牧師・漫画家・ミュージシャンの松本太郎のブログ


by qpqp1999

カテゴリ:自殺( 3 )

自殺未遂

 なんだって、総理大臣は「責任とって辞職します」が出来るのに、町内会の組長に限って「町内会費の徴収遅れた責任を取って辞職します」が出来ないんだむー!?!?!?
 いいかげんにしろむー!!!

 この町内会とか自治会の仕組みって悪しき「大東亜戦争」「太平洋戦争」の頃のなごりですよね。もう、この負の遺産はなんとしてもらいたい。そもそも、私はその町内に住んでもいないんだむー!!!。
 それでもサイコな町内会長は色々と注文をつけては、私に町内会費の徴収を急がせる。私は仕事しているんだむー!!!遊んでいるのでもないし、ぼーっとしているのでもない。町内会費なんか、もう、どーだっていいんだむー!!!ということで、漫画の締め切りを優先して町内会を放ったらかしにしていたら、町内会長が文句言ってきた。
 ぢゃあ、辞めます と言わせないんですね町内会長は、とにかく、町内会費を一日でも早く徴収しろという。仕方ないのでがんばって徴収したら町内会長の家を残して全ての徴収が終えられた。
 てめえの家だけだ、町内会費はらってないのは、町内会長さん!!!状態なのに、悔しいかな、自治体の会計の人も御留守で誰もいない。せっかく一日でまたたくまに徴収したのに、意味が無い。本当に町内会とか自治体なんて、大っきらいだむー。
by qpqp1999 | 2014-10-29 19:19 | 自殺
10月26日の
続きを書きます。
すでに、アウグスティヌスの神学論文に関して
自殺を罪と定めるのは
神学的に破綻していることを書きましたが
それでも
そんな組織神学、歴史神学、聖書神学、等々の神学を
無視して
ほんとに意地はってるだけで
キリスト教において自殺を罪と定める
牧師や司祭がいるのは
残念なかぎりです
私にしてみれば、そんな人たちの言っていることは
大東亜戦争またの名、太平洋戦争で
自殺せざるを得なかった多くの民間人の
自殺すらも罪とさだめるものであることに
何故、気付かないのでしょうか。
サイパン島のバンザイクリフで自殺した民間人は
罪に定められるんですか?そんなこと
主イエス・キリストご自身が定めませんよ。
こういった宗教指導者たちはもっと聖書を勉強すべきです
Q資料と言われる福音書の伝承を読んだことがないのでしょうか
「人を罪人だと決めるな」ルカ書6章37節
あるいは第四福音書を読んだことが無いのでしょうか
「だれもあなたを罪に定めなかったのか」「わたしもあなたを罪に定めない」ヨハネ書8章10節
これは決して聖書の一部分だけを斬り出して書いたものではなく
ブログのために要約したもので、この問題だけで論文や本が軽く書けます。
「太平洋戦争」での本土戦たる沖縄で自殺した人たちが
罪に定められますか?そんなわけないでしょう。
自殺はどのような形態や背景があれ
自殺は自殺なのです
そこで、私が一番カチンときた
神学なんかほとんど持っていない
保守一辺倒なある牧師の論説を批判したいと思います
それは
「自殺は自分意外の全ての人を殺す行為だ」
というものです。
聖書的に一切の根拠が無いのはもちろんのこと
あらゆる神学的立場からもそんなことは持ち出せません
それどころかそれは
自殺で亡くなった人に対する冒涜であり
ルター派の司祭たる私からすれば
人の生死を司る主イエス・キリストに対する冒涜ですらあります。
人を殺すというのと自殺するというのは
まったく次元の違うものです
人を殺すというのは
自分が自分以外の誰かの生命活動を恣意的に停止させる
ということです。
ここで、大事なのは自分以外の、ということです。
自分で自分の生命活動を恣意的に停止させるのとは
全く違うものなのです。
きっとその牧師は
自分が死ねば、他の人の全部の存在を消すことになるから
とでも言いたいのでしょうが
そんなことはあり得ません。
どんなに自殺したって
他の人たちは生命活動を続けていきますし
その人生を歩んでいきます。
他の人たちの生命活動を自殺によって停止させるなど
到底不可能な話しです。
ましてやキリスト教で言う死後の世界があるのなら
ますます自殺で「自分以外の全ての人」の存在を消すことができなくなります。
ただ、このブログを読んで
勘違いしていただきたくないのは
私は
自殺はいいことだから
しても構わないと言っているのではないということです。
えらい売れたけど顰蹙も買って廃版になった
「完全自殺マニュアル」を読んだ時は
正直、怒りがよぎりました。
というのは、その本では
自殺を「人生の」「リセット」と評していたからです。
テレビゲームじゃないんです
自分を殺すことで「人生」を「リセット」できるわけありません。
そこにあるのは、人生の停止です。
宗教性を全く無しに言うなら
単に生命活動していた細胞体がその生命活動を恣意的に停止させ
土にかえる、それだけです。
しかし、一方で
私が思うに
自殺するということは
その自殺された方がよほど孤独で無いかぎりは
遺族や友人、もしかしたら恋人を
悲しませることになるということに触れないわけにはいかない
ということです。
もはや自殺が罪だのとかどうとかよりは
こちらの方がより現実的な問題かもしれません。
次回はこの問題について神学的に書きたいと思います。
by qpqp1999 | 2011-11-12 01:52 | 自殺
キリスト教の保守勢力
特にカトリック教会では
自殺を大罪にしていて、自殺した方の葬儀もしません
また福音派の中にも極端に自殺を罪と定める教派もあります
そして、おおくのキリスト教の指導者は自殺を罪と定める傾向にあります。
わたしはルター派の司祭ですが
自殺を罪とはしないという神学的立場をとっています。
勘違いしてもらいたくないのは
自殺してもいいと言っているのではないということです
自殺は罪ではないと言っているのです。
自殺された方を罪と定めるのは
自殺された方に対する
冒涜であり
生と死を司る主に対する冒涜ですらあるという
神学的立場をとっています。
この問題については長文になりますので
区分けして後々、書いていきたいと思います。
まずとりあげておくべきは
4世紀の元々反キリスト教徒であった聖アウグスティヌスの
「神の国」が現代においてすら未だ根拠なっていることです。
アウグスティヌスは皮肉なことに
ルター派の開祖
マルティン・ルターの志願した修道会
「アウグスティヌス会」の聖人でもあり、
神学の巨魁でもあります。
そしてこのアウグスティヌス会は中世
学問を重んじる修道会でもありました。
しかし、このアウグスティヌスが自殺について
罪と定めているのは
著書「神の国」の一巻20章にある
十戒の第六戒
「殺してはならない」を論拠にして
その神学を展開しているのですが
よくこの神学論文を読んでみると
意外なほころびや論理的矛盾があちこちにみられます。
それについてはまた後のブログで書いていこうと思います。
by qpqp1999 | 2011-10-16 19:47 | 自殺