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牧師・漫画家・ミュージシャンの松本太郎のブログ


by qpqp1999

聖金曜日に思う

 聖金曜日に思う。
キリスト教の社会にも悪ははびこっている事を。ここで言う、悪とはキリスト教で言うところの罪とかではなく、たとえば、教会組織における教職者のお金にまつわる「汚職」とか「セクシュアルハラスメント」とかである。えてして、これらの冤罪や、たまたま立場が弱かったために、似たような事をしていて、
 ズバッと断罪され、免職される聖職者もいれば、どれだけの証拠を提示していても、たまたま、その該当者が権力中枢にいたので、逃げおおせた上に、普通の日本福音ルーテル教会の退職金では建てられないような自宅を建てたりしても、追撃されない聖職者←もはや聖〇者ではない もいる。
 しかし、私はこの、聖金曜日に思う。キリスト教において、聖金曜日というのは、イエス・キリストがユダヤ教保守層から抹殺された、あるいは、あえてそういう保守層に対抗したために殺された日であると言う事を。
 イエス・キリストに対する、歴史的記述は福音書に頼るしかないのが現状で、どれもこれも紀元1世紀末くらいまでで書かれたもので、イエス・キリストが処刑されたのが紀元30年頃であることを思えば、もう一世代もたってしまっているところで書かれたものばかりだ。
 だから、福音書の歴史的信憑性は非常に低いと言わざるを得ない。しかし、奇跡的な事が一つある。それは、四つの異なる年代、地域で互いが知らずに書かれた福音書で一致しているのはイエス・キリストが十字架で処刑され、三日の後に復活したというところだ。事実でないなら、これだけ歴史的資料が全く無い中で、これだけ、記事がピタッと一致しているのは、もはや奇跡以外のなにものでもないと思う。
 そこで、今のキリスト教社会における、ヒエラルキーという、全く反聖書的、反福音的な力関係の陰で、抹殺されてしまう善良な聖職者もいれば、
 これだけ、たくさんのキリスト教聖職者が事件の情報を共有しているにも、かかわらず、それらが、関わりたくない、闘うのが恐ろしいと言う理由で事件の告発に至らず、当事者は権力の座にいるという事態を放ったらかしにしているという、事の反キリスト教的な態度に憤りを覚えるものだ。
 つまり、被害者を十字架につけたままにしておいちゃいけない、イエス・キリストのように復活させなきゃいけないし、それを目標にして前進しなければならないという事をキリスト教の聖職者たちはもう一度、被害者の親身になって考えるべきだと思うのだ。
 しかし、情けなくなるのが、今のキリスト教社会の現実だ。一人の人の人生をぶち壊して、その上で、偉そうにして、偉い所にあぐらかいて、神学者でございと、あるいは〇〇〇でございとたかくくっているキリスト教保守層の高位の人がいる。そして、被害者は泣き寝入り、人生ぶちこわし・・・。
 こんな事はもうやめなければならない!!!
 しかし、キリスト教社会に住む以上、教会からお給料をもらっている以上、あるいは「教会」という名のもとに生きている以上、そういった権力階級にはものを申せない。だって、牧師には守るものが、あるから、つれあいや子供、守るものがあるがために、誰も、好んで、そんなトラブルに関わりたくないと言う。
 精々、フェイスブックで溜息がでるような、慰めの言葉を被害者にかけるのが精いっぱい・・・。それでも、無いよりましなんだろうが、私は全然不満足だ。どうして、皆がキリストのように十字架めがけて、進まないのか!!!キリスト教の聖職者たちに告ぐ、もう保身に走るのは止めよう、そして、被害を受けて苦しんでいる人の側に立って十字架を背負おう・・・。
by qpqp1999 | 2014-04-18 23:53 | キリスト教