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ルーツ   

2016年 08月 31日

 一番新しい「ルーツ」観ている。
 私が最初にこの「ルーツ」をテレビドラマで観たのは小学生の時だった。なんか、クンタ・キンテ苛められてばっかりで、あまり楽しい作品ではなかった。
 
 今回の「ルーツ」はちょっと目線が違う。40年くらい前の「ルーツ」はまさに「ルーツ」をたどるというよな内容の番組だったが、今回のキーワードは
 「戦士」なんだむー!!!
クンタ・キンテ強い強い!!!
 まだ二話の途中まで観たところだからこの先どうなるか解らないが、楽しみにしているんだむー!!!でもやっぱり逃げそびれて、鞭打ちにあって,鞭打つ人が
 「お前の名前は!!!」
ときいて、クンタ・キンテは
 「クンタ・キンテ」
と言って引き下がらない。だけど、鞭打ちの凄まじさは、現代だから再現できるもので、私が小学生の時に観ていたのより、もっと強烈だった。R指定つけなければならない。
 結局クンタ・キンテも激しい鞭打ちで大出血して朦朧とした意識のなかで
「トビー」
 と言うのだった。その後は皆さま御承知の通りで、逃げ出したのに捕まって、足の甲を切り取られてしまうんですよ。酷い話しだ!!!こんなの子供に見せたらトラウマになってしまうだろう。だけど、あえて、言う、私はこれは子供であっても観るべき番組だと!!!
 今回初めて知ったのはクンタ・キンテが英国軍に参加していたということだ。後に英国はUSAから撤退するのだが、今度は南北戦争が始る。私の子供の頃の記憶では
 「南北戦争なんて出てきたったけ????」
なのですが、以降、南北戦争が描かれるそうだ。楽しみにしているんだむー!!!
 ↑別に戦争を楽しみにしているのではなくて、アフリカ系の「奴隷」とされている人々が解放されることを楽しみにしているんだむー・・・。

# by qpqp1999 | 2016-08-31 18:18 | 海外ドラマ | Trackback

真田丸   

2016年 08月 30日

 真田丸が大阪冬の陣でおおいに活躍して、徳川の陣中にまて責め上ったのは、良く知ら手行く事だ。 
 徳川家康ももう目の前で、鉄砲撃たれて、大変な事になった。
 このあたりまでは
 [真田丸」
 はいいのだれど、夏においてはもはや、軍事拠点たる[真田丸」はなくなってしまって、最後は殺されてしまったという。NHKの大河ドラマがどこまで描くのかは楽しみにしている真田雪村は決してヒーローではなかったことょ思い出すものだ。
 ちょうど同じタイミングで、「新撰組」を描いた三谷幸喜が脚本しているから、演出のことはさておいて、中々面白い大河ドラマになっている。
 だけど真田雪村って、夏の陣で死んでしまうだよなあ、そのあたりをどうやって描くのが期待しているむー!

# by qpqp1999 | 2016-08-30 18:58 | 歴史 | Trackback

ルター寮   

2016年 08月 29日

 日本ルーテル学院、私の在籍していた時は
「日本ルーテル神学大学」
 だった。お金の無い私は学費も生活費も奨学金とアルバイトでまかなっていた。だが、神学校性二年になった時、私は二人部屋仕様の部屋を譲ってもらったのだが、
 「ちょっと工事に入りますんで」
 と言っては、業者の人が淡々と作業を進めていった。果たして、私がその部屋に入った時には
 二人部屋の一人分のベッドが排除されていて、部屋全体が天然僕のフローリングになっていたものだ!!!
 それは快適だった!!!何しろ窓からは三鷹の森が見えていたし、つるつるピカピカの天然木フローリングは美しかった。
 未だに謎なのが、使っている天然木のテーブル。宣教師の人が残していったものだが、これをどこに設置しかのか忘れてしまったんだむー!!!
といつもなら言うのだが、はっきり覚えている。
 ルター寮の芝生が見える窓際に私はそれを置いて、教授の皆さまがつかわなくなったワードプロセッサー「書院」を使って、卒業論文をルター寮で書き上げたものだったむー!!!

# by qpqp1999 | 2016-08-29 18:43 | キリスト教 | Trackback

聖霊降臨後第十五主日礼拝   

2016年 08月 28日

 式文、父親がどっかやってしまったんだむー!!!

# by qpqp1999 | 2016-08-28 13:46 | キリスト教 | Trackback

 聖霊降臨後第十15主日礼拝説教   

2016年 08月 27日

聖霊降臨後第十15主日礼拝説教
ルカ福音書14章7~14節
今日の聖書個所で違和感を覚えるものだ。たとえば
「招待を受けた客が上席を選ぶ様子を見て」とあるのだが、これは現代日本国では中々あり得ないことだ。一体、誰が、婚宴の席で上座に喜んでつくというのか。その正反対で、多くの日本人はできるだけ
「下座」
につこうとして譲り合うくらいの事が起きる。挙式場の結婚式みたいにあらかじめ席が決まっていて、一番近い親族か下座につくように構成される。日本の席の文化というのはこういうものだ。
なので、今日の個所は現代日本人からすると理解できない内容になっている。まさに日本の文化では
「婚宴に招待されたなら上席についてはならない。あなたより身分の高い人が招かれており、あなたやその人を招いた人が来て、『この方に席を譲ってください』と言うかもしれない。その時あなたは恥を描いて末席につくことになる。」
続いて
「招待をうけたら、むしろ末席に座りなさい。そうするとあなたを招いた人が来て、『さあもっと上席に進んでください』と言うであろう。その時は同席の人、皆の前で面目を施すことになる。」
これだけだと、まるで上席を狙うために末席に座ると言う小賢しいやり方を教えただけになってしまう。そんな事は現代日本人はとっくの昔からやっていることだ。新撰組の齊藤くらいにならないとそんな事はしないものだ。私でも、この聖書個所のとおり、結婚式場の関係者の宴会に呼ばれた時、末席についたものだ、そしたら支配人が来て、
「松本先生もっと上座にいってください」
と言われたものだ。これだと、このままの聖書個所そのものになってしまうが、それは違う。
この場合だと末席につくのを恥じるなというように読めるのだが、日本人はそもそもから末席につこうとして、上座に座る事を譲りあうというか、闘いになってしまう。できるだけ下座に座ろうとするのが日本の風習だ。
「誰でも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」
という日本文化にまさに相当した議論がなされる始末になってしまう。それでは聖書の意味が無い。
このままだと、まるで福音書の福音の体をなしていない。そこで、もう少し、福音書を読んでみよう。
「またイエスは招いてくれた人にも言われた。『昼食や夕食の会を催す時には、友人も兄弟も、親類も近所の金持ちも呼んではならない。その人たちもあなたを招いてお返しをするかもしれないからである。
宴会を催す時にはむしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人目の見えない人を招きなさいそうすれば、その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ』
なんという差別的な言葉であろうか。
「貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい」
というのは納得できるがその後の
「そうすれば、その人たちはお返しができないかからあなたがたは幸いだ」
とイエス・キリストは言い放つ。
そして、しまいには
「正しい者たちが復活する時あなた方は報われる」
と書いてある。これだと、昼食会や夕食会、宴会をした時に「貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招」けば
「終末の時」
に何やら報われるとも言いそうだ。そんな上から目線で福音を語っていいものなのだろうか。あるいはそんなに来世の話しなのであろうか。それは違う。
「貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人目の見えない人」
が大切な事だ。
確かにこの人々は
「お返しが出来ない」
という訳がおかしい
確かに「お返し」ができないかもしれない。だがしかし、
「正しい者たちが復活する時」
という言葉である。これで。
「貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人」
が真っ先に復活して
「お返し」
を何より神の国からいただけるというのだ。
「貧しく、体が不自由で、足が不自由で、目の見えない人」
 散々差別され、拒否されてきた人たちだ。
だが、そういう人々こそが、ど真ん中に立たねばならない。
 それをイエス・キリストは言う。
 お返しはある。差別され、酷い目にあった人たちこそ。宴会の主催者となって、全ての人が連帯するのだ。
 そう言って、この聖書個所は締めくくられるのだ。

# by qpqp1999 | 2016-08-27 21:15 | キリスト教 | Trackback