牧師・漫画家・ミュージシャンの松本太郎のブログ


by qpqp1999

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出せや!!

江口 洋介さんが
セキスイハウスの宣伝に出てる
子どもまでいる設定だ
そこまできたら
奥様
森高千里さん出てくるだろー!!!
しかし奥様で出てこなかった
すげいストレスたまるよ
やいセキスイハウス!!
江口 洋介&森高千里 
夫婦が
観てえんだよ!!

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by qpqp1999 | 2008-11-29 22:44

ばちがあたるしゅんかん

私は教会のゴスペルクワイヤーで
ドラムスを担当させていただいてい松
ってゆーかあ
ゴスペルっつーのは教会でやるもんだろー!!!
教会でやってるからゴスペルっつーのっ!!
しかし昨今は
ゴスペル教室と称して
お金取ってる
マガイモノが横行しているのだった!!
いつかばちがあたんぞ!!
というわけで
今回は私がドラムに使用している
ばち
を紹介してみたいと思い松
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左から
普通のばち
真ん中がブラシになってるばち
右にあるのが細い木をたばねたばち

ですむー
曲によって使い分け松
この辺、体育会系と文科系のドラムのわかれぎわだと
思うむー
ブラシとか
木をたばねたやつとか使うあたりが
文科系だむー
しかし、たたいてて気分いいのは
やっぱり左の普通のばちでつね
ところが意外にも
真ん中のか弱そうなブラシのばち
これ威力あるんですねー実は
かなりアップテンポな曲に
バッシ 罰し 当ててたたくと
なかなかのグルーヴになるのだむー
ホイットニーヒューストンのお母さんはゴスペルシンガーで
彼女の十八番に
チルドレンゴーホエアセンドズィーという曲があるのだが
これすごいのりのりのハードこあゴスペルなのだが
これに使い松
今年の12月24日25日に行われるライヴで
やり松ので
万障お繰り合わせの上ご来場くださいましーん
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by qpqp1999 | 2008-11-28 23:55 | 音楽

大桑マイミ

ヨガのポーズを
色々紹介してくれていて
日常の中に取り入れようと。。。
いつでもどこでもポージング
って
電車のつり革につかまって
三日月のポーズとかしてたら
あほだろーーーー!!
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by qpqp1999 | 2008-11-27 23:02

きよしとこのよる

さよなら人類
11歳!!
ひかわきよしさんの年代がこれだ。
ひえー私いくつなんだろう・・・
しかし
MHKでやってる
「きよしとこの夜」
最初の相性度チェックが
なんか ・・・ という感じだむー
時間のムダぢゃねいか??
と思うくら面白くねいのは私だけか???
「きよしこの味」のコーナーも
なんでグッチユウゾウが料理の腕を振るう?!?!?
シンガーであって料理人ぢゃねいだろう・・・
んでやってることっていえば
なんでもない簡単なことばっか
レシピだけの問題だむ
実はこのコーナー嫌いではない
どこが嫌いではないかというと
バックグラウンドミュージック
BGM

が意外にセンスいいくて
この選曲してる人には◎だむー
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by qpqp1999 | 2008-11-27 22:07

NHKはい!!

フィギュアスケート
ふぃぎゅあ という それだけで
別の意味でも萌え松ね
特に萌えるのが
浅田真央せんしゅ だあああ
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トリプルアクセルからのコンビネーションが
今年の見所だ!!
トリプルアクセルって
ウルトラマンの必殺技みたいな名前だが
じつはこの技できた人はかつて人類史上一人しかいないという・・・
だって
スケート靴はいて
なんであんな高く飛べるの???
しかも回転してるし・・・

どういう感じなんだろむー
あと目がはなせないのが
織田信なりせんしゅだ
四回転きまるか!!!
なんせ織田信長の子孫だから
がんばつて欲しいものだむー!!
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by qpqp1999 | 2008-11-27 21:57
聖霊降臨後最終主日礼拝説教 マタイ福音書25章31―46節
 今年も終末を迎えぬまま、聖霊降臨後最終主日を迎えた。毎年この礼拝では終末についての聖書箇所が選ばれる。とはいうものの、今年のテキストであるマタイ福音書においては24章からマタイの終末論が展開されており、今日の箇所はその最後の部分にあたる。
 西暦も2008年を終えようとしており、人類はイエス・キリストの復活の後2000年近く終末を待つ結果となっている。もはや、終末をあきらめてしまっている人もいるかもしれない。そうでなくともイエス・キリストの再臨を強く求めていた初代教会の人々の中では終末のイエス・キリストの再臨の遅滞に失望する者もいたし、あたらしい終末論を展開する者もいた。第四福音書のヨハネ福音書は特に終末は信仰の出来事か起きるその時に同時に終末もその者に起きるという終末論を強調している。ヨハネ福音書はおよそ紀元一世紀近くに書かれているから特に終末の遅滞に対する神学が必要だったのであろう。
 ユダヤ教にも終末論があったが、紀元70年のエルサレム陥落で神殿を失い、神殿宗教から律法宗教に変化し終末論は衰退していった。反対にキリスト教はイエス・キリストによる贖罪を中心に神殿宗教の骨格を維持することになった。だが、ユダヤ教と同様に70年のエルサレム陥落後もいっこうに終末の気配もないまま時間が過ぎる中で、福音書記者たちもその問題と直面することとなったのであった。
 マタイの今日の箇所は新共同訳で「すべての民族を裁く」という題がついている。「すべての国の民が集められる」とあるからユダヤ人だけに限定されずすべての民族がその審判の対象になっており、また宣教対象も全ての民族になるのである。もちろん、この日本の人々もである。
 とはいうものの、いったいどのくらいの人がイエス・キリストの再臨をリアルなものとしてとらえているだろうか。リアルにとらえようとする方が難しいかもしれない。「人の子は栄光に輝いて天使たちを皆従えて来る」とはいったいどんな現象になるか、議論の余地もない、地球は丸いのだから全世界規模でこの現象が同時に起るのはまた難儀な問題になってしまう。そういう意味ではイエス・キリストの再臨の遅滞という現実に直面した福音書記者たちの臨み方は私たちに、本当の意味でのリアルな再臨を告げているといえるだろう。
 「羊飼いが羊と山羊をわけるように」とあるが、寒さを嫌う山羊は洞穴や小屋に羊は外にと夜には区別された。それをひきあいに出してマタイは決定的な終末における審判というものに中心点をすえてこのイエス・キリストの再臨をとらえている。二元論にも似たヨハネ福音書とは違い、マタイはここで私たちの行いについて議論を加えていく。
 救われる羊側、右側の人は「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸の時に着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ」という。実は、この部分の前半の行いについてはユダヤ教の教えにも見出すことができるが、この「牢にいたとき」というのはキリスト教のオリジナルといえる。「牢にいたときに訪ねる」というのは当時は極めて危険な行為であったという。これらの行為、あえて言うなら愛の行為が終末、再臨における主軸としてマタイは提示する。そして、この記述で見逃せなく、また難解なのがこの救われた人々が「主よ、いつ私たちは」「したでしょうか」と自分のした愛の行為を自覚していない点である。そして、また裁かれる人々は「主よ、いつわたしたちは」「しなかったでしょうか」とこれまた自覚が無い点である。
 これはマタイに特有の終末論であり、行為が中心になってるいだけに私たちの生活にリアルに関わってくるものになってくる。行為の自覚が無い、しなかった自覚がない状態に対して出てくるのは「この最も小さい者」である。「この最も小さい者」に「した」者と「しなかった」者とにわけられてくる。この「最も小さいもの」とは23章11節にあるようにイエス・キリストに共通する。
 私たちは私たちにとって都合のよい人には親切にしたり、自分の好きな人には愛の行為をおしまないが、そうではない人に親切にしたり、愛の行為を行う事は実は少ないのではないかという危機感を私などはもってしまう。
 社会はどこにいってもその中にある種の階級、ヒエラルキーのようなものが存在する。一番皮肉なのは公僕であるはずの政治家が「先生」と呼ばれることである。公僕なのだから市民より階級は下のはずなのに、『偉い人』になってしまう。反対に貧しく、病気をかかえたり、仕事につけない状況の人に対して人はどれほどの敬意を払うだろうか。憐れみは生じても、そこに愛がどれほど生じているだろうか。
 マタイはそういう社会の状況に対して、私たちがどれだけリアルに再臨されるイエス・キリストを意識するかということを問うている。というのも、この終末のたとえだと愛ほ行った者はその自覚がないし、行わなかった者も自覚がない。しかし、この教えを聞いたとたんに私たちは、私たちにとって「最も小さい者」に愛の行為をすることが終末のイエス・キリストに対してすることであると自覚する者になってしまう点が微妙な矛盾を生み出しているが、結局のところマタイはこのような論法によって私たちに対して、リアルな終末論を告げているということに落ち着かざるを得ない。
 そして、実際に無意識では私たちにとって「最も小さい者」になんらかの愛の行為、自らの犠牲を伴うような行為をどれだけ、行うか、行わないかが、日々、終末をリアルに捕らえるならば問われてくることになる。もちろん私たちにとって「最も小さい者」とは最も価値のない者であることは言うまでもないだろう。気が着かないくらい、自覚がないくらい価値の無い者こそ私たちにとっての「最も小さい者」である。伝承の過程ではマタイの時代の放浪伝道者がこの「最も小さい者」とされていたという註解書の見解もあることは加えておこう。しかし、時には、この「最も小さい者」とは私たちにとって最も憎むべき者であるかもしれないことまでも見解にいれておかねばならないだろう。
 こうして、マタイは終末、イエス・キリストの再臨を私たちの生活にリアルな行いを求めるものとして提示し、しめくくっているのである。そして、つづく26章からイエス・キリストの十字架の贖罪論が展開されていることを強調しておきたい。
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by qpqp1999 | 2008-11-23 12:38 | キリスト教

顰蹙アンプ

わたしはアンプいくつも持ってるのだが
一番小さいのが
この単2電池で駆動する
ミュージックマンのギターアンプ
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ごらんのとおり
すげい小さい

すげいパワー
その辺の30ワットのアンプくらいのパワーがある
んでカラオケ行くときは
ギターとこのアンプ持っていく
間奏の間にアドリブで弾くためだ
いつもそのスタイルでいたのに
こないだのカラオケの時
カラオケマシンの
DAMステーションがフリーズした!!
そしてみんなは
わたしのこのアンプが原因だという!!
んなわきゃねえだろ電源も落としているのに!!!
しかしみんな頑なにこのアンプが原因だとして
譲らない
仕方ないからもうこの集まりには持っていけねいが
他の集まりには持っていくぜ!!!
昨日は昨日でビラまいてる時に
ギターも弾いてたら
学校の先生がクレームつけてきたし
ヒンシュクなアンプだならあ
かわいそうに
しかし赤鼻のトナカイのごとくに
クリスマスのキャロリングでは
大活躍するのでした
普通のアコギでは音が散ってしまって
意外に野外では威力を発揮しないのだ
そこでこのアンプは活躍する
小さいからぶらさげて駆動させるのだったむー
音が通ってよい伴奏になのだ
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by qpqp1999 | 2008-11-21 18:30 | 音楽

やあって来たよこの季節

一年の中で一番大嫌いな季節が今年もやってきた
クリスマスシーズンだ
子どもの頃から、このシーズンについてのいい思い出は
ひとっつもない
嫌な思い出ならクリスマスツリーの電飾くらいにあるが・・・
それでも教会だしクリスマスしないわけにはいかねいわな・・・
尤も、まだ待降節の前だのに
もうクリスマスのための活動に入っている
んで子どもたちと街を
クリスマスキャロルを歌って蝋燭灯して巡る
クリスマスキャロリング
というのにうちの教会では力を入れているのだが
その子どもたちに宣伝のビラを撒かなきゃならねい
さっむい中下校する子どもたちにビラを手渡しするのだが
昨今は子ども少なくなって下校時の学年の時差がはげしくて
待ってる時間がけっこう長い
ので私はミニギターとミニアンプを持っていって
それ弾きながら待っている
そしたら
エレキギターが珍しいのと
私自身が珍しいのが重なって
子どもたちに散々言われる
「男なん女なん?」
今年もこれかよ・・・
まあ、おじさん
と言われるよりはましではあるが
しかも子どもは決まって訊いて来る
「何歳なん?」
またかよ・・・
これらの質問に対して私は
「女にきまっとるやろ」「24歳」
と答えるようにしているそしたら今年は新しいのが
「体重何キロなん?」
これはショックだったな・・・デブにも見えるらしい・・・
そんなはずはないのだが・・・
今日のビラまきで面白かったのは
私のギターを貸してくれと女の子が言う
そしてパイプラインを弾き始めたではないか!?!?
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わらわらと集まってくる下校する子どもたち
その子に演奏してもらってる間にだいぶビラまけたむー
そしたらついに小学校の先生がやってきてクレームをつけようとしてきた
天下の公道で行っており学校には立ち入っていないのだし
子ども向きのビラを配ってるんだからこっちも堂々と対応する
先生悔しそうにしながらも、そうだと思いついたように
「そのギターの音はやめてください、近所から苦情がきます」
子どもがせっかく楽しく弾いてて
音量はせいぜいラジオくらいなのに
そこは譲ることにした
そしたら立ち去る先生に向かって子どもたちは
「キモっ!!」て・・・
私でもせいぜい「ニューハーフやあ」
という程度でキモいとは言われなかったのに・・・笑
ちょっと安心したのだった
さあこれからクリスマスにむけてまだまだイヤなことが待ち受けているぞ
どはーっ
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by qpqp1999 | 2008-11-20 16:56 | キリスト教

あぶねいぞ厚生省

厚生省関係の人々が
刺されている!!
大変だむー
これは確信犯だし、厚生省の家族まで知っている
おっそろしいぞおおおお
どうする
マスゾエさんの家族も
アブネイむー
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by qpqp1999 | 2008-11-18 21:39 | 政治

サンクスギビングデイ

サンクスギビングデイ
収穫感謝祭のことだ
アメリカに殖民しだしたヨーロッパの人たちが
意外にアメリカの土地で開拓が難しくて
最初の収穫を感謝したことから
はじまったという・・・
日本では全然やってるとこ少ないが
うちのルター派の教会ではやってる
祭壇に飾られる
果物
野菜
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アメリカではこの収穫感謝祭では
七面鳥を喰うのだむ。
意地でも七面鳥を飼育してでも喰う。
というのは
もともとの昔、入植したての頃は
鶏なんて贅沢だったから
野生の七面鳥を捕まえて
喰ったことに端を発するという
それが現代では
野生の七面鳥なんか捕まえて食べる人はいなくて
逆に
七面鳥の業者が養殖しているのでした
どー
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by qpqp1999 | 2008-11-18 19:23 | キリスト教