牧師・漫画家・ミュージシャンの松本太郎のブログ


by qpqp1999

カテゴリ:LGBT( 4 )

レインボウフラッグ

 レインボウフラッグ
 昨日はアメリカで同性婚が合憲となり、同性婚を認めない州を違憲としてアメリカが追及しはじめた日だ。遠くない将来これ記念日になるんじゃないかとすら思っている。
 フェイスブックではこの歴史的瞬間をシェアしようということで、このレインボウフラッグ即ち、レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスLGBTコミュニティの多様性を表し、LGBT の権利パレードの一種ゲイ・パレードでよく見られる旗を自分のプロフィール写真にデザインできるサービスを行った。
 ところが、意外なことに、この事態に対して、非情に差別的な見解がなされている事に驚いた。このサービスを使うと自分のプロフィール写真がまさにレインボウフラッグそのものになるのですが、「それがけしからん、という」意見が私の友達の中でも←私の友達は多くがキリスト教関係者 あるいは多くが反保守層 であるにも関わらず、そのレインボウフラッグの取り扱いが「けしからん」と言っては投稿したり、あるいは、自身の写真をレインボウフラッグにしている人に圧力かけたりするレスを入れたりする事態が多く起きた。
 色々とそれらしい論説ではあったが、私は反対だ。そんな事を言い出したらお祭りでこのレインボウフラッグ使うことにも気を使って、萎縮しなければならなくなるからだ!!!
 事実、昨日は多くのLGBT当事者、関係者でない方が、自らのプロフィール写真をレインボウフラッグにしたのだった。これは、自ずと、今回の同性婚が合憲であり反対している州は違憲であるということに賛成するという意思表示になるのだから、私は大歓迎だと考えている。
 このレインボウフラッグは1978年6月25日にサンフランシスコで行われた Gay Freedom Day Parade で使用されたのが始りだ。同年ゲイであるハーヴェイ・ミルク議員暗殺された。憎悪犯罪だ。もちろんこの「闘い」においてもレインボウフラッグは使われた。
 それくらい由緒ある旗なんだから、同性婚が認められた「お祝いとして自分のプロフィール写真を、このレインボウフラッグなんかにするのは、けしからん」←簡単にまとめると、こういう趣旨が多かった。 と言って、同性婚がついに認められる大きな転機になった日をお祝いしている人を糾弾するのは、実は、本当は心の底で性的マイノリティの人を嫌っている人なんじゃないか、 ただ、フェイスブックというコミュニティーではそれ言いづらいものだから、この時とばかり書いているんじゃないかと疑いたくなってしまう。
 そういう意見に私は反対なので、いっそのこと、ドプロギターを片手にチューブトップにスカート姿の私のプロフィール写真に変更したのだった。私は私以外のなにものでもないのだから。
 そういう訳で、レンボウフラッグの取り扱いに対して委縮してしまうというのは、まさに本末転倒だと考えます。レインボウフラッグは自由に掲げるべし!!!
by qpqp1999 | 2015-06-28 17:50 | LGBT
 Sexual identical sexual disorder 性同一性障碍を詳細に訳すとこうなる。
 私は自分が「性同一性障碍」の中核群であることを最初に表明したのは、私が講談社のモーニングで週刊連載した「ストレイキャット」の巻末インタビューでだった。この作品は、連載当初、二回も人気投票で一位になったし、のこり三回は五位入賞という好成績だったが、講談社からは出版されなかった。出版してくれたのは、元、小学館のヤングサンデーの編集次長の人だった。この人は河出書房新社に移籍してから自らの漫画雑誌、「九竜」を立ち上げた。実はこの「九竜コミックス」で助けられた、当時の売れない講談社モーニング出身の漫画家は少なからずいただろう。私もその一人だ。
 非情に残念なことに、この「九竜」という漫画雑誌自体は第一号で終わってしまう。じつは、弟の名作短編作品もこの雑誌に掲載されたのだが、大分後になってから、短編集の中に収まって単行本化されることになった。
 今でもよく覚えているが新宿の中華料理屋さんで、接待受けて、その時に、「ストレイキャット」の巻末インタビューが書きおさめられた。その時に私は公に、自分が「性同一性障碍」であることを表明したのだった。筆者画像が単行本の裏表紙に載るというので、それは気合いを入れて、メイクして当時まだまだ普及していなかったデジタルカメラで撮ったものだ。
 この「性同一性障碍」って不思議なもので、もし私が普通の男性だったら、それは50歳にして体重52キロキープしているロン毛のリゾネイターギターとか弾くカッコイイオジサンになりそうなのに、そうはならない。やはり、生き方の指向性として女性の在り方を求めてしまっている。そこで、そもそも男性とは女性とは何なのかというような問いの前に立たされる時がある。ぶっちゃけて言うと、外性器が男性であるか女性であるか、なのですが、例えば、私の場合、外性器はそのままだけど、二十年近くにわたるホルモン治療で乳房とかがありますし、男性生殖器機能は機能しない状態にあるんです。
 貧乏なので、十回近く通った埼玉の安部メンタルクリニックで「性転換症」の診断の手術用のやつをもらいに行けないというのと、実質、手術受けるだけのお金ない。というのと、所謂「性別適合手術」しても、今、話題になっている。ろくでなし子さんの「まんこ」そのものみたいに筋肉組織でできた本格的なヤツにはなれないという現実の前に折れているというところなのです。
 松阪では女みたいなオジサンということで通って生きていますし、「松本太郎」というブランドを取り下げるのも、もったいないと思いますし、多くの人が既に私の状況を知ってしまっているので、今更、完全に女性として社会に溶け込めることができない。それをやろうとするなら、これまで生きてきた一切のものを全部捨てなければならない・・・。一番肝心な事なのですが、牧師であるという時点でこれがアウトなのです。
 多分、牧師でなかったら、きっと全てを放棄していたかもしれない。だけど、牧師であらんためには松本太郎でいなければならないのです。「性同一性障碍」と「牧師」の両立。これが私の人生に大きく影響をもたらしている。日本ルーテル神学大学(現ルーテル学院大学)を卒業し日本ルーテル神学校を卒業し、日本福音ルーテル教会で授手礼を受けたという事実、そして日本福音ルーテル京都教会、修学院教会、松山教会、高松教会に遣わされていたというキリャリアが、今、牧師、司祭として働くためには必要なものなんです。
 そういう訳で、私は性同一性障碍をカムアウトしながらも、「松本太郎」という名前で生きているんです。
by qpqp1999 | 2015-04-15 18:56 | LGBT

理解者のみなさま

 私は性同一性障碍であることを著書の巻末インタヴューでも、このブログでもカムアウトしてきた。だけど、松本太郎という名を使っている。違和感ないのかと訊かれたら、昔10年くらい前は、すっごくあった。実は今でも、それはかわっていなくて、すっごい違和感ある。だけど、松阪で育ち、松阪で活動して、漫画も単行本とかでて、大分有名になってしまったので、生きるのに有利なこの名前をつかっている。
 松本太郎という名は、言わば、ブランドなのだ・・・ 
 教会の運営しているデイサービスのご利用者さんたちにも、カムアウトしているが。
皆、普通に親しく、接してくれる。もはや名前の壁は通り抜けている。
性自認が女性の松本太郎さんだということで認識されている。一部の人は私がロックギタリストだから長髪なんだと思いこんでいる人もいるが、長髪なのの理由はできるだけ女性に見えたいからだ。本物の女性ってすごいなあと思うのは超ベリーショートにしていても、女性にみえるんだもん!!!←おっぱいとか抜きにして顔+すっぴん であっても。性的に男性として産まれてしまった人が女性に見えるようになるには、ものすごい努力がいる。また、どうかすると、どれだけ努力しても限界というものすらあって、天来の素質が無ければ、絶対無理という場合もある。
 私なんか、かなり後者の方で、最近はメラニー方で声の発音とか女性声ではなく地声だから、よっぽど、映画のレディースデイに行って入場券買う時とかしか、女性声使わない。若いころ、クラブのホステスをせざるをえない時があって、←これはニューハーフとしてではなく、女性ホステスとして働いていた。その頃は段々親しくなるお客さんとか増えてくると、ほかのホステスの女の子たちがバラしてしまう。すると、お客さんで最初に驚かれたのは観てくれではなくて、「声をどうやって変えているのか」というものだったくらいだ。
 そこで、今日はデイサービスにボランティアで来てくれている女子が、ご利用者を送迎する折に、
「太郎さんといると、なんか楽しいです」と言ってくれた。
 まだ二十代の人ですよ!?!?!?この方にはとっくにカムアウト済みでおっぱいついている事も知っている。差別されて不思議ではないのに、こう言ってくれるのだから、ありがたい。
 まだまだ、捨てたものじゃないな人生はと、今日は嬉しかったむー!!!
by qpqp1999 | 2013-11-13 18:08 | LGBT

LGBT

LGBT
というのは「レズビアン」「ゲイ」『バイセクシュアル」「トランスジェンダー」を
まとめて指す言葉だ。実はこの呼称は近年、セクシュアルマイノリティーを理解するために、よく使われるようになったが、概念としてはちくはぐな点があることも否めない。というのもこの言葉の最初の三つは「性指向性」を指すのに対して最後のTは「性自認」を指すので根本的な意味が違う。これら、みなセクシャルマイノリティーという意味では同じなのだが、厳密に言うと違うものは違う。
 だって私の場合は初恋の人は?ときかれたら、●●●子ちゃんと女性になってしまう。ではバイセクシュアルなのかと言われたら違う、性自認は女性であり、尚かつ性指向も女性だから、私の場合「トランスジェンダー」であり「レズビアン」ということになってしまう。このせいで私は多感な思春期をどんなに苦悩したことか。あるいは、成人してから、自分は自分の体について違和感を持っているのに女性が恋愛対象だという、ねじれた状態であり、当時それに答えを出してくれる人はいなかった。ルーテル学院大で、「性」についての授業もあったが、まだ、その時点では「性同一性障碍」という概念すら無かった。
 今の私はというと、ホルモン治療の効果もあって「非性愛者」である。「バイセクシュアル」の反対だ。誰かを好きになったり、好意をよせることはあっても、その人とセックスしたいとは全く思わない。誰ともセックスしたいと思わないのだ。元々、性欲自体が無い。もしかすると女性というのは、そういう感じなのかもしれないと、時々思うが、身近な人に既婚者でセックスレスの状態が長く続いている人を少なからず見かけ、大抵の場合男性が浮気していて、女性は誰ともセックスしないまま何年もたっているケースを少なからずみる。これは、社会構造における性差別の実態だなと考える。だって、男用の風俗店は山ほどあるのに、女性用の風俗なんて、「ホスト」意外聞いたことないもん。ていうか「ホスト」は基本、性風俗と違いますから、それにあたらない。
  そういう訳で、私は男性とも女性とも恋愛状態になることは無くなった。もちろん、尊敬したり、好意を持ったりする人は男女ともたくさんいるけど、その人たちの彼氏や彼女になりたいとは全く思わないのだ。私は愛想がいい方だし、誰とでも気さくに話すし、つきあうものだから勘違いしてしまう人も中にはいるが、
こと、性関係においては私は全く無外だむー!!!
by qpqp1999 | 2013-02-04 19:42 | LGBT