神の声
2013年 06月 09日
神の声を聴いたことがある
と言ったら
多くの人は私に精神障碍の可能性があることを心配するだろう。心配されなくても、りっぱな、PTSDで鬱なのだが、
当時、1990年代の後半のバブル日本のただなかで牧師を四国の日本福音ルーテル松山教会の司祭として遣わされていた。長女が2歳、ちょうど長男が生まれる数カ月前のこと、元の妻はとてもお金持ちの家に育っていて、また、信徒として牧師家庭を見た時、それがとても裕福に見えたそうだ。それがあってか、どうかは別にして、私と劇的な結婚をしたのはよかったが、ふたをあけてみたら、
牧師家庭は貧乏だったのだった。
そこで、元の妻は私にお金を造るよう、再三にわたって、追及してきたものだ。しかし、私には何等の術もなかった。当時の日本福音ルーテル松山教会はその遊園地を地域に開放し、提供していて、子供たちの遊び場になっていた。夜、私は、どうしようもなくて、この遊園地のブランコに乗っかって、煙草をふかしながら、神様にくだまいていた。そしたら
神の声が聴こえたむー!!!「お前は漫画家になる」と それも 静かな 透明な 声で
きっと、処女懐胎を迎えたマリアもこんな感じだったのかもしれない。私としては、何か、気が変にでもなったかと思っていたら、その数カ月後に講談社のモーニングの副編集長・次長から電話がかかってきたむー!!!その後はひたすらに漫画を描くのみだった。なにしろ一枚描くにつれて4万円弱もらっていたから、それは相当な金額になったものだむー。尤も教会経済も大変だったし、れっきとした日本福音ルーテル教会の牧師だったから、収入の半分以上は献金に回していた。だから、教会員も教会役員も、教区も、本教会も何にも文句は言ってこなかったし、むしろ
「がんばって下さい」と言われたものだむー
その当時描いていたのが、かのモーニングでもトップ5を争うに至っていた、
「LOVE PLANET」だむー!!!画像を掲載しておくむー!!!主人公の聖花とビトだむー。
あんまりにも、好評だったので、アフタヌーンという講談社の姉妹誌でもセーラームーンをこの「LOVE PLANET」で竹内直子先生と「なかよし」編集の協力のモトに描いたほどだったむー。今では極稀品であって、この雑誌持っている人は手放さないだろう。私も一冊しか持っていない。当時の私は優遇されていて、「牧師にして漫画家」というフレコミで売り出されていて、1か月に一作というペースでも充分に買ってくれたものだった。またそして、その原稿料のおかげで、元の妻も経済的に満足させる事が出来たのだった。
神の声っていうのは、 神秘体験なんか糞倉えだと思っている私だが ある のだ。少なくとも私の場合はあった。マリアがどんなに叫ぼうが、ヨセフがどんなに夢のお告げがあったと叫ぼうが、誰がそんなもの信じるものか!!!その声を聴いてしまった人は時に肩見の狭い思いを強いられることだろう。後の私、今の私がまさにそうだ。全てを(運転免許証)まで失って(取り戻したけど)、尚、イエス・キリストの恵みと祝福を語らねばならないことになっている。そして、恐ろしいことに、この状況こそが、私に向かって
「描け」
と迫ってくるのだった。あの日本福音ルーテル松山教会の遊園地のブランコの所と同じように。戦々恐々としているのが事実だむー。
と言ったら
多くの人は私に精神障碍の可能性があることを心配するだろう。心配されなくても、りっぱな、PTSDで鬱なのだが、
当時、1990年代の後半のバブル日本のただなかで牧師を四国の日本福音ルーテル松山教会の司祭として遣わされていた。長女が2歳、ちょうど長男が生まれる数カ月前のこと、元の妻はとてもお金持ちの家に育っていて、また、信徒として牧師家庭を見た時、それがとても裕福に見えたそうだ。それがあってか、どうかは別にして、私と劇的な結婚をしたのはよかったが、ふたをあけてみたら、
牧師家庭は貧乏だったのだった。
そこで、元の妻は私にお金を造るよう、再三にわたって、追及してきたものだ。しかし、私には何等の術もなかった。当時の日本福音ルーテル松山教会はその遊園地を地域に開放し、提供していて、子供たちの遊び場になっていた。夜、私は、どうしようもなくて、この遊園地のブランコに乗っかって、煙草をふかしながら、神様にくだまいていた。そしたら
神の声が聴こえたむー!!!「お前は漫画家になる」と それも 静かな 透明な 声で
きっと、処女懐胎を迎えたマリアもこんな感じだったのかもしれない。私としては、何か、気が変にでもなったかと思っていたら、その数カ月後に講談社のモーニングの副編集長・次長から電話がかかってきたむー!!!その後はひたすらに漫画を描くのみだった。なにしろ一枚描くにつれて4万円弱もらっていたから、それは相当な金額になったものだむー。尤も教会経済も大変だったし、れっきとした日本福音ルーテル教会の牧師だったから、収入の半分以上は献金に回していた。だから、教会員も教会役員も、教区も、本教会も何にも文句は言ってこなかったし、むしろ
「がんばって下さい」と言われたものだむー
その当時描いていたのが、かのモーニングでもトップ5を争うに至っていた、
「LOVE PLANET」だむー!!!画像を掲載しておくむー!!!主人公の聖花とビトだむー。
あんまりにも、好評だったので、アフタヌーンという講談社の姉妹誌でもセーラームーンをこの「LOVE PLANET」で竹内直子先生と「なかよし」編集の協力のモトに描いたほどだったむー。今では極稀品であって、この雑誌持っている人は手放さないだろう。私も一冊しか持っていない。当時の私は優遇されていて、「牧師にして漫画家」というフレコミで売り出されていて、1か月に一作というペースでも充分に買ってくれたものだった。またそして、その原稿料のおかげで、元の妻も経済的に満足させる事が出来たのだった。
神の声っていうのは、 神秘体験なんか糞倉えだと思っている私だが ある のだ。少なくとも私の場合はあった。マリアがどんなに叫ぼうが、ヨセフがどんなに夢のお告げがあったと叫ぼうが、誰がそんなもの信じるものか!!!その声を聴いてしまった人は時に肩見の狭い思いを強いられることだろう。後の私、今の私がまさにそうだ。全てを(運転免許証)まで失って(取り戻したけど)、尚、イエス・キリストの恵みと祝福を語らねばならないことになっている。そして、恐ろしいことに、この状況こそが、私に向かって
「描け」
と迫ってくるのだった。あの日本福音ルーテル松山教会の遊園地のブランコの所と同じように。戦々恐々としているのが事実だむー。
by qpqp1999
| 2013-06-09 18:12
| キリスト教