牧師・漫画家・ミュージシャンの松本太郎のブログ


by qpqp1999

カテゴリ:マルチン・ルター( 3 )

 1445年にヨハネス・グーテンベルクが活版印刷機をリリースして、それが後のルターの宗教改革に少なからず影響を及ぼした。実はこの活版印刷自体の歴史はもっと遡っていて9世紀には中国では相当流通していたそうだ。日本にもこの技術は伝えられたが、日本語の字を定型化するには、漢字の数が多すぎて、まだハードルが高く、結局流通しなかった。
 では日本で、この活版印刷が役にたったかというと、江戸時代のキリシタン版だった。
では14世紀から15世紀にかけてグーテンベルクの活版が役にたったかと言えば、ちょうど現在のスマホのようなものだった。
 というのは識字率があまりにも低かったため、いくら文字を印刷しても大衆には広がらなかった。とこが、ルターかく語りきと言う感じで、あちこちの居酒屋でその印刷機で印刷されたルターの論説をお酒に酔いながら、朗々と語って聴かせていたのが、あっちで、こう聴いた、こっちでこう聴いた、とい風に、居酒屋を経て、広まっていった。
 当時のヨーロッパではまだ識字率低かったので、木版画の方が人気があった。世界中の誰もがみんな、ウンコ好きなんだなと思わせられるのは、ちょうどルターとローマ教皇が闘っていて、互いの誹謗中傷するのに
 悪魔の尻の穴からひねり出されるローマ教皇の絵とか
もう、現代では、否、当時でも、めちゃめちゃ笑える版画が一杯配られて、メディア戦争において、この木版画は宗教改革の担い手としては必要不可欠なものだった。
 子供じみていると言われても仕方ないがなにしろ中世ですので、地獄とか煉獄とか天国がメインタイトルでしたから、ルターは悪魔に取り付かれているのでろくな死に方はしないとローマ教皇派は言っていたものだから、ルターが死去したときに、その死に顔がいかに、安らかなものであったかということを証明し、宣伝するためにデスマスクもとられたほどだ。
 そこで、昨今のスマホ状況というのは、決して日本語には優しくない。アルファベットを用いる言語であれば、打ち込みもスムースだろうが、日本語では52以上のインプット操作した上で、更に変換しなければならない。尤も日本人は器用なこと国際一なので、みんなが親指片手入力で素早く文章を繰り出す業を身に着けている。それができない人はどんどん、今のスマホ時代からとりのこされていくんだむー。
 私はお友達のオルガニストの方からワイヤレスキーボードもらったので、あんまり苦労しないけど、やはり指打ちは日本語にはむいてないなあと思うんだむー。
by qpqp1999 | 2014-07-09 18:02 | マルチン・ルター

徳善義和

 私とは私の父親と神学校が同級生で、初体面は高校生で、ルター研究所の助手もしてたから、それは、それは、ものすごい、濃い関係にある日本でルターを語らせたらこの人以外に誰がいるだろうというルーテル神学大学、神学校の名誉教授である徳善義和先生だが。
 二年くらい前か、友達申請したのに、私を友達にしてくれなかったのが、この徳善義和先生で、きっと神学校にたてつくような事(これは道義上仕方なかった)からか、私がセクシュアルマイノリティーだからか理由はわからないが、再三にわたって、友達申請したのに
 私をフェイス・ブックの友達にしてくれない人№1がこの徳善義和先生だむー!!!
 ということで、このネタでは随分、書いてきて、キリスト教とは縁もゆかりもない方も、その名、徳善義和を覚えてしまうくらいになっていた昨今。
 ルーテル学院大学出の親しい牧師が、まさに私が働いていたルター研究所のセミナーに行って、徳善義和先生と会って、私がブログやフェイスブックで友達にしてくれないことを嘆いていたと、進言してくれたのだったむー。そしたら、徳善義和先生は「太郎くんの投稿は見れているから友達になっているはずなんだけど」という、
 超意外なレスがあったむー!!!
 なんていうか、差別されまくって生きてきたので、どうしても、そこに視点がいってしまうのだったが、今回の件はどうやらフェイスブックの不具合が原因ということが判明したむー。
 「私を友達にしてくれない人№1の徳善義和先生ネタ」は今日で最後になってしまったのだむー!!!不具合をなんとかしてくれ、フェイスブック!!!
by qpqp1999 | 2013-06-06 17:48 | マルチン・ルター

マルチン○ルター

 宗教改革の開祖といえば、それはもうマルチン・ルターに決まっている。気取って言うならマルティン・ルターだし、宗教オタクに言わせればマルティヌス・ルターである。この人は1505年にエアフルト大学に行く途中で雷に襲われて、一緒にいた友人は落雷で亡くなった。あまりの恐ろしさに、彼の守護聖人である聖アンナ(「聖母」マリアの母)に「命助けてもらったら修道士になります」と泣きべそかきながらお祈りしたそうで、助かったので、真っ正直に修道士になったのだった。尤も、彼は修道士になるにあたり、様々な修道会をよく選び、最も学問的と思えたアウグスティヌス会に入った。その後は有名なように1517年から1518年にわたって「贖宥状」を問題にして、ローマカトリック教会と対立することになってしまい、とうとう破門されて、自身の信条における教会を建てた。司祭もおかげて゛結婚できるようになった。
 そこで、また徳善義和ネタで申し訳ないのだが。私が神学大学一年生の時、今流に言うならルーテル学院大学一年生の時に、神学コースだけでなく、社会福祉コース(こっちのほうが人数は十倍以上ぐらいだった)ともにマルチン・ルターについて学ぶ時間が設けられた。
 教室の黒板には大々的に「マルチン・ルター」とあらかじめ書かれていた。もちろんルター神学の日本一の徳善さんの演出だった。教室は、その徳善さんが入る前からすでに、マルチン・ルター色になっていたのだった。
ところが
○○学院高校出身で私と三年間高校生活を共にした同級生が、○○学院高校出身だからこその悪戯心だったのだが、このマルチンという言葉に飛びつかないわけなかった。かくして徳善さんの用意したこの題名は
マルチンルター
と書きかえられたしまったのだったむー。これは、きっと徳善さん傷つくよなあと、老婆心にも思っていたが、教室に入ってきて、徳善さんはその マルチンポ にされてしまったルターの状態を見て、一瞬、凍ったかのように硬直したが、すぐさま、黒板を吹く布で、 マルチンポ の 

だけを消して、何事も無かったかのようにして抗議ではなく講義に入った。普通だったら「誰がやったんだ」とか言いそうだけど、そこは人間できてるよなあ徳善義和・・・。さすがは、日本一のルター研究者だむー。
by qpqp1999 | 2013-01-21 18:59 | マルチン・ルター