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牧師・漫画家・ミュージシャンの松本太郎のブログ


by qpqp1999

聖霊降臨後第14主日礼拝説教 マタイ福音書16章13節~20節

聖霊降臨後第14主日礼拝説教 マタイ福音書16章13節~20節
 私がガイドをつけてでも、死ぬ前に一度行きたいのがバチカンだ。それもサンピエトロ寺院だ。この場所にはミケランジェロのピエタとか大変に貴重な美術品が展示されている。しかし、この寺院、西ローマカトリック教会の総本山には地下にイエス・キリストの直弟子と言われているペトロの殉教した場所がある。そもそも、この建物は紀元3世紀後半にこのペトロの殉教者記念教会堂として建設されたものだ。
 賤業の魚獲りだったペトロがこのような形で、その死後二世紀以降21世紀に至るまで、その殉教の場所が聖地になり、世界最大規模のキリスト教教会の総本山になるとは本人は思いもしなかっただろう。
 しかし、肝心のペトロの殉教の場所は、そのサンピエトロ寺院の地下のそのまた地下にあって、一般の人は絶対に観ることができないという現実がある。きっと、教皇とかになれば観ることができるかもしれないが、私では絶対に無理だ。どうかすると、あるか無いかも、疑わしいものだ。
 このペトロというあだ名が示している通り、史実のイエス・キリストはその弟子たちにあだ名をつけることを好んでいたらしい。こればっかりは、聖書があちら、こちらで書いているので、否定的要素はあまりに貧弱で、この論説を覆すのは難しいだろう。
 福音書と使徒言行録をみる限り、確かにペトロは筆頭弟子だ。特に、何かが他の弟子よりも、傑出していたわけではない。どういう巡りあわせか解らないが、十二弟子の中でペトロが誰よりも筆頭弟子として描かれている。ヨハネ福音書では、おそらくヨハネと思われる弟子がこのペトロと順位を競っているが、それであってもペトロはやはり筆頭弟子である。
 考えたいのが、このペトロが他の弟子に勝って、力があったかというと、そう言うことは無い。訳はわからないが、イエスはこのペトロを選んだという事だ。
 そこで、分け行ってみたいのだが、史実のイエス・キリストに迫る資料があるかどうかということだ。現代の地球人の四分の一がキリスト教徒だ。それなのに、このイエス・キリストの史実としての資料はというと。無い。という一言につきる。厳密に言うと無いわけではないが、あるのは福音書、ヨセフスの記事くらいのもので、公に書かれた史的資料は一切無い。このヨセフスの記事は注目したいが、残念ながら後代の加筆修正によって改竄されている可能性が高い。であるので、あまりヨセフスのイエス・キリストについての記事は信憑性に欠ける。一方の福音書、使徒言行録はあくまでもイエス・キリストを神格化した状況で書かれているので、これもまた歴史的資料としてはあまり役にたたない。
 使徒信条というのものがある。これは原文がラテン語なので、かなり新しい資料だ。この資料においても、イエス・キリストの活動内容は全く記されていない。せいぜい、処女懐胎と十字架と復活くらいで、そのイエス・キリストの生存中にどのような活動があったかは一切不明のままだ。
 ここまでくると、史実のイエス・キリストについてはお手上げで、何も解らないというのが正しい。そもそも、イエス・キリストはアラマイク語で話していた筈で、ギリシャ語を学んでいたかどうか怪しい。しかし、福音書は全てが、古典ギリシャ語で書かれている。つまり、史実のイエス・キリストと福音書はかなりの隔たりがあるということだ。イエス・キリストが十字架で処刑されたのが紀元30年頃で、福音書が書かれたのは紀元70年以降一世紀末くらいの時点だ。これでは話にならない。たった昨今の「太平洋戦争」の〇戦の色ですら、今でも議論があって定かではないのに、ましてや起源30年の話しを起源70年以降にするというのが無茶な話なのだ。
 こうなってくると、イエス・キリストとは何者なのかということが危機的に私たちに迫ってくる。私たちはどう答えたらよいのだろうか。
 「人々は人の子を何者だと言っているか」というイエス・キリストからの質問をマタイ書は書く。今、この時点で、この個所を読んでいる人皆に質問されていると意識してみるといい。イエス・キリストを何者だと言っているか。ただのペテン師か、スキャンダラスなヒーローか、カルトの元か、色々あるだろう。
 「シモンペトロが「あなたは生ける神の子です」と答えた」のだった。正解なのだが、この直後、このペトロはイエスの十字架死について否定したので、「サタン」「敵」とイエス・キリストから言われている。
 当然のこと、マタイ書はこの展開をはじめから知っている。知っていて、ペトロの言葉について、肯定している。後になってイエス・キリストから「サタン」と言われようと、ここでペトロは正しい答えをしたというのがマタイの言いたいことだ。何故ならば、これはペトロの言葉ではなく「人ではなくわたしの天の父なのだ」というイエスの答えであきからにされる。そしてイエス・キリストは言う「ペトロ私はこの岩の上に教会を建てる」である。ペトロはΠέτρος,ペトロスで岩はπέτρᾳぺトラで韻を踏んでいるわけだ。だが、単に韻を踏んでいるだけではない。このπέτρᾳぺトラは「岩」「岩盤」である。当時のユダヤの建築技法において、岩盤の上に家を建てるのは困難だった。不可能に近いかもしれない。岩の上に建築物を建てるのはよほどの王様とかであって、普通ではあり得ない事だ。ここに注目すべきだろう。
 あえて、イエス・キリストは言う、「ペトロ」「岩」の上にと。当時では、笑い話でしかなかったが250年後にそれは現実のものとなった。ペトロの殉教死した場所に地球人の四分の一が信ずるキリスト教の本山が建てられ、今尚、ばりばりで継続中だということだ。
 岩というから、固いし、着工するのが困難なように考えられる。確かに、常識で言うとその通りだ。だが、イエス・キリストの視座は違う。岩だからこそ、そこに「教会」即ち「民の集い」を形成させるというのだ。この集いとは単なる集会ではない。まさに岩の上に建てられた主イエス・キリストにおける信仰の交差する地点である。
 その地点とは岩盤を貫いて、その下にある地点にまで到達するものだ。岩をも貫く集いこそが、まさに信仰の交差する地点であり、イエス・キリストを「活ける神の子」と告白するものだ。こうして、「陰府の力も対抗出来ない」所に導かれるのである。
by qpqp1999 | 2014-09-13 20:17 | キリスト教