性的嗜好
2014年 07月 23日
二日連続で、下ネタ大真面目で書きます。
性的嗜好せいしこう というものについてです。
生物学的に男性は生物学的に女性をhの対象とすること、、生物学的に女性が生物学的に男性をhの対象にする。これ、ごく一般的なものです。
が
これは性的嗜好せいしこうと言って、
実はその性別に関わらず、その対象が異性であろうと同性であろうと色々出てくることを言います。偏見の原点とも言えるゲイ・・・生物学的に男性が生物学的に男性を性的嗜好の対象とする事は、現代日本でもものすごく差別されている。私にしてみれば、それが男だろうと女だろうと犬だろうと猫だろうと、好きなんだからいいぢゃないかと思わなくもないのですが、世の中そんなに理解は深くない。
たとえば私なんかは男性敵な性欲が不快で、それを除去するためにホルモン治療しているし、上手くいっている。なので、私なんか性的嗜好なんて無いわけですよ。誰ともhしたくないんです。恋したとしても、実にプラトニックなものでしかありません。そもそも、もはや機能しません。
そこで、今日はその深いところを突っ込んでみたいと思います。
たとえば〇〇専という言葉がある。一番有名なのは
「デブ専」でしょう、その次くらいに「熟専」かもしれません。いずれも男性主導の立場をとっているので、私はこの表現が嫌いです。もっと、性差を無くして
女性でも
「デブな男が好き」
とか
「老けた爺さんが好き」
というのがあっていいと思います。上記の場合はなんとかその行為に及ぶ事が出来るかもしれませんが、後者の場合は機能しない可能性が大なので、行為に及べるかどうか、難しいところです。
とは言っても、これ基本的に生物学的に女性が男性が対象、生物学的に男性が女性を対象という点では変わらない。
実は、私が性同一性障碍の疑いをはっきり自覚したのは小学生の入学式だったんです。私は普通に女子の列に並んだら、先生が「あなたはこっちだ」と言って、私を男子の列に並ばせた、凄いびっくりしたんですよ、ああ、私はこっちの列に並ぶ人間なのかと。
その違和感はあったものの、私の性的嗜好は女性でしたので、初恋も生物学的に女性の女の子でした。これが、私の人生を狂わせる。
所謂「オカマ」って生物学的に男性が女装して性的嗜好対象が男性の事だと思っている人がほとんどでしょう。そうじゃないんです。私のような「オカマ」でも恋愛対象は今だに女性なんです。尤も、ホルモン治療が成功しているので夢見ることはありますが、実際には事にいたることはまずありません。
そこで、今日、強調したいのが、生物学的に男性が、生物学的に男性で、女装している人が性的嗜好対象であるという事例です。不思議でしょう。しかも濃い人になると女装丸出しやんかというくらい、オッサンが女装しているのが性的嗜好対象という人が実はこの世には少なからずおられるのですよ。
私がホルモン治療はじめて、女性として社会で生きて行こうと思っていた時分、私はインターネットを非常によく活用していて、ホルモン治療で育ったオッパイとかはみ乳の画像とか載せて、それは、それは、所謂ニューハーフを性的嗜好にしている男性からはモテたものでした。
性行為には至りませんでしたが、ネットで私の情報を相手に送ると、とても感激して、「彼女になって欲しい」と言われたものでした。そんなのなりませんが、どれくらい、私は女性に見えているだろうかということを探索すべく色々なところにアクセスしてみたものでした。
そんなある日、ある人とコンタクトした。画像ありまよーと言うと、見たいと言うので、ユーアールエルを送ると、
「全然ダメやね」
と言われて、ぶちっと通信を切られました。そうです、そのような生物学的に男性の人で、どんだけ女装しても、一般的に気色悪いねんというくらいドギツイ女装の叔父さん、もちろん口モトは髭で青くなっていて、歳も五十歳くらいの人が性的嗜好対象だと言う人が、世の中には少なからずおられるんですね。
世の中深い・・・。女装しているのが丸出しで、それが「えげつなければ」それだけその分それが、たまらん、という人いるんですよ、もっと突っ込んで言うなら生物学的に男性、女性問わずです!!!!
ただ、あまりにも衝撃的な事実なだけに表面化していないだけで、世の中、そういう性的嗜好性をもった人って男女問わずたくさんおられるのです。
そこで、言いましょう。そういう事例がアンダーグラウンドではなく、オープンに過ごせる社会にするべきだと、
きっと差別者は言うでしょう
「そんな変態天国は認めん!!!」と・・・、しかし、私はそういう輩の方々とガチンコで勝負していきたいと思います。決して暴力を使ってではなく、社会的な活動として。
そういう意味では、松本太郎なのに女みたいにしているというのは案外意義があるのかもしれねい・・・・。
性的嗜好せいしこう というものについてです。
生物学的に男性は生物学的に女性をhの対象とすること、、生物学的に女性が生物学的に男性をhの対象にする。これ、ごく一般的なものです。
が
これは性的嗜好せいしこうと言って、
実はその性別に関わらず、その対象が異性であろうと同性であろうと色々出てくることを言います。偏見の原点とも言えるゲイ・・・生物学的に男性が生物学的に男性を性的嗜好の対象とする事は、現代日本でもものすごく差別されている。私にしてみれば、それが男だろうと女だろうと犬だろうと猫だろうと、好きなんだからいいぢゃないかと思わなくもないのですが、世の中そんなに理解は深くない。
たとえば私なんかは男性敵な性欲が不快で、それを除去するためにホルモン治療しているし、上手くいっている。なので、私なんか性的嗜好なんて無いわけですよ。誰ともhしたくないんです。恋したとしても、実にプラトニックなものでしかありません。そもそも、もはや機能しません。
そこで、今日はその深いところを突っ込んでみたいと思います。
たとえば〇〇専という言葉がある。一番有名なのは
「デブ専」でしょう、その次くらいに「熟専」かもしれません。いずれも男性主導の立場をとっているので、私はこの表現が嫌いです。もっと、性差を無くして
女性でも
「デブな男が好き」
とか
「老けた爺さんが好き」
というのがあっていいと思います。上記の場合はなんとかその行為に及ぶ事が出来るかもしれませんが、後者の場合は機能しない可能性が大なので、行為に及べるかどうか、難しいところです。
とは言っても、これ基本的に生物学的に女性が男性が対象、生物学的に男性が女性を対象という点では変わらない。
実は、私が性同一性障碍の疑いをはっきり自覚したのは小学生の入学式だったんです。私は普通に女子の列に並んだら、先生が「あなたはこっちだ」と言って、私を男子の列に並ばせた、凄いびっくりしたんですよ、ああ、私はこっちの列に並ぶ人間なのかと。
その違和感はあったものの、私の性的嗜好は女性でしたので、初恋も生物学的に女性の女の子でした。これが、私の人生を狂わせる。
所謂「オカマ」って生物学的に男性が女装して性的嗜好対象が男性の事だと思っている人がほとんどでしょう。そうじゃないんです。私のような「オカマ」でも恋愛対象は今だに女性なんです。尤も、ホルモン治療が成功しているので夢見ることはありますが、実際には事にいたることはまずありません。
そこで、今日、強調したいのが、生物学的に男性が、生物学的に男性で、女装している人が性的嗜好対象であるという事例です。不思議でしょう。しかも濃い人になると女装丸出しやんかというくらい、オッサンが女装しているのが性的嗜好対象という人が実はこの世には少なからずおられるのですよ。
私がホルモン治療はじめて、女性として社会で生きて行こうと思っていた時分、私はインターネットを非常によく活用していて、ホルモン治療で育ったオッパイとかはみ乳の画像とか載せて、それは、それは、所謂ニューハーフを性的嗜好にしている男性からはモテたものでした。
性行為には至りませんでしたが、ネットで私の情報を相手に送ると、とても感激して、「彼女になって欲しい」と言われたものでした。そんなのなりませんが、どれくらい、私は女性に見えているだろうかということを探索すべく色々なところにアクセスしてみたものでした。
そんなある日、ある人とコンタクトした。画像ありまよーと言うと、見たいと言うので、ユーアールエルを送ると、
「全然ダメやね」
と言われて、ぶちっと通信を切られました。そうです、そのような生物学的に男性の人で、どんだけ女装しても、一般的に気色悪いねんというくらいドギツイ女装の叔父さん、もちろん口モトは髭で青くなっていて、歳も五十歳くらいの人が性的嗜好対象だと言う人が、世の中には少なからずおられるんですね。
世の中深い・・・。女装しているのが丸出しで、それが「えげつなければ」それだけその分それが、たまらん、という人いるんですよ、もっと突っ込んで言うなら生物学的に男性、女性問わずです!!!!
ただ、あまりにも衝撃的な事実なだけに表面化していないだけで、世の中、そういう性的嗜好性をもった人って男女問わずたくさんおられるのです。
そこで、言いましょう。そういう事例がアンダーグラウンドではなく、オープンに過ごせる社会にするべきだと、
きっと差別者は言うでしょう
「そんな変態天国は認めん!!!」と・・・、しかし、私はそういう輩の方々とガチンコで勝負していきたいと思います。決して暴力を使ってではなく、社会的な活動として。
そういう意味では、松本太郎なのに女みたいにしているというのは案外意義があるのかもしれねい・・・・。
by qpqp1999
| 2014-07-23 19:18
| 性同一性しょうがい