復活後第一主日礼拝説教
2016年 04月 02日
復活後第一主日礼拝説教
ルカ福音書24章13~35節
「この日二人の弟子がエルサレムから60スタディオン離れたエマオという村に向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた」
という所から今日の聖書個所は始る。
60スタディオンというのは10キロメートルくらいの長さだ。
この
「話しあっていた」
という話し会いの内容については不明のままだ。しかし、確かな事は、この二人の人は残念な思いで道を歩んでいたということである。
実はこれだけ、有名なイエス・キリストの歴史的な証拠はどこにもない。キリスト教会の信徒の問題が少々ローマ帝国の文書にみられるくらいで、十字架にはり付けにされたとか、人々に教えたとかいう歴史的な証拠が一切無い。
福音書などは紀元70年以降に書かれたものであるから、信憑性は疑わしいものだ。
新約聖書の中でもパウロ書簡は最も古いものだが、
「私たちは今後、だれをも肉によって知ることをすまい。2コリント5章。」と言う事でパウロ自身は生前のイエス・キリストに全く接触しておらず、その概要も全く知らなかったことを記している。
この歴史的証拠の沈黙が意味する事は、イエス・キリストの生涯は、歴史に名を残すほどに至っていなかったという事である。
ところが今や世界人口の四分の一の人がイエス・キリストを神様だと信じている。このギャップこそが、今日の聖書個所の福音に導いてくれる。現状なのだ。
つまり、十字架で処刑されたかもしれないが、
「復活したんだから凄い!」
という文脈にはならないと言う事なのだ。
あくまでも、怪しい出来事としてしか、福音書では表現されていない。もっと、大々的にアピールすれば、いいものを、どういう訳か、福音書はこのイエス・キリストの復活という出来事を、それはまあ、慎ましく書いていのであった。
その代表選手とでも言える。エマオにむかう弟子に現れた復活のイエス・キリストだ。
この弟子たちの話し会っていた内容はたやすく察することができる。イエス・キリストの残念な最後についての事だ。
事実、後にこの弟子たちは言う
「ナザレのイエスの事です。この方は神と民全体の前で行いにも言葉にも力ある預言者でした。それなのに私たちの祭司長や議員たちは死刑にするために引き渡して十字架につけてしまったのです。」
悲嘆にくれている事がよくわかる言葉だ。
期待していた事が散々な事になってしまった。と言う。
ここで、注目すべき個所が出てくる
「話し会い論じあっていると、イエスご自身が近付いてきて一緒に歩きはじめらた」
イエス・キリストの復活というのは、ようするに、こういう事なのだと思う。
エマオへの旅行中の人にだけ、何故現れたか、何故、一緒に歩き始められたか、ということである。
それは十字架にかかりっぱなしではなく、私たちの生きている今に寄り添ってくださるという復活の出来事について書かれているのだ。
冒頭で述べたように、イエス・キリストというのは歴史に名を残すような大人物ではなかったという事がとても大切だ。
それでも、尚、イエス・キリストというのは世界一有名な人になっている。
この事について、私たちは、復活の主イエス・キリストを信じるのである。
このエマオに旅していた弟子たちは、イエス・キリストの復活の情報を知っていたかもしれないが、体験はしていなった。なので、信じてもいなかった。
ところが、
「独り旅」
している人が寄り添って話しをしてくる。
ここに福音の主たるものがある。
「旅」
というのは、通常、独りでは行わない。二人でするものだ、それくらい治安が悪かった時代が紀元1世紀のユダヤの状況だ。
そこに独り旅していると言う人が現れる。これは、当時の状況からして、怪しい人に他ならなかった。
そこに一蓮托生と言う言葉があるであろう。
つまり、イエス・キリストは私たちの生きざまに寄り添い、助け、導いて下さるという現実である。迷信の類いではない。今ある目の前の事についてイエス・キリストは寄り添ってくださるのである。
ルカ福音書24章13~35節
「この日二人の弟子がエルサレムから60スタディオン離れたエマオという村に向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた」
という所から今日の聖書個所は始る。
60スタディオンというのは10キロメートルくらいの長さだ。
この
「話しあっていた」
という話し会いの内容については不明のままだ。しかし、確かな事は、この二人の人は残念な思いで道を歩んでいたということである。
実はこれだけ、有名なイエス・キリストの歴史的な証拠はどこにもない。キリスト教会の信徒の問題が少々ローマ帝国の文書にみられるくらいで、十字架にはり付けにされたとか、人々に教えたとかいう歴史的な証拠が一切無い。
福音書などは紀元70年以降に書かれたものであるから、信憑性は疑わしいものだ。
新約聖書の中でもパウロ書簡は最も古いものだが、
「私たちは今後、だれをも肉によって知ることをすまい。2コリント5章。」と言う事でパウロ自身は生前のイエス・キリストに全く接触しておらず、その概要も全く知らなかったことを記している。
この歴史的証拠の沈黙が意味する事は、イエス・キリストの生涯は、歴史に名を残すほどに至っていなかったという事である。
ところが今や世界人口の四分の一の人がイエス・キリストを神様だと信じている。このギャップこそが、今日の聖書個所の福音に導いてくれる。現状なのだ。
つまり、十字架で処刑されたかもしれないが、
「復活したんだから凄い!」
という文脈にはならないと言う事なのだ。
あくまでも、怪しい出来事としてしか、福音書では表現されていない。もっと、大々的にアピールすれば、いいものを、どういう訳か、福音書はこのイエス・キリストの復活という出来事を、それはまあ、慎ましく書いていのであった。
その代表選手とでも言える。エマオにむかう弟子に現れた復活のイエス・キリストだ。
この弟子たちの話し会っていた内容はたやすく察することができる。イエス・キリストの残念な最後についての事だ。
事実、後にこの弟子たちは言う
「ナザレのイエスの事です。この方は神と民全体の前で行いにも言葉にも力ある預言者でした。それなのに私たちの祭司長や議員たちは死刑にするために引き渡して十字架につけてしまったのです。」
悲嘆にくれている事がよくわかる言葉だ。
期待していた事が散々な事になってしまった。と言う。
ここで、注目すべき個所が出てくる
「話し会い論じあっていると、イエスご自身が近付いてきて一緒に歩きはじめらた」
イエス・キリストの復活というのは、ようするに、こういう事なのだと思う。
エマオへの旅行中の人にだけ、何故現れたか、何故、一緒に歩き始められたか、ということである。
それは十字架にかかりっぱなしではなく、私たちの生きている今に寄り添ってくださるという復活の出来事について書かれているのだ。
冒頭で述べたように、イエス・キリストというのは歴史に名を残すような大人物ではなかったという事がとても大切だ。
それでも、尚、イエス・キリストというのは世界一有名な人になっている。
この事について、私たちは、復活の主イエス・キリストを信じるのである。
このエマオに旅していた弟子たちは、イエス・キリストの復活の情報を知っていたかもしれないが、体験はしていなった。なので、信じてもいなかった。
ところが、
「独り旅」
している人が寄り添って話しをしてくる。
ここに福音の主たるものがある。
「旅」
というのは、通常、独りでは行わない。二人でするものだ、それくらい治安が悪かった時代が紀元1世紀のユダヤの状況だ。
そこに独り旅していると言う人が現れる。これは、当時の状況からして、怪しい人に他ならなかった。
そこに一蓮托生と言う言葉があるであろう。
つまり、イエス・キリストは私たちの生きざまに寄り添い、助け、導いて下さるという現実である。迷信の類いではない。今ある目の前の事についてイエス・キリストは寄り添ってくださるのである。
by qpqp1999
| 2016-04-02 20:15
| キリスト教