牧師・漫画家・ミュージシャンの松本太郎のブログ


by qpqp1999

カテゴリ:型( 1 )

 私は神学大学に入って「神学生」になってから「長髪禁止」みたいのになってしまった。しかし、大抵の場合、研修先の教会では日数が経つにつれ、段々私の評価が上がって行って、その教会を去る頃には長髪になっていた。当時は私がロックバンドしているから長髪にしている茶髪にしていると思われていたが、そうではない、「性同一性」の問題をかかえていて「長髪」にしたかったのだ。
 やがて日本福音ルーテル教会の「教師試験」を受けることになった。その時の教会は日本福音ルーテル市ヶ谷教会で青年会は礼拝と昼食後、牧師先生のもと、一杯呑みだしたものだ。そんな、中で、先生は
「太郎君、教師試験の時には髪の毛、切りなよ」
と言ってくれた。そうでなくとも、切らなきゃしょうがないかと思ってはいたのですが、やはり内心穏やかではなかった。その後、日本福音ルーテル京都教会で2年と数カ月、牧師を務めてから日本福音ルーテル松山教会の牧師になった。非常に口うるさい役員や信徒さんで一杯で、髪の毛のばしだすのに一年かかった。二年目には長髪になっていて、なんとかオールバックにしてくくれる長さになった。その時点で、教会員で誰も文句を言う人はいなかった。その調子でどんどん伸ばして、ちょうど日本福音ルーテル教会の100年記念のイベントが熊本であって、私はそこで「礼拝と音楽」の係を任じられていた。その時、ここはひとつ、と思って、あえて髪の毛をくくらないで、長髪のまま出席した。既に漫画家デビューしていて、その噂はかつての研修先の様々な信徒さんたちに知られており、式典の会場で私を見つけては「漫画頑張ってくださいね」と言われたものだ。
 そして松山教会の会員でキリスト教関係者に限らず、世間一般でも凄く有名な方が亡くなられた。この方は重い難病生活を続け、本を何冊も出していた。その方がついに、ある朝亡くなられた。
 これは、いよいよ、日本全国から葬儀式に来るぞということになった。私の髪の毛は、ちょうど私が気にいるくらいの長さになっていたが、今回ばかりは切らなくてはならないか、と覚悟を決めていたら。
 いつも病床聖餐式とかしていた時の関係者の方が、私が髪の毛を切る旨を言うと
「先生、切らないでください」
と言ってくれた。多分、一生忘れないだろう。はたして、私の司式した葬儀には多くの参列者が集まり凄かったが、ご遺族の方は後にはるばる三重県から松山までやってきて、挨拶と御礼をしてくれた。
 その後、私は今の新生ルーテル教会に移転することになり、提携している結婚式場で司式もするようになったが、長髪のままだった。それどころかファンデーション塗っていた。しかし、挙式もすこぶる評判よくて、挙式場も父親ではく「太郎先生にお願いします」とリクエストを受けたものだ。
 当時はローマンカラーにスーツを着ていた。礼拝に赴く時も同様だ。つまり、私は長髪でありながら型にしっかりはまることを成し遂げたのだった。
それが解ったとたんに、そういうものに縛られているのはどうなんだろうと思いだすようになった。
 ホルモン治療もはじまり、胸も膨らみだしたころ、私はスーツにローマンカラーでいることを結婚式の挙式場以外では止めた。男性でも女性でも通用するゴスパンクの姿をするようになったからだった。これは本当に私の「性自認」の問題を手早く解決してくれる服装だった。
パンツなんだけど、膝が見えてて、スカートがついている。ゴスロリの人たちも男女を問わずこの姿をしている。これを発明した人はノーベル賞もらうべきだ。
 ただし、私は主日はいつもアルバ姿でいる、その下がゴスバンクというだけだ。また、誰かのお葬式や結婚式にはやはりローマンカラーにスーツで出席する。
 「型破り」という言葉があるが、これは「型」を習得した上で、あえて、それを自分なりに変えるものなんだと思う。よく私のことを保守的な人たちはユニークUniqueだと言うが、ユニークというよりはUnconventionalで、「慣例にしたがわない」という方が正確だ。私は「型」というものを知っている、しかし、その「型」によって、私のセクシュアルアイデンティティーが否定されるのならば、私は自分のセクシュアルアイデンティティーを貫きたいと思うのだった。
by qpqp1999 | 2013-11-04 18:47 |