牧師・漫画家・ミュージシャンの松本太郎のブログ


by qpqp1999

カテゴリ:特殊部隊( 15 )

2U

2Uだっつーのに全然、ざーざー降って来ない。時々、ザーザーで後は曇りだ。
 私はこの梅雨時のザーザー雨に備えて、アメリカ海兵隊のヘルメットを装備し、自衛隊装備のポンチョも装備した。いくらでも降ってきやがれ、こっちは平気だぜ!!!
 と思っていたら今年は空梅雨でちっとも雨降らない。神様のご配慮なのか、夜は降っているんだけど朝になるとあがっている・・・。
 そんな今日、昼間、さすがにザーザー降って来たんだむー!!!
そりゃあ私は喜んで、米軍のヘルメットをかぶり、自衛隊のポンチョを装備したのでした。雨なんて、ちっとも怖くない、堂々と歩いていくぜベイベーみたいに
 思って・い・た・ら
 雨止む・・・!!!
私としては、これだけ根性出して装備しているのだから、ザーザー降ってくれないと張り合いが無い。それなのに、それなのに、雨は止んでしまう。曇りになってしまう・・・。
 うー!!!
 まあ、ゴーグルまで買わなくて良かったかというところだむー!!!
by qpqp1999 | 2016-06-29 18:59 | 特殊部隊

パトカー

 パトカーって・・・。「あめおめ」みたいに省略されている車両。
 今日、アバルト駆っていたら、後ろから、
「緊急車両通過します!!!」
うー!!!
と言ってパトカーがイってしまったむー。と思ったらまた、
「緊急車両通過します!!!」
うー!!!
と言ってパトカーがイってしまったむー。
 パトロールカー→パトカー になってしまっている。
「何が起こったのだろう」
 と思っていたら、すぐそこのファミリーマートにパトカー集結していた。
画像がそれです。
b0130652_17554326.jpg

ここまで来たら、みなくてはと思ってファミリーマートに入ってみる。規制されていなかった。
 中で、50歳くらいの女性が叫んでいた
「私は煙草盗っとらん、返したやろう!!!」
 と叫んでいる。オマワリさんは
「それでも、そこの棚から盗ったんやろう」
 とかみ合わない、やりとりをしている。
 どうも、その女性は精神疾患の苦しみにあるらしくて、松阪の精神課病院の
「南勢病院!!!」
 とか絶叫していた。
 やがて、その女性は警察管たちに連れられて、パトカーの中に入って行った。私はとりあえず、買い物をして、お店の人に
 「何があったんですか???」
 と聴いたら、お店の人は
 「なんか騒がれてしまって、私たちでは収集つかなくなりまして、ご迷惑おかけして申し訳ございません」
 と謝った。
 それにしても、コンビニの煙草のおいてある所ってレジカウンターの後ろだよな。ひょいと手を出して盗れるような所ではない。それを、その女性は盗ったというのだから、大胆な事になっていたんだろう。叫び出したから、パトカーも飛んできたのだろう。
 しかし三台もいらないなー。女性1人に対して警察官16人は多すぎだと思ったむー!!!

by qpqp1999 | 2016-03-31 18:04 | 特殊部隊

レオン

 リュックベッソン監督のヒット作になった「レオン」この主人公は女の子と暗殺のプロの男で、この男の名がレオンだった。このレオンはすごく冷酷にマフィアとか殺していくのだが、実は、植物グリーン育てていて、自分の危機の時でも、そのグリーンを持って退避行動することを怠らない。
 実は私もグリーン好きだ。一時は松の木の盆栽も持っていた!!!
 今では手間のかからない、名前のよく知らない100金で買ってきたのと、水中で生きるやつを育てていて。今日はいよいよエアープンツに挑戦することになったんだむー!!!
画像にあります。私の漫画作業を癒してくれるこの子です。
b0130652_1931175.jpg

 その名もイオナンタフェゴ、カッコいい名前だ。見た目もチャーミングだ。エアープランツという植物は土がいらない。空中に生息する植物だ。大気中の水分で生きるという。多くの人は天井から瓶をぶら下げて、その中に入れて栽培している事が多い。
 私もこれから、この子にお似合いの透明の入れ物物色しようと思っているんだむー。楽しみが増えまんた。とりあえずは、私の目の届くとこに置いて、癒されるつもりだむー!!!
by qpqp1999 | 2015-09-14 19:36 | 特殊部隊

ひえー

 私は子供の頃、トカゲとか蛇とか大好きで飼おうとすらして、それをやっては死なせていたものだ。とろが、昨今の私はトカゲとか蛇とか凄いキモチ悪くて、嫌いになってしまったんだむー。ゴキブリとかネズミとかも全部そうです。キモチ悪い。
 そしたら、そんな昨日、おしっこしていたら、トイレの窓にヤモリがいる。気持悪い。ドっか行ってくれないかと思って窓をバンバン叩いたらヤモリは移動して、窓の隙間から
 入って来ようとするんだむー!!!
私は真っ青になって、窓、冊子ですが、バンと閉めた。
 ヤモリは首から下切断されてしまって、首だけ、トイレの窓の下にある。それは恐ろしい状態になってしまったんだむー!!!
 ヤモリというと家守とすらいわれるくらいに大事にされる爬虫類だ。ペットにして飼っている人も少なくない。私は物凄く窓を閉めたことを後悔しているんだむー。凄い罪悪感で、その死体を葬るどころか、見ることも難しくなってしまった。
 凄いのは、母にその過程を告げると、母はいとも簡単にその恐ろしい死体を片付けて、綺麗にしてしまった。後で聴いたら、首切断ではなく、肩が完全に切断されていたそうだ。 
 ヤモリさん本当にごめんなさい。だって、入ってこようとするから、閉めただけなんだむー。これからは、生類憐みの令に従おう、ゴキブリでも殺さないようにしようと心に誓ったんだむー。
by qpqp1999 | 2015-09-12 20:04 | 特殊部隊

サバゲー

 私がこの長い人生の中で、是非やりたいと思っていて、出来ていないものに
サバイバルゲームがあるんだむー!!!
 戦争ごっこです。BB弾という小さな玩具の弾を発射できるモデルガンで敵味方に分かれて陣取り合戦する、巷では大人げない遊びランキングに上位入賞するような遊びです。それをしているからといって、戦争がしたいわけではない、むしろ戦争みたいに本当に撃たれて手とか足とか吹き飛んだり、体に損傷したりして苦しんで死ぬのなんかまっぴらご免であって、そんな戦争なんか絶対反対!!!、軍隊になんか入りたくない、楽してモデルガンで遊びたい!!!今の戦争法案なんか絶対反対みたいな人たちのする遊びだ。あくまでも、大人のいわば
 「ウルトラマンごっこ」
をやることを通称サバゲーと言う。漫画の資料なんかで使うから私もモデルガンは何丁も持っている。銃って描くの難しいんだむー。特に手の指の関係とか実際にそのグリップを握ってみなければ、良く解らない。
 しかし、東京とかだと、そのサバゲーするゾーンが有料であったりするのですが、地方では無い・・・。三重県では私の知る限り無い。なので、サバゲーやろうと思ったらそれ専用の場所を運営している所にいかないと無い!!勝手に野原でやればいいと思われるかもしれませんが、それやったらお巡りさんに怒られるんです。
 そこで、私はゾンビとそのサバゲーが出来ると聞いたアトラクションに行ってきた。聞いた話ではバッグとか与かってもらって、エナジーポイントのベストとか着させてもらって、ゾンビと電子銃撃戦ができるというから、それはもう、張り切って行ってきた。
 ところが、受付時間の2時5分に着くと、係の人が←クルーって言うんだそうだ。
「こちらではロッカーとかありませんが、お荷物大丈夫ですか?」
 ときいてきた。その時の私はタブレットPCとか入っている肩掛けボストンバッグにエヴァンゲリオン4Dのエントリープラグのでっかい長さ50センチ25センチ幅、高さの重たいフィギュアを1平方メートルあるくらいの袋にかついでいたのから、そりゃそう言われるわけだ。
 話しがちがーう!!!
だが、もう時間になってしまっているし、そもそも、このUSJにコインロッカーがあるとは全く知らなかった私はその状態でゾンビと闘うしかなくなってしまった。
 一緒のチームになった黒木瞳さんみたいなお母さんとハーフの娘さんは、私の状態を観てたいそう不安になられていた。ところがそんな心配は一歳無用だった。
 そもそもゾンビ襲ってこない!!!ゾンビやっつけるための銃はごく限られたほんの一つまみの人しか使えないし、しかも闘うなんてものではなく、一方的に撃つだけのものだった。
 この、アトラクションは
通称クラスタ
 と呼ばれる、謎解きゲームのオタクのためにあるようなものだった。ゾンビを熱演している人は大変だと思ったが、あまり怖くないように、あまりグロな表現にならない配慮から、
 お化け屋敷に毛が生えた程度しか怖くなかったんだむー
しかも60分間もその謎解きのためにビルの中を一階から四階まで行ったりきたりしなければならないし、荷物は重たいし、足はへとへとになるし、頭もこんがらがってくるし、その意味では壮絶だった。
 結局、一緒にチームになって脱出ゲームをやったお母さんとは熱い握手でさよならすることになったのでよかったけど。私が恋焦がれていた、ゾンビ版サバゲーではなかった。これで、いよいよ、私のサバゲーへの憧れが強くなってきた。三重県なんて野原いっぱいあるんだから、誰かサバゲー一緒にしようよむー!!!
by qpqp1999 | 2015-06-17 19:04 | 特殊部隊

天皇の料理番その6

 戦後から三年Counter Intelligence Corps 通称CICという米軍諜報部隊の料理長に、父、松本光二がなった後で、最初にその厨房の親方だった天皇の料理番として有名な秋山徳蔵の直弟子である大久保久次郎が、大阪で失敗して借金作ってCICに戻ってきた。
 料理人の世界は熾烈だ。今や料理長は父であり、厨房の全権を得ており、それが、秋山徳蔵の直弟子であろうとも、新入りには違いないので、皿洗いの小僧にすることもできたし、散々、苛められた経験があるから、その仕返しをすることも出来た。
 ところが、父は、大久保を
「私の師匠ですから」
 と言ってはCICに対しては料理長でありながら、厨房では大久保を料理長として待遇したのだった。大久保は事の他感謝したそうだ。←そんな事は普通の料理人の世界ではあり得なかったのだ。
 ある朝、父がCICの料理長の部屋に出勤すると大久保がそれは立派な朝食をつくって
「松本さん、どうぞお」
 と言って持ってきてくれた。この人からタダで料理出してもらえるのは奇跡的なことだった。それから間もなく、大久保は心斎橋のオメガハウスというフランス料理店のシェフになってCICを離れていった。
 父はいよいよ、CICの料理長として務めたが、ある問題が起きた。CICが料理係の残業代を出さないと言ってきたのだ。料理場の親方になっている父はそれに反対してストライキを決行した。ただし、業務に支障が出るといけないので、他の料理人は定時に帰らせたが、父だけは残業して仕事を片付けた。
 民主国家のアメリカの進駐軍のはずだったのに、そういう父のスタンスにCICは猛然と反発して、とうとう、父を料理長から解雇してしまった。もはや、この進駐軍にはいられない。また、行くところもない。はたして、まだ、戦後からそんなにたってないから、家族七人を養うのは大変だ。どうしようと言う事になってしまった。
 まともにフランス料理も作った事もないのだが、もう選択肢は無かった、父は大久保が料理長を務めている心斎橋のオメガハウスに覚悟を決めて行ったのだった。
by qpqp1999 | 2015-06-07 18:07 | 特殊部隊

天皇の料理番その5

 天皇の料理番その5
 父、松本光二は五十倍の求人倍率を突破してアメリカ軍のCICという特殊部隊の料理人として採用された。そのCICに出勤すると、そのビルではIN THE MOODとかが普通に、レコードから流れていて、たいそうモダンな職場だったんだそうだ。
 ただし、父の勤務する厨房はそうではなかった。誰が一番偉くて、誰が一番偉くないのか決定戦が行われることになった。そもそも、フランス料理の料理人の世界なんてものすごく狭かったから、その厨房に焼け逃れてきたフランス料理のシェフたちはお互いを知っていた。しかも上下関係は厳しかった。
 そこで、当然のことで、今テレビでやっている「天皇の料理番」の秋山徳蔵の直弟子である大久保久次郎が誰もが納得する厨房の親方になった。方や父は、
 「フランス料理って言っても、海軍の主計兵の机上訓練だけかよ!?!?!」
と怒りをかってしまって、一番下の皿洗いの小僧になってしまった。それは、それは、苛められたそうだ。そうは言っても戦後直後、世の中は物資に不足し、皆生きるのに困っていた。しかし、このCICという部隊にいれば、いくらでも食糧が調達できた。
 しまいには、日本人職員たちは倉庫のコーヒー豆とか砂糖とかちょろまかして、横流ししてお金儲けることすらもしていた。勿論Counter Intelligence Corpsたる諜報戦の部隊だ、そういう事は知っていて、知らないふりをしてくれていたというのが事実だ。
 給料もいい、食糧も確保できる、横流しの利益も入るということで、父は母と弟、妹兄弟七人を、この戦後という、非情に厳しい時期に、飢えさせることもなければ、貧させることもなく養うことができた。
 そして一年、二年経つと、日本国は凄い勢いで戦後復興を成し遂げていった。といっても、それは都市を優先的にしたいたから、平等なものとはとても言えない政策だったが、それでも、大阪の心斎橋あたりは、もうレストランが開業し始めていた。
 すると、トップの親方たる大久保さんから、CICを辞めて、普通の日本の料理人に帰っていった。その、おかげで、父は段々と料理人の階級を上げて行って、とうとう1948年にはCICの厨房の料理長に上りつめる事ができた。かの大久保さんと同格の地位だ。悪くない。
 だが、問題は普通の料理は出来るけれども、肝心のフランス料理になると、これまた、実際にやったことがないという現実があった。
 そしたら、かの大久保久次郎がCICに舞い戻って来た。彼はフランス料理の達人であったかもしれないが、経営者ではなかったので、借金作って、店締めて、しょうがないからこの米軍基地の厨房に戻ってきてしまった。そこでの料理長は既に成ってしまった。松本光二だ・・・。このねじれた関係が父に料理人の光を照らす。
by qpqp1999 | 2015-06-06 18:59 | 特殊部隊

天皇の料理番その4

 天皇の料理番その4
「太平洋戦争」が終わり、父、松本光二は大阪に帰って来た。当時1945年9月の大阪は空襲で「焼け野が原」になっていた。奇跡的に家はギリギリのところで焼けないでいた。しかし、母と弟妹六人を養っていかなければならない。そこで、父が職探しして見つけてきたのが進駐軍での料理場での仕事だった。←実はこれが、父の料理人人生の大転機になる。
 その建物は戦時中は「国防婦人会」の会館のビルで、アメリカは終戦後この建物を使うために爆撃ポイントから外してあった。大日本帝国のあの「国防婦人会」のビルがアメリカ軍の基地になって変わったのだった。求人倍率は50倍以上に達しており、皆、腕に覚えのある料理人ばかりだった。
 その国防婦人会の建物を利用しのが
Counter intelligence Corps 通称「CIC」という部隊だった。これは直訳すると対諜報部隊であって、米進駐軍の頭脳戦を担った部隊だ。詰めているのは日本語も喋れる日系アメリカ軍人、また、占領後にそなえて日本語を習得したヨーロッパ系アメリカ軍人だった。
 なにしろ「焼け野が原」になってしまった大阪では、もはやレストランというものが存在していなかった。なにより食糧品がない状態で、多くの料理人は職を求めてこのCICに来たのだった。父の面接での他の料理人との違いはフランス料理を作ることが出来ると言う事で大きなアドバンテージだった。海軍主計兵の経験がこんな結果で今度は米軍で活かされることになった。
 しかし、実際には、その3で書いたように、フランス料理をまともに調理した事がなかったから、50倍の倍率を突破できたのはよかったが、その特殊部隊の厨房に行ってみたら、それはもう、本物のフランス料理の第一級の腕前の人たちが集まっていて、父はたいそうビビったそうだ。
 そして、ついにその厨房を指揮する大久保久次郎というフランス料理の親方と出会うことになる。この人こそ、今テレビでやっている天皇の料理番。宮中の料理を一手に司った秋山徳蔵の直弟子だったのだ。
by qpqp1999 | 2015-06-05 19:20 | 特殊部隊

できれーす

 ノーベル平和賞こういってはなんだが、できれーすというかんがぬぐえないんだむー。誰だって まらら さまにとうひょう するしかないでしょう。私が審査員でもそうしますから・・・。日本国憲法ざんねん・・・。
by qpqp1999 | 2014-10-11 00:13 | 特殊部隊

陸軍中野学校

 今日は8月15日、所謂「終戦記念日」だが、正確には「終戦の日」であり、もっと厳密に言うなら、まだ今でも戦争は終わってない。沖縄や各地の米軍の駐屯基地をみれば解る、日中朝韓の緊張関係を見れば解る、日ロの関係を見れば解る。閣僚の靖国神社参拝や総理大臣の靖国っぷりを見れば解るじゃないか。終わってないんですよ。
 書きたいことは、いくらでもあるが、まずは身うちの戦争終わってない事を書きます。
 私の母方の祖父は陸軍中野学校を卒業した。陸軍中野学校とは特殊部隊養成学校だった。特殊部隊、解りやすく言うと諜報部隊だ。もっと簡単にいうとスパイです。そして、インドネシアに憲兵になって行かされた。そのインドネシアでの大日本帝国のスパイのコンテストで優勝したこともある。
 とうとう8月15日が来た。この日はいこーる終戦ではない。厳密に言うなら「玉音放送がラジオで流れた日」なのだ。実際、大日本帝国は武装解除していない。それはさておき(これについて書きだしたらまたきりがない)。あっという間にインドネシアにはオランダ軍がやってきた。私の祖父は憲兵だった。憲兵は基本的にB級戦犯であり、処刑されるのが当然だった。そして、首実検が行われた。死刑が宣告されるその時にインドネシア民衆の間から
「あの人はいい人だ」
という声が上がった。祖父はまさにスパイとして民衆の中に溶け込んで、事実、子供が大好きで、人々と密接な交流があった。これは諜報部隊の隊員としてはとても大事な作戦でもあったのだが。ある時、他の憲兵に処刑されそうな人を私の祖父が助けたそうだ。
 それで、処刑をまぬがれた植民地の憲兵としては異例の事態になった。だが、軍事刑務所に入れられた。それが4年間も続いた。その情報は、日本にいる私の母や祖母には知らされていなかった。日本国になっても無責任なままで、「行くえ不明」「もしかしたら戦死」ということだった。ここで、私の母や祖母にとって戦争は終わらなかった状態になる。
 たとえば「蛍の墓」を観ればわかる。たとえば「はだしのゲン」を読めば解る。所謂「戦後」食糧もなく力もない人たちはどうなったか、野坂昭如さんの妹さんは飢え死にした。私の母親も祖母も喰うに困って、着物と米を交換しながら必死で命をつなぐしかなかった。日本国はなんにも面倒みてくれなかった。
 毎日のように母と祖母は復員船の桟橋に見に行ったが、四年間駄目だった。不思議な話だが、困った私の母や祖母は日本ルーテル都南教会に行って洗礼を受けた。同じ時期、祖父もまたルター派の宣教師から獄中で洗礼を受けていた。
 そして五年目に復員船から押し出される祖父を見つける事ができたが、祖父は「巣鴨プリズン」に直行だった。そして一年以上も懲役を喰らった。今村均大将と同じ部屋だったそうだから、重罪人だ。惨憺たる母と祖母の生活は続いた。飢え死にしなかったのが奇跡的なほどだ。
 つまり私の身内の母方では1945年の8月15日で戦争は終わりはしなかったのだ。そういう視点をもっと、ひろげて、現状の日本をみて見ると解る。まだ戦争は終わってない。9月2日の米でもなければ、9月3日の中国でもない、まだまだ、その戦争は続いている。誰が終わりにしてるんだ。いよいよ、集団的自衛権の拡大解釈でバトンが更に強く繋がれた訳だ。もう、所謂「大東亜戦争」「太平洋戦争」の体験者は高齢化していなくなりつつあるので、本当に終わったと思いこまされそうだが、実情ではそうではないことを、肝に銘じることが、「終戦の日」に日本人に求められるものだと思う。
by qpqp1999 | 2014-08-15 20:46 | 特殊部隊