさずけるが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる」この最後の預言者の言葉はいつの世になっても変わることのない希望の予告である。それが待降節というイエス・キリストの到来を待ち望む期間であるだけに重要である。寒いさなか、希望もなく悲しみにくれている人がいたならば、かえってお祝い気分のクリスマスは気分のよくないものとなるであろう。しかし、そういう人にこそこのクリスマスを待つ待降節は用意されているのだ。悲しみや、涙はクリスマス、主イエス・キリストの到来によって歓喜に変わることを洗礼者ヨハネは告げる。
 聖霊による洗礼とは単に宗教団体たる教会が執り行う洗礼だけに固執するものではない、主イエス・キリストの恵みが、奇跡がそこに喜び、エヴァンゲリオン、福音としておこる体験である。
 この待降節は、マイナス思考になっている時にこそ意味を発揮する。今ある忌まわしい現実は聖霊によって洗礼を授けてくださる主イエス・キリストによって完膚なきまでに作り変えられるという希望をもってよいのだ。持つべきだというのが待降節における私たちの信仰のあり方であるからであり、また実際にそれを体験することをリアルな「神の子イエス・キリストの福音」として期待すべき期間なのである。
[PR]
by qpqp1999 | 2008-12-07 23:20 | キリスト教
この画像で
b0130652_07282.jpg

おわかりいただけるだろうか・・・
そうサックスのマウスピースの
先端部分である
これが
欠けカケになっている!!
これでは
鳴るものもならない・・・
しかしサックスのライヴの申し出もあるし
断れにくいし
かといって新しいデュコフを買うだけの
余裕はない
うぬう安いマウスピース買うか・・・
音は断然にデュコフの方がいいのだが・・・・
[PR]
by qpqp1999 | 2008-12-06 00:10 | 音楽