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牧師・漫画家・ミュージシャンの松本太郎のブログ


by qpqp1999

四旬節第二主日礼拝説教 マルコ福音書10章32-45節

四旬節第二主日礼拝説教 マルコ福音書10章32-45節
 マルコ書ではイエス・キリストは基本的にガリラヤで活動していて、この地はユダヤ世界では辺境の地であった。それが、いよいよ、ユダヤ教の聖地たる「エルサレムに上っていく」ことになる。エルサレムは確かに紀元前10世紀頃にソロモン王によって建てられた神殿であったし、バビロン捕囚の解放後にゼルバベルによって建てられたユダヤ教の聖地である。しかし、いま、イエス・キリストがの「上って」いこうとするエルサレムは、所謂「ヘロデ神殿」であった。ヘロデ大王は生粋のユダヤ人ではなく、また、ローマと結びつくことでその権力を保持していた。そうであるから、可能になった、神殿というよりは神殿都市エルサレムなのであった。これは、ある意味、権力の象徴ともいえるだろう。
 対するイエス・キリストの一行は、辺境からやってきた権力もなければ、学歴も無い貧しい民の集団であった。この対立構造は勿論、史実に遡るし、マルコ書の意図するところでもある。これは強い側にある人に対する弱い側に立たれる主の姿勢であり、挑戦である。そして無謀に近いものであった。だから、「イエスは先頭に立って進」むと「弟子たちは驚き、従う者たちは恐れた」のだ。
そこで三度目の死と復活の予告がなされる。これは、これまでの中で、もっとも細かく語られたものである。ユダヤの宗教権力者から死刑とされ、酷い扱いを受け、ローマ帝国によって処刑される。しかし三日の後に復活するというものである。多くの場合、受難予告と言われ、復活予告と呼ばれることは少ない。だが、この予告はあくまでも復活を前提としていおり、この点においてはじめて、全ての敗北が勝利に逆転する真理を示している。
「そして」とやくされるκαὶカイは「しかし」とも意訳することができる。「殺す。しかし、人の子は三日目に復活する」である。負ける「しかし」勝利する、という構図である。
ここで、勘違いした弟子のヤコブとヨハネが抜け駆けする。この二人の弟子は、いつもならペトロとセットになって出てくる弟子だが、この兄弟だけはペトロも無視してイエスに言い寄るのだった。「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人をあなたの左に座らせて下さい」と言う。簡単に言うと右大臣左大臣というところだ。
この二人が「とき」をこの世のものとして理解しているのか、来世のもの、イエス・キリストの再臨の「とき」のことと理解しているのかは不明であるが、どの場合においても、この「願い」は前述した、負ける「しかし」勝利するという、復活の概念を理解したものではない。そこでイエス・キリストは「あなたがたは、自分が何を願っているか、分ってない」と答える。「この私が飲む杯を飲み」とまずある。「杯」は旧約聖書の理解では「喜び」の象徴であると同時に「苦難」の象徴でもある。ここにもκαὶカイ「しかし」の概念が入ってくる。そして、「この私が受ける洗礼を受けることができるか」と問う。この「洗礼」の概念はよく訳されるべき言葉である。単なる「キリスト教の入会式」みたいな洗礼とは断じて違うものである。Βάπτισμαバプティツマは直訳すると「身をひたす」という意味である。洗うとか、清めるという意味とは全く違う。洗うとか、汚れを清めるならもっと別のギリシャ語がある。マルコはわざわざこの「身をひたす」というキーワードを入れているのである。実際、イエスが洗礼者ヨハネから受けた洗礼、バプティツマは、ヨルダン川であった。この川は低みから低みへと流れる川であり、その低みの中に全身を沈めて、低みから改めて、歩みを起こすという、儀式というより、より能動的な働きの象徴であった。その最頂点が十字架の処刑死である。「彼らが『できます』と言うと」「確かにあなたがたは私が飲む杯を飲み、私が受ける洗礼を受ける」と預言する。実際、紀元44年にヤコブは初代教会の指導者として、当時のローマ側のユダヤ権力者ヘロデ・アグリッパ1世に剣で殺されている。この無理解で軟弱な弟子たちが、どうしてここまでに至ったかは史実が示しているとおりで非常に理解の困難なものである。その理解のキーワードがκαὶカイ「しかし」であろう。弟子たちはイエス・キリストを見捨てて逃げ去った負け者だったが、最終的には「しかし」殉教に至るまでして勝ったのである。しかし、実際にイエス・キリストの「栄光の時」それは最もみじめで敗北の骨頂たる十字架の処刑において明らかにされたのだった。そして、その右と左に同じく十字架で処刑された者について触れねばならない。処刑にするだけならば、ユダヤ教での石打ちでもよかったはずなのに、どうして、十字架なのか。十字架の処刑はローマ帝国の管轄で行われる、最も過酷な処刑方法であった。まず鞭打ってから刑場まで十字架の横木を担がせて歩かせる。しかし、この時点で鞭打ちによって瀕死の状態になっているのが通常であった。映画「パッション」の影響で鞭打ちの壮烈さはよく表現されたが、あたかもイエス・キリストだけがそうであったかのように描かれているのは間違いである。ほとんどの場合、十字架につけられる前には鞭打ちを死なない程度に受けているものであった。この過酷な処刑は基本的に反ローマとしての罪人がなるものであった。何故、ローマ帝国にとって何等の脅威でもなかったのに十字架刑に処せられたかは議論の多く生じるところである。「私の右や左に「は、定められた人々に許される」とあるイエス・キリストと同じく死なない程度に鞭打たれ、十字架に右、左に処せられたのは明らかに反ローマ帝国の活動をした者である。単なる、罪人ではない。むしろ、ローマ帝国の圧政に対して立ち向かった、弱い側にいた人々であった。そのような人々こそが選ばれるのである。「定められた」はἡτοίμασται.ヘトイマスタイで「準備された」「鍛えられた」と訳されるものである。まさに十字架で処刑される者とはそいうう者であった。そしてやがて弟子たちも皆そのようになるのであった。「そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた」「いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい、人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」「身代金」λύτρονリュートロンはユダヤ社会において、奴隷や捕虜を解放するために支払われるものを意味していた。であるので、「多くの人の解放の代価として、自分自身を差し出すため」と訳されるべきものであろう。多くの人はあらゆる意味で「上に立とう」と努力して生きる。そういう有り方から、イエス・キリストの十字架の出来事は解放してくださるのである。単に罪からの解放に留まるべきではなく、むしろ高みを目指そうとする苦難から解放され、反対に低みから歩みを起こすという信仰のあり方がここに、主イエス・キリストの奇跡として与えられることを学ぶのである。
by qpqp1999 | 2012-03-04 12:49 | キリスト教